中国のマラソン事情と題した記事があった。一流ランナーは貧困の農村部から輩出されるというものだ。過酷な練習に耐え、頂点を極めるには幼少の頃からの貧しさが必要ということだ。「三つ子の魂100までも」といわれるように、幼い頃に培われた性格は変わることなく一生付きまとう。
現在のように、日本全体が豊かになっては、かつての「マラソン日本」は夢のまた夢なのかもしれない。
私が幼い頃通っていた小学校は都市部と農村部の子供が同居していた。都市部は教師やサラリーマン、商店の子が多く、一方、農村部は当然農家の子が多かった。そのギャップは大きく、まず生活のリズムが異なる。私の家は農家で早寝早起きだった。中学3年までは午後9時になると一家に一台しかないテレビを消し、全員で就寝した。朝起きると、すでに両親は野良仕事をしていた。食事も質素だった。豚肉は1年に数回、まして牛肉は1度も食べたことが無かった。たんぱく質は納豆などの大豆、家で飼っていたヤギの乳、近くの川で取れた魚、それと近所の養鶏所で老衰した鶏だった。今考えると鳥インフルエンザが心配だ。しかし豚モツは良く食べた。肉屋で買うのでなく家畜の豚を出荷したときに出荷先から購入したものだ。当然カレーにもモツが入っていた。じっくり煮込んでいないため、翌朝には顎が痛くなったのを覚えている。
農家では子供に親と同じような貧しさを経験させたくないということから、娘は非農家に嫁がせ、息子は家を継ぐことを強要しなかった。その結果、専業農家が激減したのかもしれない。
しかし、農家の記憶は私のDNAに刻み込まれている。もう直ぐ50歳。子供も大きくなった。けっして金銭的には恵まれていないが、自然と共に生きる生活に憧れを感じる。自分のライフスタイルにあっている。天職とは何なのか。人生のターニングポイントが近づき、しばしば考えさせられる命題だ。
ところで今年は3年前に庭に植えたプルーンに花が咲いた。いつ実がなるのか今から楽しみだ。その他にもイチゴ、ネギ、カキナなど野菜も咲きそろっている。
<プルーンの花>
<かき菜の花>
<イチゴの花>
<葱坊主>