只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

芝桜が綺麗に咲いていました

2016-05-21 08:22:42 | 日記
植えてから2年立ちます。3ヶ所植えていますが
ここの場所が一番開花しています。




私(思考)の真相…第5回目です。

この状態では将来が不安だよ~
回りから愛されたい認められたい
あれが欲しい、これが欲しい
あの人が憎くて絶対許せない
それは良いけどこの事は悪い
私が正しい、あの人が間違っている
この様にいつも頭の中で騒ぎ回ってるのが私(思考)です。

では、逆に私(思考)が頭の中に居なかったらどうなるでしょう。
もちろん言葉がありませんから説明のしょうがありませんね。
ですから例えを述べますので自分で“実践”して勝ち取って下さい。

まず“真の自分”は“真実”です。
私(思考)は幻想です。
ここをしっかりと理解してくださいね。


この状態では将来が不安だよ~
不安は私(思考)のまったくの創作です。
事実にすれば、この状態は只あるがままということです。
将来は無く、過去も無く“今この瞬間、無思考”です。

愛されたい、認められたい
私(思考)の承認です。
愛されないから愛されたいと思う欲求です。
認められないから認められたいと思う欲望です。
事実にすれば、愛されることもなければ嫌われることもありません。
同じく認められることも無く認められないこともありません。

あれが欲しい、これが欲しい
欲求は私(思考)の執着です。
自我の存在権で、これが無かったら真実そのものです。
事実にはあれもこれも無いのです。

あの人が憎くて絶対許せない
憎しみは私(思考)を認めないがあるのです。
絶対許せないは私(思考)に許すことがないのです。
事実には憎しみも許すもないのです。


それは良いけどこの事は悪い
これも私(思考)の善悪の観念です。
事実には良いも悪いも無いのです。

私が正しい、あの人が間違っている
私(思考)は自己中心なのです。
事実には正邪はありません。

悩んで苦労している人は誰もいません。
悩んで苦労しているのは頭の中で
ジタバタしている「思考自我」で幻想なのです。

真の自分”はその「思考自我」を
只観ている”だけです。それが“真実”です。
体得するまで“実践、実践!”です。