創造的深化

より納得のできる未来を、考えてみるには・・・

2015年8月30日(日)に向けて

2015-08-27 12:38:40 | 政治   
2015年8月30日(日)に向けて
中国毛沢東思想・ロシアマルクス主義が、かつてスローガンにしていたのは知識人は大衆の中へと入り、実践することで知識人自身が、その理念に目覚めることを正しいとしていた。また、労働者は理念を獲得し、組織労働者としての理念が獲得できると考えていた。知識人はオルグと称して大衆の理解できるように平易に分かるように理念を伝えることで、大衆を立ち上がらせることが革命につながるとも考えてしていた。
なぜ、これらがダメなのか。知識人は知識を放棄して労働過程へと入り、労働者を意識革命という洗脳すること、理念を感化させることが知識人の本当の実践的な行為につながるか。あるいは自分が肉体労働をし、労働過程から離脱しないことが本当の知識人とはいえないのか。そうしないと自分は大衆とはいえないのか。 これが実は、大きな課題であり、大論争の根本的な問題になった。組合をやらなければ、ただの傍観者として党員をはく奪される。あるいはそれ以上の弾圧すら受けることにもなった。 知識を獲得し、知識を登り詰めようとしていくことは知識にとっては自然過程である。人類が生み出してきていた科学の進歩を破棄して、否定して人間が後退して過去の時代へと後戻りすることはできないのと同じだ。知識人は知識の課題として大衆の存在を獲得すべきであり、また大衆は権力を拒否することで自己深化をすべきであった。知識人は大衆の対しては平易にかたるべきであるという考えは、実はまやかしの虚偽理念であり、大衆を愚ろうすること以外のなにものでもない。 まさに大衆像という理念を自己深化する以外に、抜け出す道はなかった。そのことがマルクス主義思想には欠落していた。
 いまの、まさに反動安倍政権の政治理念と、アメリカ追随の自立できない属国外交姿勢、さらには政財官癒着の体質を、国民は読み切っている。もし、ここにどこかの野党もしくは悪しきリーダーが、意図的に悪扇動を試みようとしたり、自らの組織拡大に利用しようなどと企むとすれば、かならず国民からしっぺ返しをくらうから、馬鹿な戦術などしないほうがいい。
 いま国民が望んでいることは、戦後70年で培ってきた自由と平和を失わないための戦いだ。確かに政治が他国の支配下に甘んじ続けていることでもなく、政財官がぐるになり自己保身や自己利益のためだけの一握りの政治支配をやり、国民の貴重な税金を平然とずさんな支出に費やすことでもない。その政治のあり方の全体が、構造としてまったくだめなものだということは、つくづく理解はできた。国民が本当に望んでいるのは、暮らしの安定と日々健康に過ごせていける社会環境にある。それを現自公政権は、ことごとく破壊している。だから怒りを持って立ち上がっているのだ。こうした民意もくみ取れないような政治は、さっさと変革すべきなのだ。


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