nekomitu日記

ポンコツ日記

心の傷

2016-01-26 20:18:55 | 日記
先日、知人の女性から「信じていた男の人に裏切られてとても傷ついている...」と相談を受けました。
今彼女は、とてもつらい時期だと思います。事実を受け入れられずにいるのですから...

なので..彼女に話した事も含め

今日は、あえて…じめ~っとした話をします…。

私も、過去の恋愛において恥ずかしながら..信じていた人から「傷つけられた」経験があります。

自分の存在価値を否定され、軽視され、ちっぽけに扱われたような痛み…
信じていた信頼や約束を裏切られた痛み…
お前には価値がない、お前の存在は小さい、別にどうでもいい…
お前とは付き合わなければよかった..もう面倒だ…

と受け取れる、自分にとって、とても強烈なメッセージを、ある日突然..目の前で突きつけられたことが、深く心の傷になりました。

そもそも、相手から「愛されている」と思い込んでいたことが勘違いだったのか?その場しのぎの甘い言葉を「愛されている」と信じていたのでしょう。
しかし、あまりにもショックで「相手の心が離れた」という事実を受け入れることは、本当に苦しかったし、当時は、頭が真っ白になり何も考えられませんでした。

完全に自信を失いました。その当時、暫くは「嘘つきで最低な男だ」と怒りの感情に支配されましたが、
怒りがおさまると、時間が経つごとに自分の心に深く刺さって来て、とても前向きになんて簡単にはなれませんでした…。
当然ですが、忘れてしまいたい。その人との想い出すら記憶から消してしまいたいと思ったほど。出会ってしまったことすら後悔しました。

で…なぜこの湿っぽい話をするかと言うと、「心って本当に傷つくのか?」という事を少しだけ掘り下げてみたいと思います。

今思えば当時の私は、自分の人生を歩いていくのにちょっと疲れて、どこかで「自分なんかどうなったっていい」
自暴自棄になってたところがあったのかもしれません。優しさや愛情に飢えていたのかもしれません。とにかくフワフワしていたんですね。。

そんな時、出会ったその人に、無意識に救いを求めていたのかもしれません…
相手から見ると、簡単に落とせる…隙だらけな女だったのかな..と思います(笑)

だから、見えるべきものが見えなくなってしまい自分を完全に見失っていたのです。

確かに幸せを感じた時期もありましたし、自分が女性として生き生きと輝いているような感覚にもなったのです。
何故ならば、その時は相手から「必要とされている実感」があったからです。

だけど、人の心は変わっていくものです...。時が経ち、心がすれ違うようになると、必死で相手の心を知りたい…取り戻したいと思うようになります。
所詮は他人なのですから、自分の考えや想いとは全く違うし、相手の本心なんて、掴めそうで掴めないのです。「想い」の強さに温度差があるのも当然なのです。

何より、問い詰めて事実を突きつけられたところで、受け入れる事なんてできなかったでしょう…。

そうなると、寝ても覚めても相手の事が頭から離れない。その事にこだわり続け
心にこびりついたように忘れられない…といった恋愛感情とはかけ離れた「執着」の状態になっていたのです。

相手に対する不信感は日々増していく…信じられなくなる…
何故自分に冷たくなったのか?距離を置くようになったのか?「理由」が知りたい…

執着心というものは、心に受けた傷が痛いほど、その傷にこだわり続けるのです。
それは、相手に対する「愛情」とは本来違うものなのですが、相手に対する「未練」だと勘違いしてしまうのでしょう..。

初めから遊びだったのか?適当に終わらせようとしてるのか?と…ネガティブな感情だけに支配されてしまいます。

では...何故そこまで相手の気持ちに拘るのでしょうか?

それは、自分の存在が、相手にとって「何の価値もなかった」と認めたくないからです。

だから、何故?何故?と「理由」にこだわるのです。

冷静に判断すれば、相手の人は、言動に責任などなく、とりあえず自分の欲求を満たし、今が良ければそれでいいと思う人だったのかもしれません。
いつもの自分なら相手の「誠実さ」くらい判断できるはずなのですが、相手に執着しているので、そんなことすら見えなかった…
という間違った判断をした自分自身の事も受け入れられない…。

自分にとって受け入れがたい事実を受け入れられないだけ...
そして、自尊心を傷つけられると、精神が不安定になりますから、ちょっとした相手の言動の変化にも過敏に反応するようになり、それを傷として認識するのかもしれません。

「お前には何の価値もない」と否定された…軽視された…と思い込んでる事を、「本当の自分じゃない」と事実として受け入れられず…
自尊心がザワついているだけなのです。

では、本当にそれは事実なのか?本当に何の価値もない人間なのか?そうじゃないはずです。どう捉えるかの選択肢は沢山あるのです。なのに
あえて、そこにこだわり、自分で自分の心を苦しめているだけなのです。

そうです…「心が傷つく」のではないのです。

心は自由なんです。
そもそも「心」というものは目に見えない…形がないから傷はつかないのです…


全ての事は自分が好きでやったこと…自分で選んだ選択肢のはずです。だから、誰のせいでもない…自己責任なんです。

辛いことかもしれませんが、ただ「心が変わった」「終わった」というあるがままの事実を冷静に受け入れるしかないのです。

忘れようとしても忘れられないのを無理に解決しようと抗わず、
そこからどうやって立ち直るか…「自分の存在意義を感じられる他の事」にこれからの時間を費やせば、自尊心のザワつきも時間と共に消えていくでしょう。

もう自分で自分を苦しめる必要はないんです。


恐らく、「信じていたパートナーに浮気された側の人」も同じような心境になるのだと思います。※実はこれも経験済です(笑)

たった一度しかない人生です。執着し続け泣いて時間を無駄に過ごすか?立ち直るための行動に時間を費やすかで随分変わってくると思います。







信じる

2016-01-22 01:36:31 | 日記
人間関係において「信じる??」って何を根拠に?...なんてよく言いますが..確かに「信じる」に値する何かしらの
根拠みたいなもの
..って何だろう?と..ふと考えていた時、

今から約20年ほど前に経験した「ある不思議な体験」というか...今思えば大きな人生の「分岐点」のきっかけとなった言葉があったのを思い出しました。

それは...

「僕を信じて付いて来てくれたら、大きな良い事はないかもしれないけど、そんなに悪い事もないと思うよ...」という控えめだけど何故か心に残った言葉。

実は、ほぼ同じ時期に2人の男性に言われたのです..。(これ自慢している訳ではありませんのであしからず。。)

一人は、再婚した元主人...もう一人は前職の社長でした。

当時の私は、同じ時期にこの言葉を言われた事が、今後の人生において何かしら意味があるのでは?
と感じたのです。そして「人を信じる」という私自身への大きな課題だったのかもしれません。


それまでの私は、既に一度の離婚を経験し、仕事も恋愛も何をやっても長続きせず...30代にして、どこか人生諦めていて、「娘を育てる」という母親としての責任感だけで生きていた気がします。

そんな時、元主人と出会い...
相手は2歳年下しかも離婚歴もないまっさらの独身..私は子連れの年上だったので「再婚」なんて考えてもみなかったし、むしろこんな私で申し訳ない..という気持ちだけでしたが、山あり谷ありのお付き合いを経て、数年経った頃、この言葉を言われました。それから間もなく「男として責任を果たす」といい車の中で婚姻届けを渡されたときは本当に驚きましたが、やはりその時も「こんな自分でいいのだろうか?・・」と思っていました。

そして、もう一つは、同時期に転職して2年程務めていた小さな会社(当時は社長を含め10名ほどの規模)で当時のメンバーと一丸となって億単位の売り上げを始めて達成した頃、
その言葉を社長から言われたのです。

「仕事とプライベートで同じタイミングで同じ言葉を貰った」自分でも単なる偶然とは思いたくなかったのか...
「信じて付いて行ってみよう..」と決めたのです。

先に述べたように、恋愛も仕事も長続きしなかった私が、結果的に、仕事も結婚生活も約20年間どちらも続いたのです。決して人様に自慢できる長い年数ではありませんが
私にとって人生の大きな分岐点となったことは間違いないのです。

では、ある意味人間不信だった私が何故2人の男性を信じることが出来たのか?....

それは、2人に共通していた3つの事柄


「有言実行」自ら言った言葉に責任を持ち必ず実行する。約束を果たすという事
「終始一貫」自分の思想や考え方がブレず一貫していた事
「信頼関係」お互いの長所・短所を含めて相手を認めて尊敬出来た事

この3つでした。

そして本当に不思議な事に、前職の社長も元主人も、折に触れて同じような話を私にするのです。。
例えば、弱気になった時の励ましの言葉だったり、叱られる時だったり。。
飴と鞭の使い分けだったり。。

2人に共通している3つの事柄があるので、かなりストイックな面があり、思考が似ているのか??と思ったこともありました。
当時は、職場にも家庭にも「社長」がいる感覚でした(笑)

しかし、よく考えてみると2人とも同じことを私に言うという事は、私の弱みや強みを既に見抜かれていて
上手にモチベーションを維持してもらっていたような気さえしています。(笑)何気にマネジメントされてたんですね..。

極端に言うと、2人の前ではどんなに取り繕っても、私の本質はバレていたんです。。それでもありがたい事に、そんな私を見捨てることなく支えてもらったという感じなんです。
これが「安心感」から「信頼」に繋がっていった気がします。

それともう一つ。社長を人として尊敬・信頼出来た事の中の一つに「ありがとう」と「ごめん」を要所できちんと言える方だったという事です。
とても自然体で、社長なのに偉ぶることなく、謙虚で人間味のある社長に「付いていこう」と決めたのを覚えています。

仕事において、要所でチャレンジするチャンスを与えて下さった事で学んだ事が沢山あり・・
家庭では、子供の教育や人格形成において元主人が教えてくれた事が沢山あり..

※この「沢山」については長くなるので省略します..。

この20年間で、仕事とプライベートで2人の影響を大きく受け、別の人間に生まれ変わった気がしています。何より大きく変わったのは以下の3つ..。


「自己開示」オープンマインドでコミュニケーションが楽に楽しくなった事>それまではプライドや体裁・建前が邪魔をしていて相手の顔色や反応ばかり気にしていたし、恥ずかしいと思う事はバレないように隠していた。

「自分を信じる」色んな失敗や困難、成功体験を重ね、そこを乗り越える事ができた自分を信じれるようになった事>それまでは、自分は何をやっても中途半端でダメな人間だと思って諦めていたり限界を自ら決めていた節があった。

「自分にも相手にも正直に生きる」周りの評価を気にせず、常に自分自身はどうありたいのか?を問い、何が正しいかを自問自答するようになった事>それまでは、なりたい自分・見られたい自分・好かれたい自分を演じていた所があったし人に対する偏見があった。

そうして、この年齢になり自分の人生を振り返った時、「豊かな人生」だったと心から思える自分がいます。

決して良いことばかりだった訳ではありませんが...人生には、出会うべくして出会った人との縁や、そこから生じる事象、そして、そこから学ぶこと、得るものが必ずあると思います。

どんなに最悪な事があっても、他人や環境のせいにすることなく

「因果応報」=過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。
「自業自得」=自分でした(悪い)事のむくいを自分の身に受けること。
「自己責任」=自分した行動の責任は自分で取るという考え方。 己の意思で決めた行動から来る結果に応答・対処する義務が責任と定義される。

という事も受け入れる事ができる「強い根っこ」を2人から育んでもらったのかもしれません。

「人を信じる」という事は「自分を信じる事」が出来なければできないと言いますが、この事が当時の課題だったのかもしれません。

この年齢になっても、まだまだ抜けない悪い思考の癖や、感情の浮き沈みがあったとしても、2人のおかげで
「本来のあるべき自分」に立ち返る事が出来るようになったように思います。

この約20年続いた結婚生活も仕事も...これまた同じ時期に手放しました...一人の生活になったのにも何らかの意味があると思っています。

さてさて...残りの人生、私に与えられる「課題」とは何ぞや??...もうすぐ見えてくる気がしています(笑)
























思考の癖

2016-01-16 21:01:41 | 日記
昔、友達にもらった「バースデーブック」(※その誕生日の人の性格などが書かれた本)
なるものをもらった中に、こう書かれたあったのを思い出す。「仕事の事になると前向きで自信たっぷりなのだが、恋愛になると全く何をしてよいかわからない」と...

ブログでも度々触れてきましたが、厄介な性格の私は、人の事は手に取るようにわかるのに、自分の感情に素直になれないというかコントロールできないというか..
とにかく、自他ともに認める「難解」な性格なんですね。

もう流石に、この年齢ですから...幾つかの恋愛(離婚もしましたが(笑))を経験したのですが...どうしても未だに一つだけ抜けない思考の「癖」があります。
若い時は、友人から「プライドが高いからだよ..」「相手の気持ちを試しているんじゃないか?」と言われたこの「癖」...
本当はプライドが高いのでもなく試しているなどとんでもない..

実は「どうせ自分なんか本気で愛されない」と幼少期頃からあきらめている節があるのです。

十代の後半くらいからでしょうか..当時交際しているとっても好きな彼と、嫌いになった訳でも、別れたいとも思っていないのに..すぐに「さよなら..」「別れよう」と言ってしまうのです。。
どんな状況でその「癖」が出るかというと...相手の心が離れているのでは?と自分が感じた瞬間に、言いようのない恐怖に囚われた瞬間に出てしまうのです。(我慢できれば問題ないのですが..)

瞬間的な感情は「本気で別れる」と思うのですが、一晩寝ると、言った事、別れたことを後悔している自分がいるけど、言ったことで更に弱気になっているので「ごめん別れたくない」という勇気もなく..

相手と口論や喧嘩になり、嫌いになりそうな事があったとしても、本当は一晩寝たら許してしまうほど
「超単純」な性格なんですが、何故か「さよなら..」とか「別れよう」が先に出てしまうんですね。。
瞬時にシャッターをピタッと閉じてしまう感覚ですね。。

結局...本気で嫌いになってない訳ですから、それから他の誰も好きになれず、数か月クヨクヨ一人泣き暮らす...
という恋愛のパターンなんです。むしろこんな私が結婚できたのは奇跡かもしれません。。(笑)

相手に「え???」と思われるくらい、瞬間的に気持ちが大きくブレるのです。ある友達はこう言いました
「想像力が豊か過ぎるからじゃないか?」とか...「本当に好きではなかったのかもしれないよ..」と..当時の友達は慰めてくれましたが、

そうじゃなくて..「本当に好きであればあるほど」その癖が「強く・早く」でるのです。。



もう一つは、恥ずかしながら...最近になって友達に言われ、初めて気が付いた「はぐらかし」という行為..褒められたり、煽てられたり..特に女性として見られているのでは?と感じた瞬間、素直に嬉しいと感じる前に、ほぼ真逆の言動ではぐらかす。。例えば「素敵ですね」と言われたとしたら、極端な場合「殺すぞ!きもっ!」と言ったりする訳です。
如実に出るのが褒められたとき...どう対応してよいか分からず「ありがとう」とも言えず。。
とんでもない言動に出る場合もしばしば(笑)これは単純に「褒められ慣れてない」からです。

ただのへそ曲がりか?天邪鬼か?いずれにせよ「めんどくさい可愛げのない女」なんですね・・(笑)場合によっては「気が強い」とか「色気がない」「女出すな気持ち悪い」等と言われる。。

こんな私ですから、当然...恋愛相談なんかしようものなら、説明も下手なので「意味わかんない」「難解」「厄介」と友達に言われる始末。。
ドン引きされるのがオチだからあまり相談もせず..この年まできました。


私は職業柄、このような「癖」が何故でるのか?・・ある程度理屈で説明する事はできるのです...。


心理学的に言うと、このような思考の癖は「見捨てられ不安」や「パーソナリティの歪み」等の概念である程度の説明がつきます。
幼少期の母親との関わりや、家庭環境等によって、自己愛が上手く育まれる事なく、自己肯定感が欠如し、存在意義や生きがいを見失いやすく、常に虚無感が付きまとう。
「認知の歪み」が生じている訳です。。
簡単に言うと、実際に捨てられる訳でもないのに「どうせ捨てられるに決まっている」と思い込んでしまうんですね。

そしてもう一つ、そのような認知の歪みの原因で「孤独耐性が低い」という特徴もあるのですが
、私にはそれがあまりないのです。
一人になるのが寂しいとか怖いという事はほぼなく、むしろ一人を楽しむ方なのです。

穏やかな時間を大切な人と過ごすのがいいなぁ~と言いながら、「この人とだったら幸せに穏やかな時間が過ごせるんだろなぁ..」と分かっている人が例え目の前にいても、敢えて真逆な人を選択してきたような気がします。というか...周りにそう言われます(笑)

結局のところ...自分でも無意識に浮き沈みの激しい方にばかり人生を選択をしている訳です。「安定」よりも「刺激」を求めてる訳でもないのですが..

これも実は、心理学では何となく理屈で説明がつく行為なんです。「依存」と「執着」として表現する場合もありますが
「相手から必要とされてると感じられる恋愛」を選択してしまうという事は、恋愛において「自分の存在意義を感じたい」という強い欲求から来るんです。
そうなると、不本意でも嫌われたくないから相手に合わせたり尽くしたり...女性によっては母親のようになってしまう場合もあります。
当然ですが...所謂、手のかかる母性本能をくすぐる男性を無意識に選択しているのです。

人は、誰でも「自分の存在を認めてもらいたい」と思う本能的な欲求なのですが、仕事ならまだしも、これが恋愛となると「認められてない・必要とされてない」と感じたとたんに
自分の存在意義が分からなくなって不安になるんですね。。最悪の場合その事が起因となりメンタル疾患になってしまう人もいます。


しかし、そんな女性は自分から嫌いでもないのに「さよなら」をいう事はしません。。むしろ捨てられないための努力をして、どちらかというと「しがみつく」ようになってしまうものなんですが。。
私の場合「さよなら」が先に出て基本的にその事を覆すことはしない訳です。

結局のところ私は、どちらにもあてはまりそうで微妙に当てはまらない性格なんですね。。ここが「厄介」と言われる所以なんですが。。

本来、「承認欲求」が枯渇してると感じたら、恋愛だけではなく他の行為で得る事が出来るのです。

例えば..
誰かの役に立ち感謝されるもよし、何かにチャレンジして成功体験を得るもよし...いくらだって方法はあるのです。。


このように、客観的に「自分の思考の癖」について理解もしているし、対処方法についても理屈でも説明できる私ですが...「自分を完全に見失ってしまう」のが恋愛のままならないところなのかもしれませんね...。

























心の機微

2016-01-10 17:38:45 | 日記
「機微とは」=表面だけでは知ることのできない、
微妙なおもむきや事情。「人情の機微に触れる」ということ。


人の「心の機微」って理屈じゃないんだよなぁ…
この仕事をしていると、折に触れそう思う。もちろんプライベートでも。。

心って、些細なことがきっかけで、嬉しくなったり、哀しくなったり、怒ったり…感情の起伏となって出てくる。これをコントローするのは容易ではない。
だからこそ人は悩んだり落ち込んだりするのだろう。特に男女間についてはこれが如実に感じられるはず。

(以下あるビジネスパーソンの文献より抜粋引用)

恋愛は、「機微」のゲームである。男と女の関係は、知り合ってから少しずつ心が打ち解け、互いの理解が深まっていく。
思い込みや誤解も含めて浅くなったり、深くなったり、おやっ!と云うような、発見や驚きがあり、変化していくのだ。

時には、今まで築いてきたものがガラガラと音を立てて崩れるようなことも起こる。
心の機微の訓練には、恋愛するのが良い(訓練目的で恋愛をすべきではないが)なぜならば、間違うと本当に傷つくからだ。

本気で相手のことを思っていても相手のことを感じ取ることができなければ、良い結果は生まれない。
人は傷つき成長する。手紙やメールも状況によって様々な感じ方をすると思う。
相手の置かれている状態と性格を良く考えて伝える
…と書いてある。

心の機微が分かる人と分からない人がいる。他人の心に平気で土足で踏み込む人もたまにいる。
他人と会話する際に靴を脱ぐことをしつけられていない。大人になってから認識させようとしても難しい
...とも書いてあった。


私のブログのなかでも折に触れて、男女の性差の違いによる価値観や考え方など書いてきたが、
ままならないのが恋愛…そしてコミュニケーション。誰も「訓練」等とは思えないのである。


よく、対人関係において「そんなの言ってくれなきゃわからない…」ということを聞くが、
言わなくても感じ捉えるのが機微なのだろうか?


様々な人との関わりや、経験を経て身に付いていくのかもしれないが、よく考えると…「機微」として捉えた事は、
会話によって確認しなければ、大半は「憶測」「決めつけ」になってしまう場合もある。

何故ならば、どうしても自分の「価値観」というフィルターを通してしまうからである。「自分と相手は全く違う人間である」ことを大前提にしなければ、
結局のところそうなってしまう…。そして自分が予測した答えじゃなかったら傷つく..落ち込む..

で...何が言いたいかというと、「機微」を感じとるには、まず「自分の価値観を白紙」にしなければ
できないと思うのです…。そしてもう一つ、相手を尊重し信じる事。

もちろん、色んな経験や関わりから培った感覚は
必要なんですが、「先入観」や「憶測」「思い込み」「決めつけ」が入り込むと相手の心の機微が読めないからです。

私の場合、クライアントと向き合うときは、限りなく白紙になるようにしています…。(職業柄、巨大な黒板消しを持っているのです)

クライアントと向き合う際は、常に自分自身の問題や、悩みを解決していなければなりません。
黒板に書いたものを、きれいに消してもとの状態にするようなもの…。そこに相手の機微を感じて書き込む。

だからこそ、私自身の問題は、基本相談などしません。一人になり、無音の世界で自分と向き合い、自分の考えや行動を深くかえりみて「内省」し、一人で解決する、府に落とす...。
この繰り返しなんです。日々修行のようなものです。とても時間を要する事もしばしば。。ですが、内省を繰り返し、そこから何かを学んでいく事が大切な事なのかもしれません。

内省(reflection)の目的は、自分自身や周りの人を責めることではなく、公平な第三者の目で自らの思考や行動を観察することです。
そうして気づいた事柄から自分の言動を改めるように努力することにあるのです。


そうは言っても、私も一応一人の女ですから(笑)落ち込み、悩み、悲しむ。。自分の感情や相手の言葉だけに囚われてどうにも整理がつかないこともあります。
「カウンセラーだから悩みがないでしょ?てか、悩まないでしょ?」って言われますが...カウンセラーだって人間(笑)悩むのです。


そんな自分を内省する時、自分に課すキーワードが「自己責任」「許す」「感謝する」の3つです。これをもって内省すると
人を恨まず、妬まず、比べず、怖がらず、悲観的にならず整理出来る気がします。

内省で自問自答する時は、こんな風に自分に問いかけます。

■自己責任。。。「その事柄は自分でやりたいと決めてやった事なのか否か?」「自分以外の外的要因があったのか?しかし本当にそれが原因なのか?」
■許す。。。「許せない理由は何か?」「許さないことで自分にも相手にもどんな影響があるのか?」「許すことで自分にも相手にもどんな影響があるのか?」
■感謝する。。。「この経験のおかげで●●に気が付くことができた」「この出会いや縁によって●●のように幸せに感じる事ができた」「それは当たり前ではない..有難き事だよな・・」


そうすると、その時は自分の価値観や、言葉、瞬間的な感情に囚われて、見えなかったことが見えてきたり、気づいたり、納得したりする事で素直になれたりもする。
だから、その時に素直に言えなかった「ごめん」や「ありがとう」「おかげさまで」は、どんなに時間が経っても相手に伝えようと思っている。

こうして、

心の機微が捉えられる人間になるには、「内省出来る事」が重要かもしれないと思うのであります。。

そして何を隠そう私自身....新年早々から内省の自問自答しております。。















女らしさって?

2016-01-04 14:07:29 | 日記

新年早々。。前回の「男らしさ」に続いて「女らしさ」についてちょとだけ掘り下げてみようと思う。。(一応前回約束した事なので。。気が重いが書いてみる..)

まず、文献より抜粋引用すると以下が書かれてある。。

「女らしい」性格とは

・お喋り上手で会話していて楽しい
・喜怒哀楽の感情表現が豊かでわかりやすい
・自分から挨拶したり話しかける社交性
・のんびりしていて安らぐ、癒し系
・謙虚で素直、控えめな態度
・基本的に男を褒めて立てる
・スイーツや甘いものが好き
・恋愛は一度好きになったら一途に思い続ける
・悪口や陰口、愚痴や不満などネガティブな話題を口にしない
・気配り上手で気が利く
・素直に甘えたり男性を頼る
・寛容で全てを受け入れてくれる優しさ


と書かれてある。へぇ~と思いながら読んでいたが、次の瞬間いくつかの矛盾点にばかり見えてきて「おるかぁ~そんな女っ!」って叫びたい衝動に駆られた(笑)

そして以下も文献から抜粋引用

「男性が求める女らしさ」って?

■男性は女性に対して、安心感があって素の自分、自然体を出せる、居心地が良い、一緒にいて落ち着く、 一緒にいて楽しい、などのリラックスできる要素があること
■細かいところに気がつく・細やかな気配り
■美しさを保つための努力
「化粧を入念に行っているところ」「常にきれいでいようとするところ」
■しぐさに表れる
「異性の目を気にする際にするしぐさ」
「何気ないしぐさ。女性として生きて来た素の部分が出るのだと思う」
「髪のかきあげ」
■女らしい振る舞いとは?
「物腰のやわらかさ」「おしとやかな言動。かわいいくしゃみとか」
■やっぱり家事力!
「キレイに整理整頓できる」「家事の手際がいい」「料理ができる」
■男って……!
「男の馬鹿を許してくれるところ」「かいがいしく世話をするところ」
「男のわがままを、笑って許してくれるところ」
■男性が見ているのはココ!
「身体のライン、くびれ」「指先」「歩き方とか食べ方」

等々。。。まぁ・・ガサツな私にとって、耳が痛い限りの事が書かれれあった。

結局のところ「本当の女らしさ」って男性の好みや価値観で決まるものなのかもしれない
そしてもう一つ、男性の「精神的な成熟度合い」によっても女性に何を求めるのかが変わってくるものかもしれない。
例えば、「母性的欲求を満たしてくれる人」「性的欲求を満たしてくれる人」「恋愛感情を満たしてくれる人」「精神的なものを与えたいと思う人」「知的な人」
精神的に成熟した男性ほど後者だったりもするのかな??

「男女の恋愛観の違い」については、こう書かれていた(以下文献より抜粋引用)

チョット面白いので自分と比較してみた(笑)

■男性は減点主義・女性は加点主義(私は加点主義)
■男性は熱しやすいが、女性は熱しにくい(私は熱しやすい)
■会えない日が長いほど恋人に会いたくなるのが男性・会えない日が長くなるともう会わなくても良いと思うのが女性(私はどちらでもない)
■恋愛感情が熱しやすく冷めやすいのが男性・愛情をゆっくり育てていくことができるのが女性(私はどちらでもない)
■1つのことに熱中してしまうのが男性・「ながら作業」ができるのが女性(私は一つの事に熱中する)
■仕事が忙しい時は恋愛をそっちのけにしてしまうのが男性・忙しくても恋愛を忘れないのが女性(その通り)
■愛情を行動で示すのが男性・言葉で示すのが女性(私はどちらもする)
■悩みを1人で解決したがるのが男性・彼氏に相談したがるのが女性(私は一人で解決する)


やっぱり「オカマ」だ。。(笑)

このように恋愛観についても、性差で違いが歴然としている。恋愛が・・男と女は「ままならない…」「すれ違い」「ズレ」は当然な気がする。

で・・私は何が言いたいかというと。。

私が思うというか、ありたいと思う「女らしさ」とか「恋愛観」は、このような一般論とちょっと違うという事。。

私がありたいと思う「女らしさ」とは、結局のところ、前回のブログ「男らしさ」の中で書いていたように、
「精神的に自立し、自分の内面と向き合い、内省し、言動潔く、足るを知り、慎ましく、謙虚であり、感謝できる」、敢えて付け加えるならば
いつも自然体で、愛嬌があり、思いやりがあり、誠実で賢く、感性豊かで、感情の機微が察知できる人。

私はそういう女性に「女らしさ」を感じるし、私自身も、そんな「心の豊かな女性」でありたいと思っている。

外見で言えば「清潔感があり、姿勢よく、色気ではなく品がある事、柔らかな中にも凛とした雰囲気がある事、立ち振る舞いや所作が丁寧」こんな感じである。
自分で言うのもアレですけど。。ハードル高いですね。。(笑)

「女らしさ」って男性視点で観るというか、男性の視線を感じて出るものかもしれませんね。。もはやよく分からなくなってきました(笑)

ちなみに、私は

「オカマ」「変態」と自負するだけあって
男性を観るとき重視するのは...

誠実さ・価値観・生き方・その人が持つ人間的な豊かさや、雰囲気
ストイックさ、無骨でも、人として深みを感じる人に魅力を感じる。
それが「色気」となって出てくるのかなと..

結局。。

男女を問わず、人として信頼できるか?尊敬できるか?安心できるか?という事が大切な事なんだと思ったりもする。

「女らしさ」ってやっぱり私には解明できない。。

最後に余談だが、ウエブで「女性度チェツク」なるものがあったので、やってみた
結果「女性度68%」何とも微妙な数字である。。やはり「オカマ」だ。。