桶狭間の合戦の勝敗に勘助が関わっている~!?!?
と、先週はそこに至るまでの過程を観て、結構気持ちが下降気味だったのですが、その割りに楽しんで観られたと言うか、軍師というものの恐ろしさを、勘助の行動、言葉から表情から、全身から感じて、それなりに面白かったように思いました。
面白がってる場合じゃないですね。
永禄3年(1560)5月、麗しの義元様が終にお亡くなりになってしまいました。
亡くなる瞬間は映されませんでしたね。
変な早回しみたいな映し方に、今川方の「まさかまさか」という気持ちが現れていたんじゃないかと思います。
・・ちょっと軽かったですけどね。
家臣、岡部元信の頑張りで、織田が持っていった義元の首だけは駿河に戻ってくることが出来ました。
寿桂尼の言葉によれば、悔しそうな顔をしていたようです。
敗戦を知った時、家臣たちを労う時、亡き我が子を迎える時、寿桂尼の気丈さを感じました。
勘助が今川家臣・庵原之政を頼って、義元にお目通り叶った時も、長笈が寺を抜け出して(ということになっている)信玄の命を狙ったため、仕方無しに討ち取った、という話を聞いた時も、自分が関わっていることを微塵にも表さなかった寿桂尼だっただけに、桶狭間の一件を勘助があまりにも心配そうに確認に来た時に、勘助の真意を感じ取った時の彼女の衝撃がどれほどのことなのかが、よく伝わってきました。
尾張で名を上げ始めていた頃の織田、勢力はまだまだ今川の敵とも思えないくらいのものでした。
合戦に出兵した数、25,0001500。
おまけに尾張を手に入れたら、天下を取ったにも等しい位の思いでいましたから、義元は油断していたのでしょうね。
ちょうどそこへ、今川に不信感を抱いた信玄と勘助がうまく絡んでいるわけです。
突然多分織田がよこしたであろう僧が甲斐を訪れたり、軍議にも参加出来るほどの今川の重臣・庵原が軽はずみな行動を起こしたり(武者震いしすぎ)、気になる点はあるのですが、とにかく歴史は動いてしまいました。
伝兵衛情報(凄い!)桶狭間のあたりを織田の兵たちが下調べしているみたいだった、によって閃いた勘助の進言、「桶狭間には行かず、すぐに清洲城を攻めた方がいい」
を義元が聞くわけがありません、というのが狙いです。
雪斎が同席し、冷静に聞いていたならば、勘助の言葉に疑問を抱いたに違いない。
そんな感じは、かなりしますね。
父の死に号泣する義信の妻・綾。
義信や三条夫人の悲しみ、こうなることは分かっていたではないか。
そんなの関係ない(むしろそうなった方がいいと思っている?)、という勘助や、夫であり父である信玄までもが、全然憂いてもいない、そういうところがどうにもすっきりしないのですよ。
今川の先鋒で活躍した、期待の松平元康(後の家康)には寝返られるし、家督を継いだ嫡男は頼りないし、そんな今川に8年後、武田が攻め入ったらしいですね。
武田に向かって
「良うした」
なんて全く思えない。
そんな武田さえも、その後長く栄えるわけでもなく、人の哀れさを感じるくらいがやっと、という感じですね。
信玄暗殺にしくじった平蔵ですが、宇佐美に軍師的なことは向いてないと、きっぱり言われてしまいました。
今回の、相手を陥れるためならしゃあしゃあと演技を続ける勘助の姿を見ていても、平蔵にはムリ、というのがよく分かりますね。
が、武田憎しの思いが捨てきれないようで、宇佐美に拾われ、修行かたわら越後の一兵士として今度は武田に立ち向かっていくのかな。
さて、その間景虎は再び上洛し、正式に関東管領職に付くことになります。
いよいよ関東・北条に向けて出陣、上杉憲政嬉しそうです。
が、次回景虎、氏康に向かってえらい事やってるみたいでしたけど・・いいんですか?あれ・・・。
↓ いつもお世話になっております♪
あらすじなど、ご参考にどうぞ。
「風林火山」公式HP
>庵原が軽はずみな行動を起こしたり
勘助の親戚なんですよね?(ゼンゼン似てないし)彼が登場した時は「おっ♪さくらこさん」と思ったんですが「今川の内情」を勘助にベラベラ喋ってしまったり「桶狭間」に陣をひいたり・・・これって勘助の入れ知恵かもしれませんね。ハッキリとは描かれていませんけど。
彼にしてみれば「勘助」→「親戚」=「同盟国の軍師」=「名案」という認識だったんでしょうけどね。
>武田に向かって
「良うした」
なんて全く思えない
ワタシはもう随分長いことそう思ったことがありません。フグ&カンの顔を見ただけで・・・おえ(><)
あ、そうだ、庵原と勘助って、従兄弟なんだ。
似てない~、だからすっかり忘れてた~~><。
久々に出て来たのに、いいとこなしでした。
そうですね、あの義元でさえも、いとも簡単に操作されちゃいましたから、従兄弟という、心を許せる相手だから、余計に勘助の策に簡単に掛かってしまったんでしょうね。
こんな悪い主役でいいのでしょうか。
私も随分前から、アンチ武田ですよ。
坊主になってから特にかな。
まっとうな飯富さんたちが、なんともおいたわしく思えますよね。
武者震いの人。
あぁ、私も忘れてたw
従兄弟だったんですよねww
武者震い君・・・優秀な武将という認識(史実的に)だったのですが、今回は・・・いいとこなしでしたね・・・。
というか、今川全体がいいことなしです!!ははは!!悲しい!!!
策謀に関してはやはり勘助の方が一枚上手でしたね。
勘助は雪斎に
この世で信じられるお人は
御館様と四郎様と由布姫様のみと言ってましたからね。
この御三方のみにしか情をもたない。
それ以外の者達はたとえ親戚であろうと
利用できる者は徹底的に利用する。
ここが勘助と虎昌の違いでしょうね。
さて、前にも触れましたが
桶狭間より8年後に武田は駿河に侵攻
それから2年後の1570年に武田は駿河を完全に平定。
そうして武田家は更に領土を広げ繁栄をしますが
その間に
信玄に対する謀反の罪として
飯富虎昌 自害
武田義信 自害
義信の妻・綾姫は同盟を破ったとして駿河に送られ
北条氏政の妻であり信玄の娘である梅は武田が同盟を破ったとして
子供と別れさせられ甲斐に送られそれから間もなく死去
そして駿河平定と共に三条夫人が亡くなりますからね。
信玄の名声の陰で
義信が言ったように「犠牲」になった者達が数多くいた事を考えると
何をもって「名将」とするかは考えてしまいますね。
ドラマとして客観的に見たらわりと面白かった回なのではないかと、
私も思うのです。
でも、客観的に見られないっ!!!
義元殿の軽いご最期も悔しいし、
寿桂尼さまをいじめる勘助もキライッ!!!
いまいちかっこわる~い終り方。。
残念ですよね~。。
勘助のあのとぼけた表情すごい!さすが!
とっても平蔵なんてそんな風になれるわけ無い!
はやく諦めて子供達と平和に暮してほしいんですけど。。(´Д`)ハァ…
桶狭間情報は伝兵衛からというのは意外でしたね。
今回の件で、勘助と義信・飯富の対立が激化した気もします。
主君である信玄公の生命に危険が迫ったということで諏訪寅王丸を独断専行にて殺害した飯富虎昌。そのことを棚に上げて勘助を問いただし、責めるのこと自体言語道断です!義信に対する感情が入りすぎています。今川方の刺客プレゼントに、返礼しただけです。
勘助の経験が上回りましたね( ̄ヘ ̄;)ウーン
個人的にはあの桶狭間ですが…(・_・)ノ■ レッドカード
尾張出身の人間としては残念です!
あんな結末はよろしくない!
渦さんの納得の行く描かれ方ではなかったので、残念でしたね。
所詮、今川は脇役、って言うような扱いでしたね。
義元様がどれだけ「風林火山」の視聴者の心を引き付けているのか、作り手はご存じないのか?
それこそ下調べが甘いような気がします。
武田・勘助の恐さを見せるのもいいですが、ここまでやると、後が心配です。
勘助の最期なんてどうでもいいよ~、なんて多くの人が思うようなことにならないように・・。
渦さんが義元(と言うか今川かな?)贔屓なのを多くの方が知っているので、たくさんのコメントで盛り上がっていましたね。
何とか気持ちは落ち着いたみたいで何よりです。
なんか、持つべきものは仲間だな、って言うか、ね。
私は庵原武者震い贔屓ってのは関係無しに、あの扱いは絶対おかしい、って思ってます。
例えば武田の重臣の誰かが、こんなにぺらぺらと内情を話しますか?
北条の、長尾の誰が話しますか?って、普通に考えておかしいじゃないですか。
実際いい家臣だったんですね。
それを聞いて、安心・・と同時に、やっぱり無念ですよねー。
名声の陰で犠牲になった者たち。
そこなんですよね。
あの時代、全然犠牲もなく全国に名を轟かすくらいの武将になる人なんて、皆無なのかもしれないけれど、勘助にしても、正室とその息子に夢を託し、忠義を尽くすなら分かるのですが、側室母子に対してしか忠義を尽くさない、と言うのが、どうも偏った考え方と言うか、それがこの物語の面白いところだから仕方がないのでしょうけど、
えっと、つまり。
このドラマでは、三条夫人や飯富の方が、とてもいい人、と言う感じで描かれているので、勘助(や信玄)が本当に悪者に見えてしまうわけです。
勘助の方が一枚上手、って言うのが、凄く悔しいと言うか・・。
同じ武田を描いた作品でも、三条夫人がもっと嫌な女性に描かれているものなら、勘助に対してもそこまでも感じないのかもしれないですね。
駿河と三条夫人も繋がりがあったわけなので、武田がするが平定、と言うのは、彼女にとって辛い出来事だったのかもしれないですね。