指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

お知らせ、ふたつ

2012年04月28日 | Weblog
世の中は大型連休に入りました。
私も仕事やプライベートで自宅を離れたりすることが多いので、
大変申し訳ありませんが、このブログも5月7日までお休みさせて頂きます。
5月7日には必ず復帰致しますのでそれまで首をなが~くしてお待ち下さい(笑)

そして一つだけ演奏会のご案内
~皆様の御来場を心からお待ちしております!~

新都心女声合唱団&新都心男声合唱団 ジョイントコンサート
風薫る季節(とき)

日時:2012年5月12日(土)
    開場 13時30分 開演 14時

場所:四谷区民ホール
    東京都内藤町87番地
    四谷区民センター9階

入場無料
 
内容
第一ステージ 女声合唱組曲 「風の詩集」           吉岡弘行 作曲
第二ステージ 男声合唱組曲 「草野心平の詩から」   草野 心平 作詩、多田 武彦 作曲
第三ステージ さとう恭子の詩による愛唱曲集「やさしさに包まれて」(女声) さとう恭子 作詩、松下  耕 作曲
第四ステージ 男声合唱のための「J-Pops名曲集」 須田 和宏 編曲
第五ステージ 組曲「旅」 (合同ステージ) 佐藤  眞 作曲

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映画「アース」

2012年04月27日 | Weblog
録画してあった映画「アース」を観ました。
何と言っても映像が素晴らしいです。
HPでは以下のように紹介されていました。
 
世界に数台しかない防振装置、1秒間に2000フレームの撮影ができる超ハイスピードカメラなどの最新機材を投入し、制作5年、撮影日数延べ2000日、世界200ヶ所以上で撮影された自然ドキュメンタリー。監督は、「ディープ・ブルー」のアラステア・フォザーギル、テレビシリーズ『プラネットアース』のマーク・リンフィールド。
 
音楽も素晴らしい。
演奏はベルリンフィルです。
 
ナレーションはパトリック・スチュワート。スタートレックの船長さんです。
2007年に公開されました。
 
映画の最後に以下のメーッセージが流れます。
現在の割合で気温が上昇し続ければ北極グマは2030年までに絶滅する。
温暖化による気候系の混乱で、真水の供給量は著しく予測困難になっている。
ザトウクジラなどの海洋生物を支えるプランクトンは海水温の上昇で減少している。
だがまだ事態を変える事は出来る。
私たちにできることを探していこう。
 
地球の一員であるなら、一度は観ておいた方が良い映画かな、と思いました。

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暗譜をするのは大変?

2012年04月26日 | Weblog


私はよく教える時に「暗譜したところからがスタートです」
と言っています。
暗譜して演奏する、ということは「自分の言葉、自分の気持ち」として表現できる、
からです。
自分の考えや意見でも、原稿を見ながら話すのと、人の目を見ながら話すのは、
伝わり方が全く違うはずです。
だから例えば歌だったら「シンガーソングライター」の様になりなさい、と。
つまり自分で作った歌を自分で歌う。
これが表現をする、ということでは最高なのではないかと思います。
そして暗譜しました。さあどうぞ、というのではまだダメだと思います。
私は時々漬け物を例に出すのですが、
ぬか床に食材を入れて、熟成をさせないといけない。
だから暗譜した、という段階は脳みその中に素材を入れました、という段階。
そこから発酵させたりして熟成させないと美味しい漬け物にならない。
ということです。
そしてそれが出来てくると、頭で考えなくても、
「身体が勝手にやってくれる」様になります。
というか身体が勝手にやってくれる様になってないとまだまだ熟成ができていません。
身体が勝手にやってくれるようになって初めて、表現することが浮かんでくる、と思っています。
暗譜は苦手、という人が多いですが、私はそれについても、
「暗譜を癖にしよう」と言っています。
暗譜しないと気持ち悪くて演奏できない、という風になるまで。
まあ、年齢とともに記憶力も落ちてくるのかもしれませんが、
そう思ったら自分に対して「負け」だとも言っています。
まだまだできる、と思い込むこと。
これも大切なことなのではないでしょうか。
 
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暑くなるんじゃなかったのですね・・・

2012年04月25日 | Weblog
先日ある方から、朝日新聞の朝刊の切り抜きを見せてもらいました。
タイトルは「太陽まもなく冬眠? 地球に低温期到来の可能性」
とあります。
由々しき事態ではありませんか!?
 
記事によると、
「太陽には南北両極に正と負の極があり、約11年周期で同時に反転する。2013年5月に次の反転が始まると予測されていたが、太陽観測衛星「ひので」で観測したところ、北極では約1年早く反転に近づいていることがわかった。南極はそれほど変化がなかった。このペースだと、12年5月に北極のみが反転し、太陽の赤道付近に別の極ができる「4重極構造」になるという。」
 
 
素人の私にはさっぱり分かりません。
そもそも太陽に北極と南極があるなんて事も知りませんでしたし、
それが11年周期でかわる、なんて事も知りませんでした。
そしてなにより、4重極構造、ってどういうことでしょうか。
想像もつきません。
天体はお互いの重力のバランスをとって回転しているという、「事実」は知っていますが、
太陽も回転しているのでしょうか?
惑星は太陽の周りを回っているのだから私は単純にメリーゴーランドの中心の柱のように、
動かないのが原理なのか、と思っていましたが、どうなのでしょう。
知ったからどうだ、ってこともないし、知らなくてもこの先、問題なく生きていけると思いますが、
気にはなりますね。
まあそれより気になるのは、「地球に低温期到来の可能性」の部分です。
どこかのスポーツ紙の見出しのように、?マークも付いていないので、
この部分は心配です。
だとしたら温暖化で騒いでいるこの事態はどうなんでしょうか?
まあ、私一人が悩んでも仕方ないし、
そもそも悩んでも仕方ない事だという事に気づいたので、
この話題は以上にします。

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酸いも辛いも

2012年04月24日 | Weblog
昨日は久しぶりに東京男声合唱団の練習。
練習内容はロシア聖教聖歌と「月光とピエロ」の「月夜」
この合唱団は創立60周年を数年前に迎えましたが、その初代指揮者が作曲者の清水脩でした。
そしてこの曲は東京男声合唱団のために書かれたもの。
1949年に第一回演奏会を行った時に歌ったのが世界初演でした。
それからこの合唱団のみではなく、日本の男声合唱団に歌い親しまれてきました。
男声合唱団をやっていてこの歌を歌ったことがない人は「モグリ」じゃないかい?
と言えるくらいの曲だと思います。
そんな曲を東京男声合唱団で数年振りに指揮をしました。
やはり初演された団体、ということでの「自信」「迫力」は相当なものです。
そしてやはりこの曲の素晴らしさを改めて思い知らされました。
最初にdolorosoと発送記号が書かれているのですが、
意味は「悲しげに」とか「悲痛に」とかという意味です。
 
因みにピエロの定義はWikipediaによると以下のようになるそうです。

ピエロ [編集]

クラウン自体はおどけ役だがその中でも馬鹿にされる人と言われる。つまりクラウンよりもさらに馬鹿にされる芸風(日本的な視点ではツッコミが無いボケ役)を行う。クラウンとピエロの細かい違いはメイクに涙マークが付くとピエロになる。涙のマークは馬鹿にされながら観客を笑わせているがそこには悲しみを持つという意味を表現したものであるとされる。またピエロはフランスの喜劇芝居の中に登場する事が多い。
 
つまり「涙マーク」がないとピエロではない。
道化の中にも悲しみを持つのがピエロというわけです。
この表現は大変難しいと思います。
以前に長野県である大学のグリーがロビーコンサートで歌っているのを聞きましたが、
彼らの「ピエロ」は楽しすぎて、若々しすぎて、私の思う「ピエロ」ではないな、
と思いました。
もっとも、私が大学生の時にやっていたら同じようなことを人に思われたかもしれませんが。
人生の酸いも辛いも体験すればするほど、この曲の表現の深さもそれに伴い増すのでしょう。
また東京男声合唱団の皆さんとこの曲を演奏できるのは楽しみです。

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ネコはなぜ喋らない?

2012年04月23日 | Weblog
一緒に暮らしている太郎を見ていて思うことがあります。
太郎は恐らく生まれて三ヶ月も経たないうちに家族と逸れ、私のうちに来ました。
だからネコについてのことをあまり知る時間はなかったと思うのですが、
勝手にトイレを覚えて、勝手にネコらしい遊びをしています。
魚の切り身などをうっかりその辺に置こうものなら殺気立ちます。
でも、別に私が手取り足取り教えた憶えはありません。
昔、オオカミに育てられた姉妹の話があり、信憑性は疑われているそうですが、
借りに本当だったとして、オオカミに育てられた人間はオオカミの子供のようになる、
ということであれば、人間に育てられたネコは人間のようにならないのは何故なのでしょうか。
もっとも本人は「吾輩は猫である」とは思っていないのではないかとは思いますが。
Wikipediaで「野生児」について記述があったので貼付けておきます。
もともと野生人という概念は生物学者のリンネが著書『自然の体系』において初めて科学的に扱った[16]。リンネは野生児ピーターやクラーネンブルクの少女、ソグニーの少女などの実例をいくつか挙げ、野生人の特徴として
  1. 四つ足
  2. 言葉を話さない
  3. 毛で覆われている
の3つを指摘した。このうち3つ目の多毛という特徴は妥当でないことがわかっている(多毛であると報告された野生児の事例の方がわずかである[17])。ただし、正常な歩行が困難・音声言語を持たないという特徴は多くの事例に適合する[18]
このほかに、野生児には
  1. 暑さや寒さを感じないなど感覚機能が低下している
  2. 情緒が乏しく人間社会を避ける
  3. 羞恥心が無く衣服を着用しようとしない
  4. 相応の年齢になっても性的欲求が発現しにくいまたは発現しても適切な対象と結び付けられない
  5. 生肉・臓物など調理されていない食品を好む
 
先日、「猿の惑星・創世記」という映画を観ましたが、最終的にチンパンジーが話すところまで進化?します。
太郎くんは「太郎」と呼ぶと「なに?」という風に鳴き返しますが、
決して「何?」とは言いません。
やっぱりどう聞いても「にゃに?」という風です。
太古の時代、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは骨格の違いから原語能力に差が出て、
結果的にネアンデルタール人が滅んだ、とテレビで見たことがありましたが、
やはり「原語」が進化には大事なのでしょうか。
だから野生動物に育てられた子供は野生化?してしまうのでしょうか。
この辺から音楽の謎が解けないかな?
と太郎を見る度に思います。

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今日は何の日

2012年04月22日 | Weblog
今日は地球の日、アースデイです。
アースデイというのは他にもあるそうですが、4月22日のアースデイは私の生まれた1970年に始まったそうです。
産業革命が起こり、それ以後地球の環境を人間が破壊して来た、ということになっていますが、
人間の存在というのは地球にとって悪、なのでしょうか。
例えばトイレを使う、という行為一つとっても今は環境破壊に繋がる行為です。
大昔、人間がまだ文明を持たない時代は今の野生動物と同じレヴェルの存在だったはず。
それがいまでは自然界と人間界はきれいに分かれてしまっていると思います。
例えば人間より遥かに小さいゴキブリが出現した、といって大騒ぎしますが、
彼らには人間に対する敵意は微塵もないと思います。
畑の作物を荒らすから害獣とされ、乱獲された結果、絶滅危惧種となり、
今度は保護される。
本当に人間の勝手です。
先日も熊園の熊が逃げ出して従業員を襲った、ということで射殺されました。
本当に人間の勝手です。
ムツゴロウさんがかつてこんなことを言っていました。
「年間に交通事故で亡くなる人は何千人もいるのに、大して報道もされないが、
熊が人間を襲ったら大ニュースになるけれど、年間で二三人しか被害に遭わない」
因に調べてみましたら、昔は年間一万人を超えていた交通事故死者は平成21に年には
昭和27年以来57年振りの4千人台になった、ということでした。
それでも一日平均13.46人、1時間47分に一人、
一番多い日で29人、一番少ない日でも4人の方が亡くなられている、ということでした。
 
サメも同じ。
サメは悪者の代表格のようになっていますが、年間にサメにやられて死ぬ人は本当に何人いるのでしょうか。
しかし年間で73,000頭以上のサメが「ヒレをとるだけのため」に殺されているそうです。
 
今日はそういうことを考える日。
スーパーへ買い物に行って、色々なことに思いを馳せてみたいと思います。
 
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和音はみんなで作るもの

2012年04月21日 | Weblog
ある女声合唱団で、女声二部合唱曲集を練習しています。
そして一曲だけ三部に分かれる曲を練習しています。
この前も前半は二部合唱、後半は三部合唱の曲をやりましたが、
やはり合唱、というか音楽は三部以上の音がないと成り立たない感じがします。
和音というのは三つ以上の音でしか成り立たないからです。
良く長三和音や短三和音を合唱でやる時に、
第三音の音を出すパートに良く言うことがあります。
「第三音が決定権を持っているのだからしっかり」と。
つまりドミソの和音のミの音を出すパート。
普通のミだと長三和音。フラットがつくと短三和音。
長三和音を男、短三和音を女に例えると、中途半端な音程はどちらか分からなくなるわけです。
だからやっぱり三部以上でないと音楽がハッキリしない感じがします。
女声三部はたまに女声四部になったりもしますが、
混声合唱はもっと複雑化します。
そしてそれぞれの音程、音色、バランスがピタっと揃った時にしか、
「本当の和音」が鳴りません。
そしてその「揃う時」は経験と、感覚に因るところが大きいのです。
音程やバランスは機械で計れなくもないのでしょうが、
音色に至っては機械で計ることは無理だと思います。
そしてピタっと揃った時に美しい和音が鳴りますが、
しかしそれも「完全な」ものかというとそうでもないと思います。
本当に「完全な」「完璧な」和音というものが存在するかどうか、
私には未だ解りませんが、
「より完全な」「より完璧に近い」和音は響かせると思っています。
当たり前です。
逆に言えばそれしか出来ないのですから。
そして合唱やオーケストラで良い和音を作るためには、
「一人ではできない」ということも重要なポイントです。
いくら家で、一人で練習を積んで来たとしても、
「合わせる」ということは現場でしか出来ません。
それが楽しいのだと思います。
さて、今日もそんな現場へ向かいたいと思います。
 
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またNHKの番組の話ですが

2012年04月20日 | Weblog
今週のプロフェッショナル 仕事の流儀 は困窮者支援、奥田知志さんでした。
北九州でホームレス支援をされています。
昨年の大震災の被災者も支援されている、ということが今回の番組の中心だったのですが、
二つ程私の心に留まりました。
まず一つは北九州から送られた支援物資の中に、絵手紙があり、それを受け取った、
牡鹿半島で牡蠣養殖を営むご夫婦がその手紙を心の拠り所にされている、
ということ。
文面には「生きていれば きっと 笑える時がくる」と書かれています。
もちろん物やお金も被災者にとって必要な物なのでしょうが、
その一通の見知らぬ誰かからの手紙が生きる糧になっている、
そういうことも立派な支援になるんだ、ということを改めて知らされました。
 
それからもうひとつは、福島から親子三人で北九州に避難してきた家族の話です。
おばあちゃんとおじいちゃん、そして友達を福島に残して来たその家族の長男は、ピアノを弾きます。
お母さんはピアノの先生です。
奥田さんが、その長男が悩んでいるのを見て、自分の教会で「ちょっとピアノを聴かせてよ」
と言います。
長男は恥ずかしがりながらピアノを弾きますが、
その音がとても荒れていました。
自棄っぱちにも聴こえました。
「どうして自分が原発のためにこんな友達もいない遠くまで引っ越して来なければならなかったの?」
という気持ちが痛い程よく分かりました。
そしてその演奏を聴いていた奥田さんが、
「演奏会をやろうよ」と持ちかけます。
一方でホームレスのボランティア活動にその長男を連れて行きます。
 
そして演奏会の模様が流れましたが、演奏は見違えるものでした。
非常に力強く、決意に満ちたものでした。
私は感動して思わず泣けてきましたが、会場で聴いていた人たちも彼の下に集まり、
あるリストラにあって就職活動中の男性が、
「元気をもらいました、私も頑張りたいと思います。
 ありがとう」
と握手を求めている姿が映し出されました。
 
演奏する、ということは単に「音を出す」ということとは全く次元が違いますが、
彼の演奏は本当に高次元な演奏でした。
自分が傷ついたからこそ、そして人の痛みを知ったからこそ、
の演奏だったと思います。
 
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最近書いてないですね・・・

2012年04月19日 | Weblog
一昨日、デジタルとアナログの事について書きましたが、こんな事を思い出しました。
私は東京トロイカ合唱団のインスペクターも兼ねていて、演奏会の発注をやったりもします。
昔はお願いする時は一人ずつ電話でした。
それも家の電話。携帯電話を持っている人はまだまだ少なかった。
いなければ留守電に入れて。
それから人数が多くなって来たので、往復はがき。
その前は封書で送っていたのですが、コスト削減で。
文面はコピー機で印刷しますが、宛名は全て手書き。
そのうちにだんだんとFAXを持ってくれるようになり、FAXで発注。
会社で使っていたFAXは賢くて、相手が話し中だったりすると自動で再送してくれました。
でも一枚ずつ紙を差し込んではダイヤル、という作業は50人分きっちりやらないといけませんでした。
そしてメールの登場。
メールの使い勝手はもう代替えはできません。
一斉に送れるし、時間帯があまりシビアでないし、証拠が残るし。
 
携帯電話の登場は今でも憶えていますが、川田正子先生の大阪公演の時に、
森の木児童合唱団がバスで東京から来る、ということで、制作会社のスタッフがカバンのようなものを持っていました。
それが携帯電話。通話料もべらぼうに高かったと思います。
そのちょっと前から恵雅堂の社長、副社長の車には自動車電話が付いていた事を憶えています。
車を運転しながら携帯電話をいじってはいけない今からは想像もつきません。
それから数年であれよあれよと小さくなり、私も約20年前に東京デジタルフォンの携帯を持ちました。
 
もう連絡ツールとしてメールは絶対に欠かせない、とさっき書きましたが、
電話も無い時代の人たちのやり取りは手紙しかないわけで、そしてそれも何日もかかったわけで、
さぞかしもどかしかっただろうな、というのは想像に難くありません。
「好きです。つき合ってください」と出した手紙が一週間ほどで相手に渡り、
さらに一週間かけて返事が戻ってくる。
ノスタルジーというか、ロマンを感じます。
 
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