nekomitu日記

ポンコツ日記

50/50 フィフティ・フィフティ

2018-08-28 10:26:10 | 日記



2018年7月19日

出勤前の早朝電話が鳴る…

先日、精密検査を受けた病院からだ…

「え⁉︎マジ⁉︎病院。。」思わず息を飲んだ。

「検査結果を…出来れば今日来れますか?」と検査した医師の声…

「え…結果良くなかったんですか?」

「ん…ちょっとあんまり良くないので…早めが良いかと…」

「マジか

とりあえずタクシーを飛ばし
病院へ

嫌な予感はまんまと的中…
癌宣告を受けた。

ちょうどその日は、今後の会社の方向性を明確にするための重要な幹部合宿へ発つ日だった…

6月初めての人間ドックで
「腫瘍マーカーCEA高値1ヶ月以内の要精密検査」
という結果を持って、6月末大学病院を紹介され、精密検査から約1ヶ月後のことだった。


そのほかにも要精密検査が4項目…それらは持病関連の予想の範疇だった。

癌か否か…50/50 フィフティ・フィフティの状態をググったりしながら約1ヶ月…モヤモヤすごした。


今年に入ってからずっと原因不明の体調不良が続き…

精神状態も不安定…
仕事は何やっても空回り…
自分の不甲斐なさを嘆き何度も泣いた
人間嫌いになっていった
どんどん自分が嫌いになっていった。

「自分の心と身体が自分のものでない」
そんな感覚の日々が続いていた。

初めて「誰かに助けて欲しい」と思っていた。

もしや…何かに取り憑かれたか⁉︎とすら思うほどだった。


そんな心中での

トドメの癌宣告…。

おっと…。
コレがTVで見たことあるアレ…癌の宣告なんだな


医師は病状について私に気を遣い
丁寧に説明しようとしてくれていたが

「先生…私癌なんですよね!」と医師の話を遮った。

「あ。うん…まぁ。そういうことなんですけどね💦」と医師が慌てる…

「大丈夫ですか?ご家族は神奈川ですか?」

「いえ…1人なので家族は熊本にいます」

「では…手術…しかも内視鏡で切除できないレベルなので開腹することになります。ご身内の方の同席も必要です…手術どうしますか?」

「娘さんには私から電話で説明ましょうか?…」やたら気遣ってくれる医師だった…。

そんなやり取りの中…
不思議と心は静まり返り
半笑いで話を聞いている自分がそこに居たのだ。

哀しいとか
辛いとか
不安とか
焦りとか
怖さとか

そういう感情は全くなかった。
「とうとう来たか!」というのが一番妥当な表現だった。

それより娘に何と説明しよう…
親一人子一人の私達にとって
それが大きな難関だった。

一先ずそのまま会社に戻り
社長に報告…

海をみたい…そう思い
その足で合宿に参加した。
道中色んなことを考えていた。

そもそも私は、昔から生に対する執着はほとんどなく。。色んな病気と戦い続けたので動揺すらしなかった。


でも、常に今を生きて来たから「後悔」は全くない。

癌という「ラスボス」とどう決着つけるか…そんな事ばかり考えて歩いていた。


合宿の間はとにかく忘れよう…
そう決めていた。
雑念を入れず議論に集中したかったからだ。

そして、怒涛の二泊三日の合宿も終わり…


さて…さて…

とにかく娘には話さないとな…
気が重い…でも
隠し通せる筈もない。

だったら私は、深刻にならず元気で笑っていよう…

「全然平気〜♫チャチャっと終わらせてやる」そう決めて熊本へ帰った。

私の55歳の誕生日は記念すべき誕生日となった

8月1日
金魚4匹と飛行機に乗り熊本へ

7日術前検査
12日入院
13日5時間の癌摘除手術を終えた。

病名は、S状結腸癌…大腸30センチ摘除と周辺のリンパ節切除

腹にはヘソを中心に15センチほどの切開の跡と四箇所に2センチほどの穴が開いている。術後の回復が比較的早い「腹腔鏡補助下大腸切除手術」だった。


※写真は術後ググった写真…こんなんだったのね

術後は39度を超える高熱が続き
痛みと震えと…意識は朦朧としていた。

酸素マスクが外れ

気がつくと身体のいろんなところに管が通っていた…

おぉ…コレが術後のTVで見るあの姿ね…笑

しかし…まぁまぁしんどいな





そんなこんなで眠れぬ夜を過ごし

今日で入院10日目だ…

こうして、ベットの上で
流れる雲を見ながら過ごしていると

動き続けた「まぐろ」←私
は、これまでの人生をしみじみと振り返る。


私の運命を変えた大切な人達との出会い
そして別れ…

一生完治しないリウマチとの戦い…

リウマチの合併症で併発した「繊維筋痛症」という難病と戦う日々。。誰にも理解してもらえず
詐病とまで言われた。

この2つの病気は今も戦っている

そして何より苦しかった15年前
闇に引きずり込まれた
重度の鬱病。

自殺のリスクがある…ということで閉鎖病棟に入れられ渾々と薬で眠らされた。あんなに辛く苦しい思いはもう2度としたくない…。


これらは全て、若い頃から自分の命を粗末に生きてきた代償だと思っている。



当時は

「自分を大切にしなさい」と周りに言われても
その意味がわからなかった。

そんなこんながトドメかと思いきや…まだ強敵おったかって感じ


無能が故、安楽に流され生きるのは罪なりと
戦い続けた人生だ。

理解されない厄介な性格や孤独でさえも
自ら自由を選んだが故の自業自得と言い聞かせてきた

だけど、ここにきて
ひとつだけわかったことがある。

それは、哀しみとか孤独とか辛さとか…自分に負けないように負けないようにって…

何か他の事で誤魔化して生きて来たという事はっきりとわかって来た。


誰かに頼ったり、泣いたり、甘えたり相談したり…そんなことしたら負けだとずっと思っていた。

だから人生のスピードを上げてきた。動きを止めるのが怖かった。

生き急いでいたのである。

止まったら負ける…
止まったらダメな自分に戻る…

何故そこまでがむしゃらだったのか?

たくさんの人に迷惑かけて来たからだ。

自分の安楽だけを求めたら
きっとバチがあたると思って来たからだろう。

あとは、自分は皆んなの支えによってこれまで生かされていると思ってきたらだ。

13日間という短い入院ではあったが

違う人生を歩みだすためにいろんな事を考える分岐点となった。

「ほんとうに大切な人」って誰だろう
「ほんとうに大切な事」
「ほんとうにやりたい事」
って何だろう

考える時間はたくさんあったので
ずっと考えていた…


私は何のために
何を支えに
残された人生を生きて行こうか…
どんな終活をしようか…

この闘病生活の中で、身体の中から癌を摘除したと同時にもうひとつだけ身体から摘除したものがある。


それは、ここ数年間ずっと
想い続けてきたひとつの複雑な感情だ

それは
癌や病と同じように
どんなに苦しくても、哀しくても耐え続けた事。諦めたくても諦められなかった事

いつかは身体と心から摘除しなければならない執着にも似たこのたった一つの感情が故に

心が温かくなったり
強張ったり
ささくれたり
自分を見失ったり
ごまかしたり
自暴自棄になったり
一人泣いたり
私の喜怒哀楽の全てを掴んで離さなかった。

この感情の摘除もまた
時を同じくして神様から与えられた試練なんだろう。

そう思った。

8月25日
娘の家で在宅療養に入る。


娘も今年で31歳…
やんちゃ盛りの孫を抱え
頑張っている。彼女もまた私の娘で生まれたが故
波乱に満ちた人生だ…

「不器用ながらもよく頑張ってるな…」そう思う。


在宅療養は、マグロな私のせっかちを封印し
ゆっくり動きながら

洗濯して
料理したり
お弁当作ったり
掃除したり

普通のゆっくりとした専業主婦の暮らしだ。

こんな生活は
娘を妊娠してた頃ぶりだ
ということは30年ぶり…⁉︎

それ以外は
ずっと挑み続け走り続けた人生だった

広い空、綺麗な熊本の水と空気
そんな当たり前のことが

こんなに幸せなことなんだと
しみじみ思う。

もうそろそろ.マグロも
ゆっくりと生きてもいいのかな…55歳だもんな…

ふとそう思った。


誰かのために、家事をして
季節の移り変わりを感じて
ゆっくり散歩とかして


私が本当にやりたい事はごく普通の
そんな事なのかもしれない。

離婚して、自由を得たと思っていたのに未だ誰かのために生きたいと思うなんて…
自分でも驚きだった。


料理が楽しい
美味しいと言ってもらえるのが嬉しい
汗をかくのが気持ちいい
洗濯や掃除が清々しい
空を眺めて歩くのが嬉しい

なんだか…人間らしい暮らしをしてる…

ここ数日の私の心境はそんなところだ。


何か信じられる確かなもの…
何か穏やかに過ごせる優しい事…

それを探してみよう。17歳の老猫を
撫でながら「必ず一緒のお墓に入ろうね…」
そう呟いていた。

9月12日の外来で病理検査の結果
癌のステージと治療計画説明があるらしい。コレがどう出るか。


どのみちこの先5年間
癌の再発と転移と背中合わせの

50/50 フィフティ・フィフティの人生だ

他の敵が攻めてくるかもしれない…
明日のことなんてわかんないのだ

だったら
もっと日々を丁寧に生きてみよう。