山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を読んでいましたら、
こういう行がありました。
六助という病人が膵臓に癌腫ができて、臨終を迎えようとしている場面です。
「すると、治療法はないのですね」
「ない」と去定は嘲笑するように首を振った、
「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などない」
登はゆっくり去定を見た。
「医療がもっと進めば変わってくるかもしれない、
だがそれでも、その個体の持っている生命力を凌ぐことはできないだろう」
と去定は云った、
「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、
医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、
病気が起こると、或る個体はそれを克服し、
べつの個体は負けて倒れる、
医者はその症状と経過を認める事ができるし、
生命力の強い個体には多少の助力をすることもできる、
だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」
他の、現役の医者が書いた本を読んだ時にも、
同じような事が書いていました。
医者の所へ行けばみんな治してくれると患者は思っているけれど、
今の医療現場というものはほとんどの事がなぜそうなるかわかっていない、
という様な内容でした。
私も去年の夏くらいから喉の不調のために耳鼻咽喉科に、
精神的なものから来る身体の不調のために心療内科へ通っていますが、
病院へ行く時には医者がすべてを解決してくれる、
行けばすぐにその場で治してくれる、
という気持ちで病院の門をくぐったのを憶えています。
一月に包丁で指をザックリ切った時も、行って縫ってもらえば直に治る、
と思っていきました。
その時は切ってから二日ほど経っていて、
バンドエイドをずっと貼っていたので、
傷口はくっついていて、先生に見せたら、
「ああ、もうくっついてますね、こんな感じで水道水で洗って、軟膏を処方しますから、
一日に何回か塗ってバンドエイドを貼っておいてください」
と言って、脱脂綿でゴシゴシ傷を拭いてくださいました。
診察は以上。
喉の方も、行くと内視鏡で喉の中を見られるのですが、
それがいつも苦しくて、でも多少はよくなりましたが、
一気に治る、ということはありません。
心療内科の方も、結局は「過労」ということで、
それからはなるべく無理はしない様に、
睡眠時間も以前よりも長くとっていますが、
その症状はまだ治る気配はありません。
でも、今月頭に熱を出した時に、喉の薬を飲んだことが原因か、
と思い、それから実は服用していませんし、
病院へも行っていません。
が、実は以前より症状は軽減されている気がします。
結局は「赤ひげ」が云うように、その個体の持っている力が頼り、
という事なんだと思います。
昨年から今年にかけて、自分の身の回りの事や、
身体の不調が出てくるなど、大きく変わって来ている気がします。
気が弱くなると、身体も弱くなる。
逆に言うと、気が充実すると身体も強くなるのでしょう。
もうちょっと自分の心と身体に関しては関心を持ってみたいと思います。