<工事中>
「剣淵北兵村入植配置図」「kenbuchikita1.pdf」をダウンロード 「剣淵南兵村入植配置図」「kenbuchimimami1.pdf」をダウンロード 出身地:35都道府県 「剣淵北兵村入植者名簿」「kenbuchikita2.pdf」をダウンロード 「剣淵南兵村入植者名簿」「kenbuchimimami2.pdf」をダウンロード 大隊長:初 代:平賀正三郎少佐( ~ )
入植戸数:337戸
第2代
(移 動)
第1便
便 船:東都丸
航 路:神戸(6月18日)~尾道~宇品~門司~敦賀~新潟~酒田~小樽(28日)
(小樽からの移動)
7月 日小樽を汽車で移動。途中旭川駅前の三浦屋旅館で宿泊。7月1日旭川を発し蘭留まで貨車で移動。そこから、台車で工事中の塩狩峠を越え和寒に到着。その後、兵員と元気な家族は徒歩で士別まで移動。老幼婦女子は剣淵のビバガラウスから天塩川支流の剣淵川を丸木舟で下り、士別兵村に近い観月橋付近に上陸した。7月12日入地。
第2便
便 船:
航 路:四日市(7月3日)~横浜(7月4日)~青森(7月8日)~小樽
入隊式:7月15日
給与地
当初の給与地:10間×150間(1,500坪)?
追給地:13,500坪(2回に区分して給与)
屯田兵村は各戸1,500坪の密居制を取られた。(山鼻兵村の給与地程度)
剣淵南兵村
部隊名:第3大隊第3中隊
中隊長:初 代 福井重吉(元山鼻屯田兵、前当麻屯田兵中隊長で教育に感心高い)
第2代
出身県別入植者数
和歌山県 14
岐阜県 15
新潟県 3
山梨県 12
福島県 20
奈良県 4
石川県 5
茨城県 6
三重県 2
富山県 2
徳島県 3
熊本県 4
群馬県 6
愛知県 5
高知県 1
宮城県 15
愛媛県 2
山形県 14
福井県 3
東京都 1
福岡県 3
長野県 3
埼玉県 3
兵庫県 1
広島県 6
長崎県 1
香川県 4
島根県 1
鳥取県 2
岡山県 2
京都府 1
山口県 1
不明 4
32都道府県 169名
剣淵北兵村
部隊名:第3大隊第4中隊
中隊長:初 代:難波田憲欽大尉(旭川下兵村(3中隊)の中隊長で、冠水から農地を
まもり、土地改良のため積極的な治水事業を推し進める。)
第2代 ( ~ )
出身県別入植者数
岐阜県 10
山形県 9
宮城県 17
広島県 5
富山県 3
長野県 3
愛知県 4
鳥取県 2
愛媛県 5
熊本県 4
和歌山県 18
石川県 6
福井県 5
新潟県 6
福島県 16
栃木県 3
茨城県 3
静岡県 1
京都府 1
岡山県 1
滋賀県 1
大阪府 1
秋田県 1
奈良県 2
千葉県 1
東京都 1
香川県 3
三重県 1
鳥取県 2
山口県 1
山梨県 12
福岡県 3
群馬県 8
徳島県 3
高知県 3
不明 3
35都道府県 168名
Ⅰ 剣淵兵村の特色
剣淵とはハンノキの多い川という意味で、アイヌ語「ケネペツ」が名前の由来
1 剣淵の地理的特質
(1)上川盆地から塩狩峠を越え名寄まで続く南北に長い名寄盆地の南側に位置し、両側はなだらかな丘陵に囲まれている。
盆地内には天塩川の支流である剣淵川が流れ、現在でこそ潅漑溝の整備、土地改良が進み豊かな農耕地として生まれ変わっているが、屯田兵が入植した当時、その流域は湿地帯を形成していた。
(2)剣淵川の流れは緩やかで地質は泥炭地のため、井戸水は赤水が発生し生活用水に窮した。
(3)気候は内陸性で、夏は30度と比較的暑く、冬は雪が多く寒さもマイナス30度と、年間の気温差が60度にもなる。
2 時期的特色
(1)明治30年剣淵村開村。
(2)明治30年「北海道国有未開地処分法」公布。
(「北海道国有未開地処分法」とは、明治19年に制定された「北海道土地払下規則」に代わるもので、土地を無償貸し付けし、成功後無償付与するというもの。1人当たりの貸し付け面積の上限が150万坪、牧畜には250万坪、植樹には200万坪、会社や組合には2倍までと大幅に引き上げられた。これにより、屯田兵の入植に併せ多数の団体が入植した。北海道の開拓も全道におよぶ様になった。
(3)日清戦争の勝利から3年後で戦中景気から冷め。また、日露戦争の5年前で露国との間に緊張が高まりつつある時期。
(4)明治31年北海道全域に徴兵令が施行。
(5)明治32年旭川の鷹栖に第七師団設置を決定。明治35年札幌から第七師団主力が移駐した。
(6)入植1年後の明治33年、天塩街道(現国道40号線)が、鉄道は天塩線が士別まで開通した。
(7)明治34年の「北海道会法」「北海道地方費法」公布に伴うところの屯田兵給与地に対する課税問題の発生から北海道屯田倶楽部が結成。
(8)明治37年5年間の現役満了、屯田兵条例廃止。同年日露戦争勃発により動員下令。
3 入植者の特色
全国の28県からの入植で、同時期に入植した士別兵村と同一地域。福島県が36名と一番多く、宮城県が32戸、和歌山県32戸、岐阜県25戸、山梨県24戸、山形県23戸と続く。他の多くは一桁台の入植
4 任務上の特色
(1)剣淵地区の開拓及び道北地区正面警備
(2)日露戦争出征
全員出征し戦死22名、戦病死5名
5 発展過程上の特色
(1)明治30年、増毛支庁管轄天塩国上川郡に剣淵村、士別村、多寄村、上名寄村を設置。
(2)屯田兵制度最後の屯田兵として剣淵・士別に屯田兵3個中隊(戸数436)が入植し、剣淵には2個中隊と大隊本部を設置した。戦術的な意味合いからであると思われるが、剣淵に大隊本部を置いたということは、剣淵・士別の中心として発展を予期した。同年、剣淵村、士別村、多寄村、上名寄村の戸長役場を剣淵設置。
(3)低地のため水はけが悪く耕作が困難。また、赤水が発生し生活用水に困る。
★入植後数年間は士別兵村の協力を得て鉄道線路を使い生活用水を受給した。
(4)辺乙部川からの給水潅漑溝
明治36年、剣淵の中心から南西約20km先にあるペオッペ川上流字西和から、剣淵中心まで用水を流すため潅漑溝の建設に着手。37年一応の完成を見たが、屯田兵は同年勃発した日露戦争に出征。潅漑溝は顧みられることなく、凱旋時には荒廃してしまっていた。
明治37年に屯田兵制度は廃止され、土地からの縛りを解き放された屯田兵と家族の人達は生活の目途のたたない兵村を離れ新たな地を求めて去っていった。
その後は、屯田兵の共有財産を供出し、残った人達の手によって、明治42年に中央幹線用水路の完成を見た。屯田兵の入植から10年目にしてやっと生活用水を確保し、流域の農業用水を確保することが出来るようになった。
(5)その後の潅漑溝の構築と土地改良工事の継続
(6)明治39年に2級町村制が施行。大正4年剣淵村から和寒村を分村。昭和2年温根別村を分村。昭和37年1月1日に町制を施行して現在に至る。
その間、昭和23年の大火で、市街地の173戸焼失。
(7)農耕の状況
ア 畑作
イ 酪農
ウ 亜麻の栽培
エ ハッカ
オ 澱粉
カ 稲作
(8)絵本のまち剣淵
「絵本が持つ夢やこころの豊かさをテーマにした町づくりをしたい」。そんな町民の発意で「けんぶち絵本の里を創ろう会」が組織され、平成3年に旧町役場の庁舎を改修して「絵本の館」がオープン。平成16年に新しい現在の館が開館した。
6 剣淵兵村関係の著名人
Ⅱ 剣淵屯田兵の伝統を伝える
○資料館等
「剣淵町資料館」
「屯田兵屋」(剣淵町資料館敷地内)
○屯田兵関係の催し
開拓に尽力した平賀大隊長の「平」、難波田中隊長の「波」の二文字を用いて命名。
その後、心のよりどころとして剣淵神社を建立。
「やちだもの木」
剣淵にたどり着いた兵員・家族はこの樹の下で訓辞を受ける。北海道の雄大な大自然の中にあって、繁殖力が非常に旺盛なこの木は、屯田兵が剣淵町に入地した時から、既に一際ぬきんでた大木が「やちだも」でした。昭和31年9月1日、町の文化財に指定され、昭和43年には、北海道の名木100選にも選ばれました。やちだもは、本町開基80年(昭和53年7月11)に「町木」に選定しました。
初代4中隊長難波田大尉の名前が付いた犬牛別川にかかる橋
○屯田兵子孫の会の紹介
子孫会はなし
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