創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

理想の世界を実現するために

2015-08-31 12:23:44 | 思想
理想の世界を実現する条件とは
 世界を見回しても理想のビジョンも持たないままに、現在の政治を場当たり的に施策を積み上げることしかできない人物がほとんどだろう。というのも未来を、どのスタンスで描くかにより、まるで異なるビジョンができあがってしまう。そしてと日本国内だけではなく、世界の過去の多くの歴史の成功や失敗の原因を検証することで学び、現状を踏まえた未来像を近未来、さらには長期の未来像として描く必要があるはずだ。現在は、欧米を含めて未来像を描きにくくなってしまっている。原因のひとつには共産主義あるいは社会主義思想の負の遺制も、マルクス主義者達によって完全に迷宮へと送り込まれてしまった。すでに思想界全体も行き詰まり、また産業の激変に対しても世界各国は適切に将来を見据えたビジョンを打ち出せていはない。めまぐるしく変化していく社会の全課題を分析して見抜く目と、大衆の視点に立ち意識的な産業のコントロールや、どうすれば産業のバランスの良い発達を意図できるか、世界規模での産業と経済連携をどう構築するか、政治的課題と個人にとって何が本質的な問題か、それをどう克服するのか。
 
 具体的で身近な課題から考えていきたい。
 その第1には、国軍を持たないこと。
 このひとつを上げただけでも、おそらくほとんどの人は、ここで途中で読み捨てて、ばかばかしいと目をそらすに違いない。しかし、これをいうための根拠なら枚挙にいとまがない。概括すれば、まず近代国家が形成されるためには産業革命と共に絶対君主制から共和制へと西欧世界は政治機構の大きな変貌を遂げてきた。民衆への権力の移行と近代立憲国家の樹立だ。しかし同時に植民地政策へと転換し、各国家同士の争い、さらには軍隊を増強し世界の覇権争いが後進地域の植民地争奪戦へと世界戦争への道を歩み出した。この時期から、ほぼ現代の国家形成の理念や政治体制の基礎はできたといえる。しかし、おおくの人類の生命が失われ、その犠牲の上に力を背景として相手を制圧し、侵略したもののが支配するという価値観も常識となった。しかし思想を背景に民衆が蜂起した。レーニン率いる社会主義革命だ。しかし、これら一連の革命はプロレタリア独裁国家を生み出し、さらなる民衆の弾圧と恐怖政治を引き起こした。ここで私たちが学んだのは、革命以後、革命組織は解体するはずだった。しかし、軍隊が民衆の弾圧装置として強力にその役割を担った。中国共産党も軍隊や警察が民衆を弾圧する権力となった。はしょって歴史を辿ったが、まず国内的に軍隊が国民に対してどう機能するかだ。国家組織は法という規範を背景に、実は既存の国家体制を変革しようとすれば、それを保守するためにも軍隊や警察が権力として弾圧し押さえ込む。日本の明治維新以降の権力の動きをみれば理解できるはずだ。戦後民主化が外からなされたとはいえ、日本の政治支配体質の核の部分は少しも変化することなく、日本には明治以降に培われている支配の観念と構造が底流を脈々と流れている。その封建的支配の全遺制を意識から完全に払拭しないと、真の民主主義は達成されないばかりか、軍隊や警察権力は国民を弾圧する装置として確実に機能する。次に、国軍が対外的な役割としては国家同士の戦争手段として機能するということだ。現在の世界の状況をみてもすぐに分かることだが、軍拡は止まることがない。一色即発の事件や小さなトラブルが国家同士の全面戦争へと向かい、相互に国家は疲弊し、両国民はその戦争のために命を落とし、家族は離散し貧窮にあえぐことになる。戦争では個人が国家の一員としてとらえられ、国家目的のために強いられて命を奪われてしまう。その原因が為政者の実につまらない理由であったとしても、共同体は個人を強制する。このあり方、考え方そのものが誤っているにもかかわらず、もっとも重い価値のある個人が国家のために尊い命を失う必要は絶対にない。つまりあらゆる国家は軍隊を持つべきではないし、個人を支配し圧殺するのが国家本質である以上、理想の未来像を描くとすれば国家は解体し個人がより自由に個人でいられる状態を実現するための努力を優先すべきだというのが、われわれのスタンスだ。
 ただ、国軍を廃絶することは一気に実現できるものではない。まず軍隊を持たないために、わたしたちは何を考えて何をすべきかが現代の先鋭な課題だ。私たち人類は、考えることも現実に取り組んでいることも、そして現に実行していることも非常に鞭で稚拙で遅れている。現状に立って物事を考えては、この難関を打開し超克することなど、到底できない。むしろ、さらに力を背景とした強国の論理の世界で物事を考え、再び過去の悲惨な覇権争いの低次元な歴史を繰り返すだけになる。われわれは過去の駄目な歴史を反省して、つぎにどう取り組めば良いかを考えている。国民を犠牲にすることは絶対にだめだという前提に立っている。人の命を粗末に扱う発想の戦争も、そしてそれを生み出す国家共同体も駄目なんだとはっきりと主張している。国連など平和安保理のあり方をみても、もはやなんの機能もなしえない組織にすぎない。
 そこで、以前にも提出した、まず「戦争をするかしないかという現在のもっとも重要な決定は、政府の閣議決定や総理の権限で実行できてしまうような安易なシステムを変え、国民がそれをみずからチェックし規制できるようにするために制度を構築する必要がある。また国民自身が国民主権者として自主判断を委ねられるようにするためにも、政府のリコール権と戦争するかしないかの国民投票を行う。」という条文を憲法に盛り込むことが先決だと訴えている。これさえ盛り込めれば、1人の権力者のみの権力で国民の命を犠牲にすることなどできなくなるという歯止めが掛けられることになる。開かれた国家を作ることは、21世紀の大きな課題だ。開くとは主権者である国民がすべての情報を保有することを意味する。と同時に、重要な決定権は、国民自身ができるような制度にする。これこそが真の民主主義というものの第一歩なのです。現在の戦後民主主義など、お話にならない制度と化し、中央官僚支配と政権与党のたった1人に絶対権力を与える権力機構となってしまっている。これを真の民主主義にするために、真の国民主権を実現するために私たちは提案している。 続く


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