只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は雨ですが、安納芋の苗を山畑に植えてきます

2016-05-29 09:18:10 | 日記
ハーブを6種類、あちらこちらに植えています。




“真実”に出会えることが生きる目的ですね。

ここで宮崎老師様のお言葉をご紹介いたします。

何にも考えない
妄想せんことや
いわゆる前後裁断や
その時その時 一息一息しかないんや

何か考えたらそれはもう余分や
人間は名誉とか地位とか見栄とか我慢とか、
そんなもんで一杯だ
やっぱり欲は切り捨てろ、その欲が邪魔をする
その欲をもっているのが自己、自分だ
自己を消し去る、それが坐禅だ。

息と一つになる。欲の起こる隙がない。
坐禅ということはまっすぐということや
まっすぐというのは背骨をまっすぐ首筋をまっすぐ
右にも傾かない 左にも傾かない

まっすぐということは、正直ということや
心身は一如や、人間はわがままが自由やと思とる
ちゃんと型にはまったものが
平生底(日常)でなければならない
…次回に続く


仰るお言葉通りですね。

何にも考えない …“実践”です。
妄想しない …“実践”です。
前後裁断のところに居る…“実践”です。
その時その時、一息一息から離れない …“実践”です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・何でもないただの一息をするだけです。…前回まで

  『しかし続けることはきついのです。続けるとは一つ事を繰り返すことです。
     一つ事の繰り返しには理念も理屈も必要有りませんが、
   どうしても癖として出てくるので同じ繰り返しが続かないのです。
           それを続けるのが修行です
。』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
いかに「思考する癖」を『自分』としているかということです。

この自己から離れるのが“実践”です。
思考する癖を落とすのです。

それがわかっていても絶えず『自分』が出てくるのです。
ですから不安、心配、苦悩等に陥るのです。

残念ながら、それを頭脳で止めることができないのですね。
なぜか?・・・というと、それを頭脳が創作しているからです。(笑)

つまり“実践”しかないということです。
よく言いますね、“やるしかない!”このことです。