「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

アナク(子供)

2006-08-07 19:16:03 | Weblog
 私達がコーヒーの生の実を市場で買って帰り、釜で炒ってみて、挽いてみたが粉にならず、お湯を注いでも少しも出ない。そこで、炒り方に秘密があるぞと言う事になり、カンポンから1人の子供(12,3歳位)を連れて来てやらせてみた。この子はいつもやっていると見えて、すぐ承知した。
 竈(かまど)の火をドンドン燃やせと言う。だんだん釜が赤くなり、中の豆がくすぶりだした。
 「おい、大丈夫か?」私達は心配して聞いた。子供はしゃもじみたいな板切れでかき回し始めた。焦げる煙が立ちこめた。そして全部がこげ茶色になった。
 「これで上等」と言って釜を下ろした。この子が作ったコーヒーは香りといい、味といい、やはり上等だった。それからよく遊びに来たので、私が
 「何かあったのか、どうしたのか?」と聞いたら、
 「ポトン(切る)した」と言う。
 「何処をポトンしたのか?」
 「ここだ」と股の所を押さえた。
 「ヘエー、そこをポトンしたのか、痛かったろう」
 「いや、痛くなかった、見せようか」
 「見せなくても良い」と私は言ったが、その子は半ズボンをずり降ろした。見ると、亀頭のくぎりのところの周囲が赤黒く、血が固まっていた。
 これはイスラム教の割礼で、大人になったしるしみたいな儀式で、これをやることが誇りになっているのだ。この子は私達にそれを言いに来たのだった。
 軍政部はなるべく病院でやるように指導していたらしいが、男の子は大抵、の長や酋長がやっていた。このタケゴンでは町の女の子は病院で医師にやって貰っていたようだ。いつか病院に行ったとき、10歳位の女の子があそこに橋みたいに半円形の白い布をかけて、ベッドに寝ているのを見た。
 男の子は2週間位したら、綺麗に治るようだ。イスラムの世界では、
 「ポトンしたか?」  「ポトンしたよ」が、10歳から12,3歳の間の一つの節目の挨拶のようなものらしい。日本でいうなら、元服とでもいうべきか。
 子供達に年齢を聞いても
 「キラキラ、12,3歳だ」と答えるキラキラとは約とか多分という曖昧なもの。
 「キラキラとはおかしい」と言うと、
 「カントリ(役場)に聞けば分かるよ」と平気で言っていた。
 子供と言えば、警察署長の息子だというのもいたが、カンポンの子供と同じ、みすぼらしい服装をしていた。煙草の葉巻工場に勤めているというので、一度見に行ったが、小さなその子が大人に混じって、一生懸命にやっていた。板の上に葉をひろげて、その中に幾枚かの葉を重ねて、端の方から、器用に手の中でくるくると巻いて、何か糊みたいなのを付けて閉じると1本出来上がりであった。