都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

通天閣(酒井隆史):スラム・クリアランス、ヤクザ、利権、飛田と雇仲居に転じた失敗開発

2022-08-21 02:23:40 | 都市開発

 分厚い本だ。筆者は早稲田大学院から大阪の大学に来て10年研究・調査した成果をまとめているが、映画からの分析や労働問題など後半に多く内容のまとまりが悪い。

 風俗研究の方以外はおすすめできない。

また、地図が小さくかつ分かりにくいのは文系の特色か。都市計画関係ならまず地図、縮尺、方位は入れ内容が読めるように拡大する。なお、映画からの分析や労働問題など後半に多い

 新世界の開発は失敗だったのがよくわかる、視点として:

①日本橋のスラム・クリアランスと釜ヶ崎への移転

②1895年京都での第4回内国勧業博覧会の次として大阪の威信をかけた第5回内国勧業博覧会( https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/naikoku5.html )と跡地利用の不透明さ

③ルナパークのパリとコニー・アイランドを混ぜた施設の急な陳腐化と運営とアクセスの悪さ

④飛田の遊郭化と連動した雇仲居の大正芸妓花街化

⑤ジャンジャン横丁や飲食店の進出→現在の串カツの隆盛につながる

⑥本書にはないが、交通局所有部分(南側)のフェスティバル・ゲート開発と挫折

 新世界は、ミナミの道頓堀や南地に立地と集積で負けていた。もともと利権がヤクザやスラムも関係し複雑なところに政治が絡んだ。さらに、近傍の飛田遊郭と釜ヶ崎により、風俗とスラムの印象がある地区だった。阿倍野再開発により近鉄周辺がきれいになるのはそのあと。

 知見は:

・堺筋を博覧会の御幸通りとするため日本橋長町の貧民窟の移転を侠客の小林佐兵衛(明石屋萬吉)に依頼、授産場(貧民救済所)に収容、博覧会の裏方仕事(ゴミ拾い、屎尿がかり など)

・釜ヶ崎は陸軍の残飯を売り払う店あり→東京の芝新網町、四谷鮫河橋谷町と同じか

・堺筋(3間 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/61/486/61_KJ00004221715/_pdf )の拡幅と船場の軒切り(店の前に荷物を積上げ私有地化)→遅れる( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E7%AD%8B )

・大林高塔、通天閣の元祖

・新世界の用地は大阪土地建物(株)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) が取得、開発

・ルナパークは1912年開業、陳腐化、1923年に11年で閉園「愚ナパーク」→宝塚ファミリーランドになりえなかったのは資本とアクセス、娯楽の装置化があった(北尾鐐之助 「近代大阪」

・色街として、料理屋:大政官 前田卯之助→高野力三郎(力勇組)、置屋:酒梅(鳶梅吉+住吉治三郎、塚本房次郎(新世界酌人組合の取締も兼ねる)、田中勇吉(二代目酒梅組組長)、政治家 沼田嘉一郎

・1915年 大正芸妓(酌人(やとな)→雇仲居か)が出現(雇仲居小雪倶楽部)1922年芸妓居住指定地域、「特種料理屋」のため宿泊不可

・飛田新地 1912年に焼失した難波新地乙部遊廓の移転先として阪南土地建物会社が開発、1916年開設決定、1918年開業 遊郭免許指定地、「貸座敷」宿泊可、芸妓と娼妓

 まとまりが本当によくない、エッセイと思うと良い


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