nekomitu日記

ポンコツ日記

本音

2016-07-09 20:14:29 | 日記


私は、仕事を共にサポートし合う関係者を
男女を問わず、ビジネスパートナーと呼んでいる。年齢もバラバラの経営者の方々だ。

ある人は、「誰か資金的に助けてくれる◯ゲがいるの?」みたいに大きな勘違いをされた事があるが(笑)決してそうではない。

何故パートナーと言うかというと、利害関係を抜きにして共に成長し合おう!良くなろう!というwin-winの関係性を重視した関係だからである。

パートナーという表現が、◯ゲ親父がいる...という発想にはマジで笑ってしまった。こんなオバはんに付いてくれる◯ゲ親父って一体幾つやねーん!と突っ込みも入れたくなる(笑)

さておき、このビジネスパートナーとは、仕事以外の場所で時々コミュニケーションをとるようにしているが、この時間が何とも刺激的で前向きになれる時間である。

時間が足りないくらい、自分たちがやりたいことについて熱い議論を交わし「無理とか出来ない」という単語が出てこない。「どうしたらできるか?」を互いに意見を出し合う。

むしろ「無理だよ出来っこないよ」と言われると尚更ムキになるメンバーなのかもしれない。
負けず嫌いな所もあろうが、人が他出来ない、事を出来るようにする事に価値があると思っているメンバーだろう。

そして気がつけば、議論の中心にあるのは「皆んなが良くなるために」という事と「社会貢献に繋がる」という事

そこには、自分の意見を通すための「建前」で話す人は誰もいない。


どんなに本音で直球で話しても、互いに受け入れられているし、笑っているのである。

仕事で繋がった縁なのに、こんなにも本音で話せる事はある意味すごい事なのかもしれない。

所謂、仕事の価値観が合うのだろう。

だから、何時間話しても疲れないし前向きになれる。視野が広く、高くなる。。そんな感じだ。

価値観が初めから合うから集うのではなく、互いの価値観を受け入れつつそこに何らかの学びを見出す関係性なのかもしれない。互いを尊重し尊敬し合っているのだろう。

ふと、考えると友人関係も恋愛も夫婦関係も
そういう関係が理想なのかもしれない。


そうは言っても。。

ままならぬのが人間関係

どこかで「駆け引きや建前」でお互いを探るところがあるのではないか?しかも自分が意図しない反応が相手から返ってくると、落ち込んだりムキになったりする。

本音で話したら嫌われるのではないか?

そこには「嫌われたくない」という心理が働くからだろう。

男女の関係においては、それが如実に出るのかもしれない。

では、何故「嫌われたくない」と思うのか?
それは、孤立する事を恐れているか、所属欲求なのか?この人たちに嫌われたりすると、自分は孤立してしまうのではなないか?

波風立てない...相手に合わせた方が嫌われずにすむ...と無意識に建前で付き合ってしまって、それを本当の自分と錯覚してしまう事だってあるだろう。

本当は腹が立つ事もあるだろうし不条理だと思っている事もあるだろうに、理性で抑えているのかもしれない。それが大人なんだよ。。という人もいるが、私はなんだか釈然としないでいる。

大人になったら、言いたい事も言えないのか?本音ぶちまけたらいけないのか?大人は理性だけで生きなくてはならないのか?

波風立てず建前で上手く付き合っていく人からすると、こんな事言う事すらきっと「大人気ない」と言われるのだろう。

私の持論はこうである...

あくまでも、自分の意見や本音を、相手が受け入れやすいような伝え方で伝え、相手の本音も受け入れ咀嚼する努力をするのが大人じゃないのか?と...

ところで...じゃあ大人の定義ってなんなんだろう??

要領良く?物分り良く生きる事?万人から好かれるように振る舞う事?いずれにせよ社会と上手く適応していこうとする事なんだろう。

だとしたら、それは自分自身ではなく「大人を演じる自分」に他ならない。

議論しようとすると「そこは、まぁまぁ..大人だから...」となかった事にする人がいるが、私は実に不完全燃焼になる。

場の空気を察知するというのは、勿論はわかるが、なかった事になし崩しにするのは如何なものか?

ま...面倒くさいという事だろう。

ということは、紛れもなく私は、面倒くさい女なんだろう(笑)

時には、自分から真剣な面持ちで「◯◯についてどう思う?」とか「◯◯は間違ってると思わない?」などと議論を持ちかけておきながら、私が「私はそうは思わない」と、意見に同調しないとか、反論するとか、自分の意見を言うと

「まぁまぁ...そこは、そんなに真剣にならなくても...」的な事を言われる事があるが、だったら初めから持ちかけるな!と言いたくもなる。

私が、職業的にというか性格的に「何故?そう思うのか」を質問しすぎるからかもしれない。

結局何が言いたいかというと
本音という事、大人という事の定義は千差万別であると言う事。そして、本音と思ってる事は、以外と建前だと言う事だったりするという事です。

わたしは、これから先も「いい人」になるつもりもないし
付き合う相手も男女を問わず本音で付き合える人と付き合いたいと思う。

本音と建前は、私にとって「裏表」と捉えるからだろう。


































闇をぬける

2016-07-03 12:02:11 | 日記


ある日、何故?あそこまで赤裸々に自分こことをblogに書くの?と問われた。

目的は、「自分の今を生きた証を履歴を残すこと」だと自分の中でブレないことだったはずなのに、ふと考えてしまった。

わたしは、自分の人格を形成したバックボーンを誰かに知ってもらいたいのだろうか?

はたまた、ただ「自分は他とは違う」という自己呈示欲求が騒ぐのか?

誰かに認めて欲しいのか?
愛されたいのか?
自分はここにいると叫びたいのか?

答えはない...。

混沌とした精神世界の中でもがいて生きているようだ。

朝目覚めると、そこには夜の精神世界を抜け出した違う自分が座っていて...
現実を目の前にし、社会に上手く適応しようとしている。

私は、自分の中で満たすことのできない葛藤や欲求を、消化不良になる前に、文章に書き起こすことで昇華させてるのは間違いない。

「あなたは考えすぎだよ」と人は言うが
考えているのではなく、もがいているようにさえ感じる。

何かしら自分の中で解放したいものが他にあって
それにたどり着くためのプロセスかもしれない。

社会適合人として演じる自分も、紛れもなく本当の自分であるが、そんな自分を、粉々に壊してしまいたい衝動にも駆られる時がある。


今朝、歓喜するほど夢のような嬉しいことと、哀しみと後悔に押しつぶされそうな事が一緒に起こった。

瞬間的に心は高揚し誰かに話したいほどの衝動に駆られたが、次の瞬間

深い哀しみを伴う現実は、その喜びを一瞬にして打ち消した。

その場で泣崩れそうになったけど、震える身体を自分で抱きしめ、涙をこらえ、混乱した心のまま仕事に向かった。

心の落ち着けどころは、社会人としての責任を全うすることだけだった。

ジリジリと照りつける太陽、青く澄んだ夏の空を眺めながら
私は自分の心に問うていた。

「本当の優しさって何だろう?大切なことは何だろう?」と

答えは分からないまま
仕事先に入り、そこからは、社会人として責任を必死に果たそうとする自分がいた。

気がつけば、何事もなかったかのように仕事のことで議論していた。誰かを励まし前向きに成長していけるよう動機づけするのが私の役割なのだ...


現実はそんなもんだと分かっていても、時々残酷に感じることがある。今日はそんな1日だった。

不条理と思えること、苦しみ、哀しみ、葛藤、それでも生きてる限り、そこを乗り越えよ...と言われているようだ。それが生きるということだと...。

心の機微を言葉にすることで整理されていく私の思考。

そんな複雑極まりない自分を持て余しながら
きっとこれからも生きていくんだろう。

とはいえ、そんな私の笑顔や言葉を頼りにしてくれる人がいる。その事が私に明日を生きる勇気を、前に進む力をくれる。

そして、私の心の機微に気がついて優しく真摯に向き合い支えてくれる人がいる。

男女の関係なく「人として貴方のことが大好きだ」と言ってもらえた時は言いようのない喜びがあった。

私の人生は、結局のところ喜びに満ちて幸せな人生なんだと思う。哀しみを乗り越えた先に必ず光がさす...ずっとそんな人生だ。

暗く重たい闇のトンネルは、時には長く、時に短い。だけど必ず誰かが手を差し伸べてくれ、光が差す出口へと背中を押してくれるのだ。

だから今日もこうして、人を恨まず妬まず、感謝して眠りにつけるのだろう。



































怒る

2016-07-02 17:32:44 | 日記


私は怒ると「瞬間湯沸器」だと...私をよく知ってる人の間では当たり前の話。。

昔から短気で、すぐ激高する....喧嘩っ早い..そんなこんなで何かと損をする事が多かったのですが、不思議なことに、見かけは短気に見られません。

本気で怒ると、そんな湧き上がる感情を鎮めるかのように「ひたすら沈黙」若しくは「瞬間的に罵倒する」のどちらかです。

だけど寝たら以外と我に戻っている事が殆どなんですが、この衝動をもちっと穏やかにならないものか?と最近思うのです。

いずれにしてもこれは「自己防衛反応」なんですね。自分が傷つく事から自分を守ってるわけです。

あ!しまった!又やっちまった!と思うくらい瞬間的にやってしまうこの衝動は、自己防衛反応と言えども人様に迷惑をかける事があるのです。

特に、自分のことよりも自分が大切に思っている人に関わる事や、自分が馬鹿にされたと思うと烈火の如く怒る。

実は、つい先日もやってしまいました。「テメーふざけんな!殺すぞゴラァ!」みたいな事を言ってる場面を偶然娘に見られてしまい...「しくじった!」と思った時は既に遅し...「昔の血が騒いだろ!」と娘から言われる始末..。

そうです。本気で瞬間的に激高すると、命の危機さえ省みない行動を取ってしまうのです。

では、何故そうなったか?

幼い頃は、大人しくて手のかからない聞き分けの良い子だった私が、思春期からそんな自分に変わったのです。

一つは、大人しい自分に嫌気がさして、自己呈示の方法として(メンツを守るため、男らしさや勇敢さを示すため)行われる攻撃をしてきたのだと思うのです。男じゃないですが女である事を良しとしない思春期があったのは自覚があります。

怖いものなんて何もないと思っていたし、自分は1人だと思って生きていました。

何故か弱いものいじめや、潔くない言動を嫌い
そんな事を目の当たりにすると徹底的に叩き潰す位の勢いで攻撃するのです。

正義感が強いからねぇ〜と友達に言われてきましたが、そんな事では済まされないのです。自分の中の何かが衝動を抑えられないのですね。

本当は、気弱で、ネガティブで、寂しがり屋で、ロマンチストな面が強く自覚してたりするんですが...ままなりませんね(笑)

何度もblogで触れてきたように、オカマ?多重人格?と思うほどギャップがある独特な自我が何故か形成されていったのです。

大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ〜」なんて言ってしまったり、悩みでパンパンなのに「悩みなんてなぁ〜い」って顔で強がったり。。

本当の自分が何処にあるのか?って迷走することもしばしば。。

だけど、どちらも本当の自分なんですね。

その事が理由で恋愛もなかなか上手くいった試しがありません。

だけど、35年来の親友と私の姉の2人だけは、こんな私の両方を理解してくれています。だから何も気負わず一緒に居られるんですね。

そして悪態ついたり我儘言ったりするんですが、サラリと笑って流してくれるんですね。

何より、どんなに強がっても全て見透かされてるんです。いつも背中を押してくれるのも勇気をくれるのも、本音を言えるのもこの2人だけなんです。

そして、カウンセラーでもある私を、唯一カウンセリングできるのは、実の姉だけです。

私は、きっと、この親友とか姉みたいな男性が理想の男性なのかもしれません(笑)

姉は、私とは全く違う視点で、冷静かつ客観的に物事を見る事が出来るので、悩みを相談した時に「え〜!」と、目から鱗みたいな意見をくれるので自分を改める事が出来るし、人の見方も変わっていきます。

何より元気になるんですね。だからなんだかモヤモヤしてると姉と時間を過ごすことで自分を取り戻すこと多いんです。

そんな姉とも、思春期頃はよく喧嘩して..私が手ををあげたりすることもあって、毎回私が姉を泣かせてしまっていたんです。その頃は「怖い妹」で有名だったらしい(笑)

とはいえ、私は公私ともに、本当に人に恵まれた人生だと思っています。

こんなヘンテコで不器用で、アンバランスな私を、皆んな優しく励まして力をくれるのです。

私が本気で怒るのは、この大切な人達のためだけにしたいと思う今日この頃。。

この歳になっても、中身は中学2年生のまんまの私を否定することなく生きて行ってもいいのかな。。なんて思いながら^_^