4/14 上田城跡は駐車場がいっぱいで入れませんでした。
以下は上田市・大屋橋付近です。桜が満開でした。
満開の桜の中に「昭和」を感じさせる趣のある建物がありました。千曲川を臨む「はなれ」でしょうか。懐かしい感じです。
大屋橋の上から。この土手の左に千曲川が流れています。
橋のたもとにホトケノザの群落。私が大好きな花の一つ。今日は風が強くて思い通りに撮れない。適当にシャッター切ってさっさと切り上げました。
大屋駅前の桜
以下は坂城町・常山堤(隄)の桜
常山堤(隄)とは、天保12年(1841年)の大洪水の復旧を幕府の命を受けた佐藤嘉長が五年の歳月を費やして弘化2年(1845年)に完成させた堤防です。それは、長さ300mもあり、千曲川の川筋に対しほぼ直角に設置されたといいます。現在では、新たに造られた堤防の外側に石碑と共にその一部が残されています。この堤防によりより千曲川の流れは西に移り広大な耕地を守ることができました。名前の由来は「孫子の兵法・九地」の「常山の蛇勢」で嘉長が命名しました。即ち、洪水が堤のどこをついても崩れないという意味です。
現在この周囲は、会社やその駐車場になっているので、堤と桜の全体像を美しい風景写真として撮るのはかなり困難です。
以下は上田市・大屋橋付近です。桜が満開でした。
満開の桜の中に「昭和」を感じさせる趣のある建物がありました。千曲川を臨む「はなれ」でしょうか。懐かしい感じです。
大屋橋の上から。この土手の左に千曲川が流れています。
橋のたもとにホトケノザの群落。私が大好きな花の一つ。今日は風が強くて思い通りに撮れない。適当にシャッター切ってさっさと切り上げました。
大屋駅前の桜
以下は坂城町・常山堤(隄)の桜
常山堤(隄)とは、天保12年(1841年)の大洪水の復旧を幕府の命を受けた佐藤嘉長が五年の歳月を費やして弘化2年(1845年)に完成させた堤防です。それは、長さ300mもあり、千曲川の川筋に対しほぼ直角に設置されたといいます。現在では、新たに造られた堤防の外側に石碑と共にその一部が残されています。この堤防によりより千曲川の流れは西に移り広大な耕地を守ることができました。名前の由来は「孫子の兵法・九地」の「常山の蛇勢」で嘉長が命名しました。即ち、洪水が堤のどこをついても崩れないという意味です。
現在この周囲は、会社やその駐車場になっているので、堤と桜の全体像を美しい風景写真として撮るのはかなり困難です。
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