「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

食糧不足 1

2006-08-29 18:58:47 | Weblog
 そうこうするうちに食糧がだんだんと乏しくなってきた朝はお粥みたいなもの、飯盒につげば米粒が5,6粒入っていた。昼食はビスケット2枚か3枚、このビスケットを1週間分1度に配給するものだから、ひもじさの余り、つい先の分までも食ってしまい、4,5日は昼食抜きといった者も出た。夕食もおじやといっても形ばかりの1口ものだった。
 私の同年兵の千々岩覚君が便所当番についたことがあった。便所は西の端に形だけのものがずらりと横1列につながって建てられ、木板に穴があいており、その下に金属製のバケツ見たいな便器が1個1個置かれ、毎日それを運搬車にあけて、後を水で綺麗に洗って油雑巾で拭いて元の所に入れて置くのだが
 「食事が悪くなると代弁の溜りがかたがとても減ってくる。近頃はほんのチョットになった。便所当番は楽になったが…」と言った。私も大便はホンのしるしだけしか出なかった。
 ある時、集会があって
 「何か質問はないか」と聞かれて
 「何か腹の減らぬ方法はありませんか」と、隊員の質問。
 「腹の減らない方法は無いよ」と大谷軍医殿。
 「腹が減って眠れません」悲痛な声。
 「それなら水でも腹一杯飲んですぐ寝るより仕方がないなあ」と軍医殿も苦笑い。実際、宵の口に「腹減ったなあ」とつぶやく声があちこちの幕舎で聞こえた。しかし、この状態について英軍からの通告では
 現在支給しているカロリーは国際捕虜取扱規定を下回るものではなく、栄養失調になることはない」とあったそうだが、現実は栄養失調で次々と入院する者が現われた