写真はレーニン広場から見るムラヴィヨフ・アムールスキー通りの風景です。
ハバロフスクの地名の由来は、1649年この地を探検に訪れた、エロフェイ・ハバロフの名前から1858年に名付けられました。市内から空港へ向かう郊外に、第二次世界大戦終結時に捕虜となり、この地に抑留されながら亡くなった約300名のお墓と慰霊碑があり、かつては小泉首相もお参りに訪れました。
もともと、航空路が早くから開設された関係から、新潟市とは経済を含め密接な交流があり、日本総領事館・みちのく銀行支店・各商社の出先機関などもあります。
特に夏ともなれば、神秘のバイカル湖を目指す旅行者が、航空路や鉄道でイルクーツクへ向かいます。
ハバロフスクレポートは今回で終了いたしますが、またどこかの街からお便りします。
ご覧いただいた皆様に感謝申し上げます。
sugiyamenkoさま
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サハリン→北海道