都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

ねたみ:「幸福」のマイナスと

2009-03-20 14:37:16 | 世情

脳の研究で「他人の不幸は蜜の味」 (ねたみや他人の不幸を喜ぶ感情をつかさどる脳の部位が明らかに)という記事があった。ねたみというとロシアの寓話など思い出すが、最近は蔓延している。例えば、 「渡り問題」、「裏金」、「二世議員」等がある。<o:p></o:p>

かのバートランド・ラッセル (数学者で論理学も、集合論の「ラッセルのパラドックス」で高名、ノーベル賞も受賞)の「幸福論」の中に、「ねたみ」では<o:p></o:p>

「心配ごとに次いで、不幸の最も強力な原因の一つは、おそらくはねたみである。ねたみ深い人は、他人に災いを与えたいと思い、罰を受けずにそうできるときには必ずそうするだけでなく、ねたみによって、われとわが身も不幸にしている。自分の持っているものから喜びを引き出すかわりに、他人が持っているものから苦しみを引き出している。」とある。<o:p></o:p>

 ねたむような世の中ではお互いの足の引っ張りあいと小さな正義(小正義)の繰り返しでは良くない。もっと大きく、自分の権益を守るのではなく、全体を前に進める考えはないのか。<o:p></o:p>

このねたみの上に、「自分だけ」よければよしとして、割り込み、キレる方などの指摘もあります。<o:p></o:p>

「小確幸」(小さな確かな幸せ:村上春樹)がありますが、「自分だけ」はその反動、「ねたみ」は裏返しかと思います。小さな集団の中での部分最適に向かう、お互い知っている社会では「そつなく」振舞うが、匿名性の中では勝手に振る舞い、権利を主張するという状況です。まさしく、ソーシャルキャピタルの喪失です。<o:p></o:p>

経済成長が低迷するなか、社会の価値観を転換し清貧で気高くという生き方の価値を見直すべきです。「小さな」幸せ、正義、権益、ねたみでは社会がまともに機能しなくなります。また、自分の個性・生き方を重視する個人主義とは違い、「小さな」生き方は社会の利益ごとの区分化にしかすぎません。最近男子大学生は自分の周りの幸せを何より大切と考えるが、社会の変革への意識は少ないとある。(不安定社会の中の若者たち)。<o:p></o:p>

創造的なものへの「渇望」、「あこがれ」の評価があるべきだ。今は恐らく既存企業の転換期になるかも知れない。あのBig BlueIBM)もGMもこのていたらくである。自分の「価値観」と「創造力」を「自分の手と頭」で考えざるを得ない変革期だ。<o:p></o:p>

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