「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

カンポン その2

2006-08-06 09:03:00 | Weblog
 カンポンで腹に紐を一回巻いている子供を見た。
 「どうした?」と聞くと、「お腹が病気だ。だからここの痛いところを、紐で巻いておくと治るんだ」とそばの親父らしいのが答えた。に行くとこんな治療がされていた。
 各地に展開していた分隊では、歯磨き粉で胃腸の病気を治してやったり、電圧計を患部にあててやったり、通信機のシグナルの赤か青の点滅を、神様のお告げだと言って「お前の病気は治った」と言えば「もう治った」と喜ばれ、お礼だとバナナを食いきれないほどもらった事もあったそうだ。
 インドネシアの料理は辛かった。食べると舌がピリピリして味も何も分からなかった。米食であったが、炊いたというより、蒸したという具合で、粘り気は無くサラサラしていた。それを皿に注いで、右の手の親指と人差し指、中指でつまんで小さな三角握り飯みたいに固めて、口に入れるのだ。
 鶏も大きくブッタ切って、油で揚げたもの(アヤムゴリン)、バナナは油揚げ用のものがある(ピサンゴリン)
 いつかの結婚式に招待された。
 「行っても良いけれども、辛い料理は駄目だ」と言うと、
 「いや、貴方達の料理は別にこしらえた」と言うので3人位で出かけたが、成る程、辛さは無くて丁度いい具合だった。
 何か歌えと言うから、私が「海行かば」を歌ってやったらみんな喜んでくれた。
 またある時、で3晩位、太鼓や囃子、それに歌声が聞こえた。そして次の日、顔見知りの男の子が遊びに来たが、声がしわがれていた。
 「どうしたのだ?」と聞くと、
 「新しい酋長(サルタン=郡長の下らしい)が来たので、そのお祝いに3日間毎晩行って、大声で歌ったのでこんなに声が枯れてしまった」と言った。
 こんな時には、民全部が出て一晩中歌ったり、踊ったりするのだと知った。、