「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

逃亡兵

2006-08-16 12:02:41 | Weblog
 この頃、兵隊達の間では
 「○○部隊では、中隊全部が野砲まで持って逃亡したそうだ」
 「インドネシア独立軍に行けば、下士官はすぐ2階級位上がって将校になれるそうだ」「兵隊でも下士官にすぐなれるそうだ」「どこの部隊では○○名独立軍に入ったそうだ」といった噂がしきりに流れた。
 事実、うちの部隊でも逃亡者が出た。それと分かると中隊長は捜索隊を出して発見に努めたが、どうしても見つからない者もあった。逃亡して間もなくマラリヤに罹ったり、皮膚病に罹ったりして倒れてしまう場合が多かった。帰って来た兵隊は疥癬(かいせん)にやられて見る影もなかった。中隊長は兵舎内に営倉を作ってそこに入れ、衛兵をつけた。
 又、マラリヤに罹ると、肝臓が指2本分位腫れて胆汁が出なくなり、胃の消化も悪くなる。大腸炎になり、食べても吸収できず死んでいく。熱は下がっても39度位、高い時で41,2度。毎日そんな調子で、脳細胞の血管の弱い人は10日位しか持たない。10人に1人は発狂してしまい、予後不良(医療機関のない所に派遣された分隊)にはそんな犠牲者が出た。
 熱帯潰瘍という皮膚病は、特効薬は駆梅薬サルバルサン(606号)らしいと云われていたが、足の肉を骨までやられている兵隊もいた。治っても跡は赤紫色になり、肉が変形していた。
 その外、私達の知らない風土病が沢山あり、考えれば逃亡は命懸けであったのだが、稀には現地人の所に婿入りした者もいた。現地人の間ではインドネシアの神話のせいもあってか、日本人は優秀だという定評があり、
 「日本人の種をください」という言葉があったくらいで、「日本人の子供を産みたい」と女達は言っていたとの話もあった。