「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

無条件降伏 2(生活の中で)

2006-08-12 10:05:49 | Weblog
 着いて2,3日は身辺の整理で忙しかったが、その後は仕事もなくのんびりしていた。ある日、
 「髪の毛が伸びている者は、バリカンで散髪せよ」とのことで本部から廻ってきたバリカンを借りてきて、西村一等兵と相互にやることにしたが、調子が悪く髪を食い込んで、一寸も刈れなかった。仕方がないので事務所の当番にそう言うと、「これででもやれ」と安全カミソリを1本くれた。西村に
 「どうするか」と聞くと、「お前を先にやってやる」と言ってゾリゾリと剃ってくれた。ツルツルの青坊主だ。
 「今度は西村、お前の番だ」と剃りだしたら、半分くらいのところで
 「痛いぞ」と言う。石鹸を付け直してやっても、やはり痛いと言う。無理もない、私の分を剃った後だから、切れなくなっていたのだ。それでなるべく痛くないように、痛くないようにして剃ってやった。
 ここに移動してから、食糧自給の意味で、タピオカのもやしを作ることになった。タピオカの葉には、青酸が含まれていて、危険だと言う話があったのだが、それでもやると言う。斉藤お前も手伝えということで、作業に出た。ゴム林の中に、深さ40cm位の細長い溝を掘り、底にタピオカの幹をぎっしり並べ、その上にゴムの枯葉で覆うのだ。2日位で終ったが、このもやし作りも、2,3回採って、医務室からの注意で止めになったようだ。
 その次は南方ほうれん草採取の使役があった。この草は高さ1m位になる香りが強く、茹でるとアクが出るが、軟らかく青緑色でシャキシャキして丁度日本のほうれん草みたいだった。この使役に各班ともよく出された。
 ある日、使役で小高い丘の上でこの草を4,5人で採っていると、裾の方で軽機の射撃音が聞こえた。と、頭上をヒューンヒューンという音が飛び去った。
 「下手くそヤロー」うっかりすると即死だったかも知れんぞと、早々に丘を下りた。