只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

シソ大葉が庭園に育ち毎日食しています

2016-05-20 09:29:20 | 日記
今朝、桃の木に実が付いているのに気がつきました。
これから桃の実が次第に大きくなっていくのが楽しみです。



私(思考)の真相…第4回目です。

例えば雲ですが広大な青空に湧いては消え、
湧いては消え、日々流れ行くのですね。

湧いてくる雲は様々な形、色を醸し出しています。
厳密に言えば1度たりとも同じ雲はありません。

私(思考)はそんな雲にあれやこれやと意味を付けます。
ドス黒い雲になったな~きっと雨になるぞ!
夕陽に照らされてあの雲の美しさ感激だな~

ぽっかり浮かぶ雲
斜線を長く引く均等な雲
だるまさんのような雲
それはそれは様々な雲のオンパレードです。

このように私(思考)は頭の中で創作するのです。
しかし事実は“雲は雲”です。
間違い無く“これはこれ・あれはあれ”です。

他は一切ありません。
ここに落ち着けば頭に中が“空っぽ”です。

「幻想」は最終的に苦悩になるのです。
私(思考)は苦しみを避け楽しいことを求め続けています。
しかし追い求めている限り永遠に「楽」は捕まらないのです。

なぜこのようなことになるのでしょう?
それは・・・・・・・
“無い”からです。苦も楽も無いのですね。
「苦楽」は私(思考)の創作する専売特許!です。(爆笑)

ですから、おわかりになっているとおり
自分の中にある頭脳が勝手に「苦楽」を創りだしているということです。

“真の自分”はその創作した「苦楽」を只眺めているということです。
苦しみ楽しみ、その他諸々は私という思考自我が体験しているのです。

そして今、この様に生きているのは身体です。
と、言っているのが私(思考)で思い考えるのが同じく自我です。

ややこしいのですが大局的に観ればそう感じるのです。
感じるのは幻想の思い考えが無いということです。

今この瞬間、無思考”である真実の世界は
私(思考)という自我は存在しません。
そこには言葉も存在しませんね。

では、また次回にしましょう。