指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

今日はイースター

2013年03月31日 | Weblog

 

今日は西方のキリスト教では「イースター」です。
イエス・キリストが一度磔刑で死んでから、
三日後に復活した、その日。
毎年日が変わります。
その定義は、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」ということです。
なので、今年は今日ですが、例えば昨年は4月8日、
一昨年は4月24日でした。
で、今年は今日、というわけです。
私は毎年練馬聖ガブリエル教会のイースターに、
聖歌隊の指揮者として参加しています。
私は洗礼を受けていませんが、イースターと、クリスマスはこの教会へ行って、
皆さんと一緒にお祝いをします。
クリスマスは世間でも別にキリスト教徒でもない人が、
プレゼント交換をしたり、ケーキを食べたりして祝賀ムードに浸りますが、
特にキリストの誕生を祝っているつもりはないと思います。
そしてイースターは、テーマパークや一部の店舗では、
キリストの復活を祝っているのかどうか知りませんが、
イースター的なことをやっています。
私はこの二日は教会へ行くようになり、
やはり基本である、キリストが生まれた日である、
キリストが復活した日である、
ということは忘れてはいけないと思います。
もっともクリスマスは、本当は全然別の日かもしれません。
冬至を節目として、今の日に設定された、という説がありますが、
まあそれはともかく、誕生をお祝いする、ということが大事だと思います。
そして最も大事なことは、キリストが「復活した」という、今日のイースター。
世界広しと云えど、死んでから復活した人は今のところ、キリストしかいません。
これは凄い事で、だからこそキリストの教えは尊いものだし、
イエス・キリストという人は本当に特別な人なんだと思います。
復活して天に昇り、主の右に座している。
考えただけで神秘的であるし、それだけで救われる気がします。
イースターの楽しみと言えば、イースターエッグ。
昔は卵に手で画を描いていましたが、
最近は画の描かれたビニールを被せて茹でるとイースターエッグが出来上がります。
これも時代の流れ。
では、イエス・キリストの復活をお祝いして来ます!
 

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バロック音楽

2013年03月30日 | Weblog

最近、バロック音楽に若干ハマっています。

今までは、バロック音楽は私にとってちょっと縁遠いものでした。
理由は正直に、「かったるい」感じがしていたからです。
テンポ感としては、ちょっとゆったり目というか、
違う言い方をすると、「心地よい」のですが、
以前はそれが「かったるい」と思う一番の原因でした。
それから和音やメロディや構成もロマン派以降の「派手さ」は無いですし、
楽器も「ユルい」音が出るものばかり。
金管や打楽器の派手さもありません。
極めつけが、「ピカルディ終止」
短調で始まった曲は全て長調で終わります。
どんな悲しいアリアを歌っている時でもです。
最後は明るく。
これが腑に落ちないでいました。
ということであまり聴きも、演奏もしなかったのは事実です。
しかし最近はなぜがハマりつつあります。
それは、年齢なのか、運命なのか、気まぐれなのか、
私にはよく分かりませんが、
言える事はバロック音楽は今の私にとって「安らぎ」になる、ということです。
私はFMのエアチェックをするのに、オリンパスのラジオサーバーというものを使っていて、
自動的にいくつかの番組を録音する様にしてあるのですが、
ここ数ヶ月で、朝の6時から始まる「古楽の楽しみ」
という番組もリストに入っています。
そしてそれらをチェックがてらパソコンで流してパソコン作業をしているのですが、
ブラームスや、ブルックナーなどを聴くよりは、作業が捗る様です。
それは、音楽の軽さがそうさせているのでしょうが、
バロック音楽というものはロマン派以降のように、
深く深く自分の中に入らなくてもいい、
というか、自然に浸透してくる、
そう言う感じがするからだと思います。
最近K-mio Chorでウィリアム・バードの曲をやり始めました。
理由は二つ。
一つは「私が好き」になったからです(笑)
もう一つは、合唱団のレヴェルアップに繋がるからです。
何百年も続いている音楽の歴史の原点に帰るということは、
逆に言うと「基礎」を知る、という事でもあると思います。
ロマン派以降の音楽に比べて単純な造りである、
ということは実は演奏するには難しいのです。
声楽曲であれば、余計なビヴラートをかけてはいけませんし、
いかに純正律に音程を近づけるか。
楽器に頼れないのでお互いを信頼して音程を合わしていくしかありません。
私にとっては実は未開拓分野なので、
今後バロック音楽に触れる機会を増やして、
更なる音楽の世界を楽しんでいきたいと思っています。
 
 
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少子化、少子化といいますが

2013年03月29日 | Weblog
「超少子化、超高齢化社会」が来る、ということが40年以上前にはわかっていたのに、
なぜ今までほとんど何も対策がなされて来なかったのでしょう。
今のままで行くと、200年の日本は今の東京都くらいの人口になるそうです。
2045年頃には一億人を割り込み、2100年頃には5000万人を割り込み、
という感じだそうです。
試算は、出生率1.35+移民が200万人あったとして。
まあ当然のことですが、200年後には今の人は誰も生きていません。
(まあ、不老不死の技術が確立されて全員生きているのならば話は全く変わってきますが・・・)
だからそんな先の事をどうこう、というのはナンセンス、
という向きもあるでしょう。
現実には人口密度も減るので住みやすくなる、
という考え方も出来るかも知れません。
ちなみに今の日本の人口密度は336人/Km2です。
一番人口密度が高いのは、モナコ。16,244/Km2。
二番目はシンガポール。6,773/Km2です。
お隣韓国は485/Km2。台湾は637/Km2。
東京のみ、となると6,017/Km2で、確かに高すぎる数字だと思います。
 
でもこの前も小豆島に帰った時の印象として、
子供の姿を見ない。
スーパーに買い物に行っても、高齢者ばかり。駐車場には紅葉マークの車ばかり。
シャッターが閉まっている「元お店」が多い。
と思いましたし、これは小豆島に限った事ではなく、「田舎」といわれるところはみんなそうだと思います。
 
会社における女性の幹部の少なさは先進国最低レヴェルだそうですし、
出産、育児休暇の制度にしても日本は遅れていると思いますし、
出産後女性が働くための社会的な環境は確かに劣悪だと思います。
だから子供を産む、というのは非常に勇気がいる事でしょうし、
将来の社会の事を考えると子供が大変、と思えば子供は作らない方が賢明、
という考え方もできます。
そう考えると、将来国に自分の生活を保証してもらえる見込みはありませんから、
働けるうちに働いて老後の資金を貯めておく、
という風になって当然です。
 
結婚そのものだって、震災後は多少増えたそうですが、
離婚率は今や三組に一組、二分で一組が離婚している、という話もあります。
結婚して男性に生活を頼っていたらリストラ、
ということもあるでしょうし、
親が要介護、となったら躊躇もするでしょう。
 
人間以外の生物は、生殖機能を無くしたらそれはイコール「死」だそうです。
人間も男性は死ぬまで一応、子孫を残す能力があります。
だから、地球上で、人間の女性だけがその能力が無くても生きていける、ということです。
それは、人間の女性だけが、「孫の面倒を見る」という役割を身につけているからだそうです。
でも今やその役割も減っているのが、特に都市部では実情だと思います。
いろいろな意味で人間は「進化」してきたのですし、
人間の数が減っていく、というのはその一つかも知れませんし、
私は人間は、天変地異とか、戦争などで滅ぶんではなくて、
こうやって自然に減っていくのではないか、
と実は思っています。
 
でもやはり人がいないと寂しいですし、
人間同士のつながりや付き合いがあるからこそ、
人間らしく生きられるものだろうと思います。
どうにかならないものかな、
と私一人が思案しても仕方ないですが・・・
 
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心と身体のバランス

2013年03月28日 | Weblog

山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を読んでいましたら、
こういう行がありました。
 
六助という病人が膵臓に癌腫ができて、臨終を迎えようとしている場面です。

「すると、治療法はないのですね」
「ない」と去定は嘲笑するように首を振った、
「この病気に限らず、あらゆる病気に対して治療法などない」
登はゆっくり去定を見た。
「医療がもっと進めば変わってくるかもしれない、
 だがそれでも、その個体の持っている生命力を凌ぐことはできないだろう」
と去定は云った、
「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、
 医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、
 病気が起こると、或る個体はそれを克服し、
 べつの個体は負けて倒れる、
 医者はその症状と経過を認める事ができるし、
 生命力の強い個体には多少の助力をすることもできる、
 だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃあしない」
 
他の、現役の医者が書いた本を読んだ時にも、
同じような事が書いていました。
医者の所へ行けばみんな治してくれると患者は思っているけれど、
今の医療現場というものはほとんどの事がなぜそうなるかわかっていない、
という様な内容でした。
私も去年の夏くらいから喉の不調のために耳鼻咽喉科に、
精神的なものから来る身体の不調のために心療内科へ通っていますが、
病院へ行く時には医者がすべてを解決してくれる、
行けばすぐにその場で治してくれる、
という気持ちで病院の門をくぐったのを憶えています。
一月に包丁で指をザックリ切った時も、行って縫ってもらえば直に治る、
と思っていきました。
その時は切ってから二日ほど経っていて、
バンドエイドをずっと貼っていたので、
傷口はくっついていて、先生に見せたら、
「ああ、もうくっついてますね、こんな感じで水道水で洗って、軟膏を処方しますから、
 一日に何回か塗ってバンドエイドを貼っておいてください」
と言って、脱脂綿でゴシゴシ傷を拭いてくださいました。
診察は以上。
喉の方も、行くと内視鏡で喉の中を見られるのですが、
それがいつも苦しくて、でも多少はよくなりましたが、
一気に治る、ということはありません。
心療内科の方も、結局は「過労」ということで、
それからはなるべく無理はしない様に、
睡眠時間も以前よりも長くとっていますが、
その症状はまだ治る気配はありません。
でも、今月頭に熱を出した時に、喉の薬を飲んだことが原因か、
と思い、それから実は服用していませんし、
病院へも行っていません。
が、実は以前より症状は軽減されている気がします。
 
結局は「赤ひげ」が云うように、その個体の持っている力が頼り、
という事なんだと思います。
昨年から今年にかけて、自分の身の回りの事や、
身体の不調が出てくるなど、大きく変わって来ている気がします。
気が弱くなると、身体も弱くなる。
逆に言うと、気が充実すると身体も強くなるのでしょう。
もうちょっと自分の心と身体に関しては関心を持ってみたいと思います。
 
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日米のアカデミー賞の違い

2013年03月27日 | Weblog

先日録りためておいた、第36回日本アカデミー賞と、
第85回アカデミー賞の模様を観ました。
歴史が36回と85回と全く違いますが、
アカデミー賞の受賞者の内容も全然違いました。
まずひと言で言えば、日本のそれは「地味」
会場がアメリカはドルビーシアターで、
その前には「レッドカーペット」が敷かれ、
とにかく華やか。
セス・マクファーリンのウィットとユーモアとスピード感のある司会で進められる授賞式は、
本当に「エンターテインメント」の極みです。
受賞者を読み上げるプレゼンターも超豪華で、
アベンジャーズのヒーローたちが揃って出て来た時は、ひっくり返りました。
受賞者のコメントも面白く、
例えば主演男優賞を取った、ダニエル・デイ=ルイスは、
前の年にサッチャー役で主演女優賞を取ったメリル・ストリープからオスカー像を受け取り、
「おかしな話だが3年前にはリンカーンを演じる筈ではなかった。
 マーガレット・サッチャーを演じる予定でした。
 メリルはリンカーンの候補でした」
と言って会場を湧かせ、さらに
「私がリンカーンを演じる条件として、
 ミュージカルにはしないでくれと監督に頼みました」
と続けました。
受賞した人の多くは、誰それに感謝します、
と言って、たくさんの人の名前をスラスラ読み上げるのですが、
もちろん自分が受賞したら言える様に練習しているのかも知れませんが・・・
 
一方の日本アカデミー賞の方は、グランドプリンスホテル新高輪で行われるのですが、
アメリカの様に客席が階段状になっていないので、
客席を写しても地味な印象を感じます。
それに授賞式なのに、結構アルコールを飲んでいる人がいたりして、
公開されている、というより本当に「内輪」でやっている、
という印象が残りました。
受賞者のコメントも何となく冴えない感じもしましたし、
まあ、日本人的な「謙虚」な感じはとても出ていますが、
それが会を余計地味にしているような気もしました。
 
アメリカと日本だと映画の歴史や、意味や、意義や、かけるお金も全く違うので、
アカデミー賞の重みや授賞式も違うのでしょうが、
何か見比べてしまうと、日本ももうちょっと頑張って欲しいな・・・
と思ってしまった次第です。
 
 
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演奏会のお知らせ

2013年03月26日 | Weblog

そういえば、4月の公演のインフォメーションをしていませんでした。
以前からここでもちょくちょく出ている、高松と、私の故郷小豆島での公演です。
高松公演での香川オリーブ少年少女合唱団の指導者は、竹内肇&久美子先生なのですが、
お二人のお嬢様が、何と私の中学校の音楽の先生のお一人でした。
小豆島公演は、私の母校でもあり、「二十四の瞳」の舞台でもある苗羽小学校での演奏会。
苗羽小学校には音楽部があり、全国大会に常に出ている実力の団体です。
 
合唱曲の部分を私は指揮をする事になっていますが、
女声合唱は世界初演、そしてあとの童声合唱曲と、混声合唱曲を含めて、
録音、CD販売予定です。
 

 
打楽器アンサンブルと合唱の祭典
吉岡孝悦作曲
3台のマリンバとヴィブラフォンと3群の打楽器のための「舞踏組曲」
マリンバとティンパニと4人の打楽器奏者のための協奏曲
マリンバと4人の打楽器奏者のための「3つの舞曲」
女声合唱と4人の打楽器奏者のための「修羅街輓歌」(詩:中原中也)【世界初演】
童声合唱と4人の打楽器奏者のための「5つの歌」(詩:阪本繭子)
混声合唱と4人の打楽器奏者のための「コスモフラワー」(詩:生野毅) 
 

■マリンバ&打楽器

吉岡孝悦、塩浜玲子、佐々木裕健、池永健二
矢野顕太郎、泉川亜耶、鴨田実可子
■指揮
神尾昇
■合唱
善通寺少年少女合唱団
コーロ デル クオーレ
香川オリーブ少年少女合唱団
K-mio Chor
新都心女声合唱団
 
4月13日(土) 13:30開場/14:00開演
サンポートホール高松 第一小ホール
入場料 一般:前売3,000円(当日3,500円)/学生:2,000円(当日2,500円)
 
主催:スーパーマリンバプロジェクト
後援:香川県、香川県教育委員会、高松市、高松市教育委員会、香川県吹奏楽連盟、香川県合唱連盟、香川ジュニアコーラス連盟、四国新聞社、OHK岡山放送局、RSK、KSB瀬戸内海放送、TSCテレビせとうち、FM香川、FM815、日本作曲家協議会、日本音楽家ユニオン、日本木琴協会、香川銀行、ヤマハ株式会社、全音楽譜出版社、ジャパンパーカッションセンター、ブレーン株式会社、マザーアース株式会社
チケット前売り
サンポートホール高松プレイガイド 087-825-5008
ヤマハ高松店 087-822-3068
竹内楽器 087-862-5009
シャープアンドフラット 0875-73-5597
OPUSイオンモール高松店 087-832-8016
 [お問い合わせ]
 スーパーマリンバプロジェクト 090-2768-6386
 

「瀬戸内国際芸術祭2013」開催記念公演 
4月14日(日) 12:30開場/13:00開演
小豆島町立苗羽小学校 体育館 
入場無料 
 

主催:小豆島町

共催:小豆島町教育委員会 
後援:島の子供たちに贈る瀬戸内デリバリーコンサート実行委員会
   島の子供たち合唱団
   小豆島合唱協会
 [お問い合わせ]
    瀬戸内国際芸術祭2013推進室イベント担当
 (小豆島町商工観光課内)TEL 0879-82-7007/FAX 0879-82-7017
 
メールでのお問い合わせはk_mio_chor@yahoo.co.jpまでどうぞ。

 
 
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私のこれから

2013年03月25日 | Weblog

私の近くで亡くなった人は今までもたくさんいます。
祖父母は皆他界しましたし、知り合いやお世話になった方で亡くなった人もたくさんいます。
でも二親等までの身内を亡くしたのは今回が初めてです。
自分の知人が親兄弟を亡くした時とか、親戚縁者の中で亡くなった、
という時に、その悲しみや喪失感というものは、
正直なところ、想像するしかありませんでした。
「死」というものは誰にでも平等に訪れるものです。
ですから、いつかは誰だって必ず死ぬのです。
それは頭では分かっているのですが、
しかし現実にそれが自分の身近に起きたときの感覚、感情、
というものはこれは体験してみないとわからないものだな、
というのが私の今の正直な感想です。
 
特に震災が起きて後、ここ数年は「死」というものをよく考えています。
「死」を考えるということは、「生」を考える、という事でもあると思います。
そしてこれらはいくら考えたって、答の出てくるものではありません。
むしろ考えれば考えるほど、疑問のスパイラルに落ち込んでいきます。
でも考える事を止めることはできません。
それはやはり私は「生きている」からです。
そして私は、それらを考える事は「音楽」や、「芸術」を考えることでもある、
と思っています。
芸術活動、というものは「生」そのものであると思います。
もちろん全ての人間活動や仕事は「生」あってのものですが、
特に「芸術活動」というものは、「生と死」に直面するものだ、
ということが最近よく分かってきました。
宗教というものもそう言う意味では似ている部分もあるでしょうが、
芸術活動というものは例えば、「感謝をする」
とか、「佳く生きる」という事とはまた次元の違う、
「生そのもの」に触れる事だと思うのです。
「生そのもの」に触れる、という事は逆の言い方をすると、
「死そのもの」に触れることです。
生きていないと、何かを残す、ということはできませんし、
「演奏をする」ということはできません。
だから「生きている」ということは本当に大事な事であって、
だからこそ、それらに触れた人が生きる勇気をもらったり、
感動できたりするのではないかと思います。
私も、母の死を体験した事によって、
自分の奏でる音楽にまた新たなる「祈り」の部分が増えることと思います。
そして私の「生」は母によって与えられたものです。
それは紛れもない事実ですし、
だからこそ、演奏する時にはその部分は切っても切れないものになるでしょう。
これからの私の演奏する音楽がどのようになっていくかは、
正直私にも分かりませんが、
母の死によって新しい感覚、感情を与えられたのは事実です。
そしてそれは母の望んでいることのような気がしてなりません。
 
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母との別れ

2013年03月24日 | Weblog

10日程、ご無沙汰をしておりました。

3月14日の夜、混声合唱ショコラから帰ったら父からの留守電が。
父から直接電話がかかってくる事は珍しく、
私が電話をして父がでたとしても、直ぐに母と代わっていたくらいでした。
そして、その留守電の内容が衝撃的なものでした。
「いま、お母さんが倒れて救急車が来とる」

そして慌てて電話をすると、父が直ぐに出て来て、
母が台所で急に倒れて、救急車を呼んだけれど、心臓が止まっている状態、
現在蘇生術を施している。
という内容でした。
私はそれを聞いて、「そう・・・」としか言えませんでした。
つまりもうそこで私自身は覚悟しました。
私には姉と弟と妹がいるのですが、
早速弟に連絡。
「明日なるべく早い便で小豆島へ行く」
という返事でした。
妹からも電話がかかって来て、
「仕事がどうしても急に抜けられないから、明日の夕方には行く」
という返事でした。
私は二人には父から聞いた状況から「ちょっと難しそう、覚悟はしておいた方が良い」
と伝えました。
姉には電話しましたが通じず、留守電とメールを入れました。
その場で直ぐに次の日の朝一番の飛行機を予約。

そして砂を噛むような食事を終えて、11時半頃、父から再び電話。
自宅からでしたが、
「お母さん、あかんかった」
という事でした。
旅支度を整え、ベッドに入るもよくよく眠れず朝を迎え、
北千住まで電車で向かいリムジンバスで一路羽田空港へ。
そのバスの中で前回のブログの記事を更新しました。

小豆島へ11時過ぎに到着。
弟が神戸から乗って来た自分の車で父とともに迎えに来たのですが、
その足でそのまま葬儀屋へ。
私達は身内の葬儀を出すのは初めてなので、
正直右も左も分からない状況でしたが、何とか段取りを整え実家へ帰宅。
先ずは横たえられている母に会いに行きました。
本当に眠っているような穏やかな死に顔でした。
そのまま「あら、帰ったん」と起きてきそうな表情でした。
起きて「何や、しんどそうな顔やね・・・」と言われるかと思いました。
しかし母の顔に手をふれましたが、とても冷たく、
その冷たさはやはりもう血が通っていない、という現実を私に伝えました。
それまで、自宅にいるときも、電車やバスや飛行機や船に乗っている時も、
弟や父の顔を見た時でさえ、泣きそうになるのを辛うじて耐えてきましたが、
母の冷たい顔を触った途端、とうとう我慢が出来なくなりました。
「どうしてこんな急に逝ってしまったん、お母さん・・・」
私はちょうど一ヶ月後に小豆島でK-mio Chorを引き連れ、
小豆島で指揮者として初めての仕事をする予定なのですが、
どうしてそこまで待ってくれなかったのか・・・
それが本当に無念でなりませんでした。

しかしそこからはそんな感傷に浸っている時間が与えられませんでした。
親戚縁者への連絡は私が帰る前に弟が概ね終わらせてくれていたのですが、
ホールではなく、自宅で法要を執り行う事になった、
次の日の通夜、またその次の日の告別式に向けての準備、手配に追われて、
そのうちに妹夫婦が到着、遅れて姉と甥二人が到着で、
皆の食事の準備などに追われて、
という風に実に慌ただしい時間を過ごす事になりました。
母の葬儀を行ったのは私達家族が「子供部屋」と呼んでいる、
20畳以上ある離れの部屋だったのですが、
夜はそこへ集まり、母の死に顔を見ながら、
10何年振りに集まった兄弟姉妹で話をしました。
母は生前、私達が一堂に会さないのも心配していましたから、
母が死ぬ事によって皮肉にもそれが実現したんだな、
お母さんゴメンね、
と思ったらまた涙が溢れてきました。

次の朝も早くから起きて色々な仕事が待っています。
父は酪農家なので、こんな日も仕事を休む事が出来ませんので、
その二日前まで母がしていた、父の朝食の準備などをしなければいけません。
そして家に集まっている人たちの食事の準備やら何やらで、あっという間に時間は過ぎ、
その間にお通夜の準備として、死者に着物を着せ、納棺。
「おくりびと」という映画を観ていましたが、正にその風景さながらの所作でした。
小豆島の葬儀では、御看経(おかんき)というのがあり、
通夜と初七日は、地域のおばさんにお願いして、
お経を上げてもらいます。
私も弟も知らなかったので、
どなたか知り合いで「おかんき」が出来る人がいますか?
と訊かれて、「はあ、それは誰でも出来るものなんですか?」
と聞き返してしまいました。
二人の方が見えて、般若心経を唱えて下さるのですが、
その方々へのお礼も葬儀屋さんが立て替えてくれました。

この日の夜はさすがに私も相当疲れていて、
そこまでの体調も良くなかったので、
五時間くらいは寝て、いよいよ告別式当日。
棺にお弁当を入れないといけないのでその準備。
東京から私の指導している人でもあり、母の友人でもあった方から、
お悔やみにと送って頂いた鈴波の粕漬けの魚を焼き、
ご飯を炊き、母が好きだった卵焼きを焼き、
母が自ら焼いたパンが冷凍保存してあったので、
それらを入れて完成。
私達も順に朝食を摂り、13時から行われる告別式の準備。
私の妻も私が小豆島入りした同じ船で来たので迎えがてら昼食の総菜の買い出し。
しかし結局それらは慌ただしさの中で時間がなく夕食に回す事になりました。
13時からの筈だったのに、お寺さんがちょっと遅れて到着。
焼香を済ませ出棺。
私は足の悪い父に代わり喪主を務めていたので、
挨拶などをし、火葬場へ。
点火のスイッチも私が回しました。

お昼も摂っていなかったし手持ち無沙汰なので、
車を走らせお茶やお茶菓子を買って来て待つ事、約二時間、
母は骨になって出てきました。
父が「とうとう骨になってしもうたな・・・」
とボソっと言ったのが印象的でした。
お骨を拾って帰宅。
父は遺影、私は骨壷を抱えて帰ったのですが、
骨壺から温もりが感じられて、それがとても不思議な感覚でした。
さっきまではあんなに冷たかったのに・・・
帰ったら早速初七日の儀式。
再び御看経をしてもらいました。

妹夫婦と弟の家族が神戸行きの船に乗って帰る、
ということで慌ただしく夕食を食べさせて見送り。
さすがに私も疲れたので、港まで見送った弟たちが帰ってくるまで横になっていました。
その晩はちゃんと布団を敷き2時頃には就寝。
次の日の朝は姉たちが帰る、ということだったのですが、
揃って寝坊。着の身着のままで出かけるのを送り出し、
朝食などを摂ってから郵便局や銀行へ。
母が急にいなくなったので、何がどこにあるか父も私達もさっぱり分からない状態。
とりあえず通帳は見つけたけれど、
金融機関へ行って「他に何かありませんか?」と訊く始末。
母もこうなる事を予想していたのか、妹の簡保などは亡くなる前の日に全て解約していました。
それらの整理や、葬儀屋の清算などは夜まで残る弟に任せて、
私達は夜自宅へ帰ってきました。

これらが先週末からの一連の動きでしたが、
ひとつ思った事といえば、葬儀というものは亡くなった人のためのものですが、
遺族のためにも実はありがたい儀式なんだな、ということです。
葬儀屋がいろいろやってくれる、とは言え、
やはり遺族が先導をとっていろいろなことをしていかなければなりません。
そして家事は母がやっていたわけですから、
炊事や洗濯もしていかなければなりません。
つまり、悲しみに暮れている時間がないのです。
納棺する時や、出棺する時や、火葬する時に、
「あ、ちょっと待って下さい」と言う隙もありません。
それにやらなければいけないことが多すぎて、
疲れている時間もありません。
私は一緒に住んでいませんでしたし、
昨年は瀬戸内国際芸術祭の事があるので二度帰りましたが、
一年のうちで母に会わない、ということも結構ありましたし、
電話で話しするのも多くて一週間に一度程度でした。
だから、亡くなった、と言っても自宅へ帰ってきてもあまり実感として湧いて来ないのは事実です。
でもやはり、こうやって文章にしてみたり、母からもらったものなどを目にすると、
思わず胸が苦しくなるのも事実です。
こうやって、徐々に自分の中に受け入れていくのだろうな、
と思っています。

帰って来て最初の仕事が川田正子音楽教室の春の発表会の伴奏の指揮でした。
思えば川田正子先生も、2006年に急に亡くなりました。
それでもそれから毎年欠かさず、この発表会はやっていますし、
演奏会をやる度に、川田正子先生が会場にいらっしゃる気がしますし、
その精神は受け継がれているということを肌で感じます。
その夜はK-mio Chorの練習でしたが、特にモーツアルトのレクイエムを練習する時は、
やはり母の事を思い浮かべるのを禁じ得ませんでした。
そして「コスモフラワー」は小豆島で演奏する予定の曲。
この曲を小豆島で演奏するきっかけを与えてくれたのは母でしたので、
やはりどうしても気持ちが入ってしまいます。
次の日の合唱団ショコラの練習でも、フォーレのアヴェ・マリアをやったのですが、
やはり母の事が胸に浮かんできます。
こうやって一人の音楽家として、一人の子供として、
自分の精神の中に、音楽の中に亡くなった人の精神が生きているんだな、
と感じる事が出来ます。

母の葬儀に関しては父の希望もあり、密葬という形で、
ということでしたので、多くの人には知らせませんでした。
しかし私の関係者である皆さんから、献花や弔電を多数頂き、
自宅の葬儀会場が母の好きな花で一杯になりましたし、
何よりも、それが私の心の大きな支えになりました。
そして個人的にも、このブログのコメントにも、
たくさんのお悔やみや励ましのお言葉を頂き、
本当に本当に胸がいっぱいになりました。
私は生きていて良かった、と思いますし、
音楽をやっていて良かった、と本当に心から思いました。
 
そんな私を産んでくれた母に対しては、
どんなにどんなに感謝しても仕切れませんし、
そんな私を支えて下さる皆々さまにも、
どんなにどんなに感謝しても仕切れません。
これからも母や、皆さまの思いを胸に、
さらに音楽道を極めるために精進していきたいと思います。
このブログも再開していく所存ですので、
どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。


東日本大震災緊急支援募金募集中。国際NGOワールド・ビジョン・ジャパン

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お知らせ。

2013年03月15日 | Weblog

夕べ、実家の父から連絡が入り、

母が急に倒れたとのことでした。

そして夜中に連絡が再び入り、

母はそのまま帰らぬ人になってしまいました。

この文面は羽田空港行きのバスの中で打っています。

これから数日はバタバタすると思いますので、

このブログもほしばらくお休みさせて頂きます…


「復興予算」の使われ方

2013年03月14日 | Weblog
こんな記事を読みました。
一部を抜粋して掲載します。
 
 東日本大震災で発生したがれきを受け入れない堺市が、復興予算約86億円をごみ処理施設の新設費などとして受け取ることが9日、分かった。
 市は昨年1月、この施設の建設事業費と老朽化している東区のごみ処理施設の改修事業費のうち、約86億円分を平成24年度の国の交付金対象事業と位置付けた。国の交付率に基づき約40億円を要望し、残る約46億円分を地元で負担する予定だった。
 しかし国は同4月、「堺市はがれき処理を検討している」として、市が求めていた通常枠の交付金ではなく、新たに設けた復旧・復興枠などでの措置を市に打診。約40億円に加え、地元負担の約46億円分も復興予算で交付する枠組みを示した。
 市は受け入れを決定していなかったが、国が「検討レベルでも交付条件に当てはまり、結果的に受け入れることができなかった場合でも返還を求めない」としたため、交付を申請。
 がれきの処理に困った環境省が、受け入れを検討しただけの自治体にも復興予算の交付を決めたためだ。小さな自治体の年間予算にも匹敵する巨額の資金だけに、「本当にもらっていいのか」と疑問の声も上がっている。
 開会中の定例市議会で市議からは「一部を被災地への義援金とするべきでは」「道義的におかしい」と異論が浮上したが、竹山修身市長は「財源の確保は首長の責務。ありがたくいただきたい」と答弁した。
 がれき処理を検討しただけで同様に復興予算を受け取った自治体は堺市のほか、約36億円が交付された埼玉県川口市など6市町3組合ある。
 
税金の使われ方、というのは一般の感覚からは離れている、
と思う事は多いですが、これは本当に疑問です。
渡す方も渡す方ですが、受ける方に関してはもっと、その感覚が理解できません。
だったら、がれきを少しでも受け入れる、というのが、
人道的なものではないのかな、と思ってしまう私の感覚はおかしいのかな、
とちょっと自信が無くなってしまう記事でした。
「復興予算」というのは、がれきを受け入れない自治体の、
ゴミ処理施設の改修事業費に充てられるんですか・・・
「復興予算」とか「復興」とかいうものの意味や意義がわからなくなりました。
ここのところは、震災から二年、ということで、
テレビでは、連日「復興」の様子を流していますが、
ハッキリ言って「ああ、復興できたね、良かったね~」
と思える映像はほとんど、といってない、と思います。
震災前にお店などをやっていたところが、
またお店を開くことができましたが、
みんな避難してしまっていて、震災前の数割しかお客がいない、
とか、お店を再建したけれどプレハブで何とか再開、
などざらにあります。
そこへ「復興予算」が使われないで、がれきを受け入れもしない自治体が、
全然関係ないものに「復興予算」が使われる・・・
なんだか、税金を払う、という行為が正しいことなのかどうなのか、
という事に関しても自信がなくなりました・・・ 
 
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