数日前のサウジアラビアの若者たちの件に関してのzoeさんのコメントに関するやり取りに関して、
ご本人と会話する機会があったので、せっかくだからここで私の意見を述べさせてもらいます。
数日前のサウジアラビアの若者たちの件に関してのzoeさんのコメントに関するやり取りに関して、
ご本人と会話する機会があったので、せっかくだからここで私の意見を述べさせてもらいます。
先日音取りの訓練術を掲載して、結構反響がありました。
昨日は東京男声合唱団の練習でした。
夕べNHKのニュースを見ていたら、パラリンピックの卓球日本代表の方の話題を取り上げていました。
8月29日開幕のロンドンパラリンピックまで約半年。車いすの選手が競う卓球のシングルスで、兵庫県明石市魚住町清水の女性(64)が、悲願のメダル獲得を目指して練習に励んでいる。骨盤の骨の一部に腫瘍ができる重病で両足の自由を失い、絶望の中で卓球に出会った。日本選手団女子最年長で出場した北京パラリンピックでは5位入賞。女性は現在、年下の選手に負けないためのフォーム改造に取り組んでいる。
別所キミヱさん。43歳のとき、全国で患者が数人という「仙骨巨細胞腫」を発症した。1990、91年に受けた骨の移植手術はいずれも24時間を超え、病院では約140人が輸血の協力に列を作った。別所さんは術中に心肺停止になるなど生死をさまよいながら、何とか命は取り留めたものの、両足の自由を失った。
ベッドの上で「生きてる価値、あるんやろか」と考え続けた。発症前に夫をくも膜下出血で亡くしていたこともあり、自らの境遇を嘆いた。支えになったのは、多くの人の輸血に助けられたという事実。約1年後、「粗末な生き方をしていたら申し訳ない」と奮起し、県立総合リハビリテーションセンター(神戸市西区)で卓球に出会った。
各地で健常者に混じって練習し、めきめきと実力をつけた。99年には日本代表として、国際大会にデビュー。仕事と競技生活を両立させ、「私は卓球に人間として育てられた。絶望の中で自信をもらった」と振り返る。
予選落ちしたアテネ大会、入賞を果たした北京大会を経て、3度目のロンドンでメダルを狙う。障害に応じた「クラス5」という階級で、1月の国際ランキングは6位。大会出場が有力な情勢で、別所さんは「若い選手に動きの速さではついていけないが、球のスピードを調節し、コースを打ち分け、意表を突くプレーで勝ちたい。あと半年、技術向上へあらゆることに挑む」と意気込んでいる。
生活保護の不正受給とかで世間は盛り上がっているようですが、
合唱団を指導していて、私のやり方の順番というのがあります。
この前の訓練法の続きです。
昨日は柏の「合唱の集い」のホールでの練習でした。
火曜日に私が指導している団体、コッラ・ヴォーチェはオペラ物を中心にやっています。
先日「空腹が人を健康にする」と本を買ったという事を話題にしましたが、