指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

2.26事件

2011年09月30日 | Weblog

アリルイヤ合唱団の創立は2002年。つまり来年で創立10周年を迎える。

創立当初からラフマニノフの「晩祷」のみを歌い続ける、ちょっと珍しい合唱団。
そして今までに「晩祷」の全曲演奏会を二回行っている。
その全曲演奏会も他の合唱団とジョイントを何回も繰り返しながら、少しずつレパートリーを増やしていき、創立七年目にして漸く15曲全曲演奏会を行うことができた。
そして来年、2012年の2月26日に第三回目の全曲演奏会を行う。
この演奏会を開催するにあたって、私は合唱団の役員を集めてある宣言をした。
「私がアリルイヤ合唱団で『晩祷』を指揮するのは今度の演奏会が最後」、と。
役員は突然の事で皆混乱をしたし、寂しい、または悲しい気持ちになった事だと思う。
しかし私の説明にほぼ納得してもらった。
今まで全曲演奏会を行ってきて、演奏会が終わるごとに退団者、休団者が増えていく。
曲があまりにも高峰過ぎて、全曲制覇したときのよろこびが大きすぎるのだ。
そして、曲がやはり高峰過ぎて他の合唱団のように演奏会が終わった後に新規入団者が増えることはない。
つまり第三回の演奏会を終えた時点で今以上に合唱団が発展する、ということは現状では考えにくい。
だから今度の演奏会を最後にしよう、と。
事実上の解散宣言である。
この話の次の週、合唱団内で総会を行い、以上の事が発表された。
私はその時は参加しなかったのだが、やはり多くの団員の困惑が見られたらしい。
そして一昨日も練習があった。
練習の最後に私はこう言った。
「今度の演奏会を最高のものにしよう。そしてそのためには合唱団の問題ではなく、一人一人の問題としてどういう演奏会を行うべきか考えてほしい」、と。
この演奏会を行うにあたり、今までアリルイヤで歌ったメンバーはもちろん、これから歌いたい人もどんどん参加してほしいと思う。
ひょっとしたら神尾昇が指揮をする「晩祷」はこれが最後かもしれないのだから。
10月28日に行う予定のプロの合唱団、東京トロイカ合唱団のメンバーにも声をかけてみようと思っている。
ご興味を持たれた方はHPからぜひお問い合わせください。

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今日の午後

2011年09月25日 | Weblog

今日はこれから市川オペラの本番です。内容はガラ・コンサート。
実は先週頭から情けないことに喉風邪をひいてしまって、かなり辛い状況に。
しかも今日は一曲だけですがカルメンの五重唱のレメンダード役として歌わなければならない・・・
台風で練習が中止になったりしましたし、練習を休ませてもらったりもして何とか今日は歌えると思います。
指揮者というのは本番では全く音を出さないけれど、練習では結構声を出します。
しかもオーケストラや大きな合唱団だとかなり大きな声を出さないといけません。
先週の月曜日に丸の内合唱団の練習があり、最初は仕方なくマイクを使っていたのですが、やはり生の声でないと気持ちが届かないと思い途中から使用を中止。実は歌い手以上に喉を使っているのだな、ということを改めて知らされた一週間でした。
では感動を生み出しに行って参ります。

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文明の力って・・

2011年09月21日 | Weblog

台風15号の影響で全国で大きな混乱が起きた。そして何人もの方が怪我をしたり亡くなったりしている。
こういう時は野生の動物はどうなっているのだろう・・
台風の後で野生動物が大量に流されたとかのニュースは聞かない・・・
台風は恐らく何億年も前から、地球上には起こっているだろうし、今でも一年に何度もくる。
よく自然の脅威には人間は無力、といわれているが、では他の動物はどうなのだろうか。
自然に対して、ある意味対抗するように人間の文明は発展してきたように思う。
そしてその文明でもって自然を著しく破壊するまでになっている。
しかし自然の脅威が襲ってきたとき文明に頼って生きている私たちは本当に何も出来ない。
電車が動かなくなったらアウト、電気が来なくなったらアウト、ガスが来なくなったらアウト。
かといって今更文明に頼らない生活は絶対に送れないだろう。
そして文明が発達すればする程、自然の脅威に対して脆くなっているような気もする。
私の子供の時の記憶だと、台風といえば窓や扉に板を打ち付け、鉢植えは取り込み、家でロウソクを用意し、外に出ない。
というような図式があったように思う。
でも最近は板を打ち付ける姿なんて見ないし、普通に皆出かけてゆく。
文明の力でこんなに正確に台風が来る事が分かっているのに。
文明が発達しているから何とかなるだろう、と思うからなのか。
私はいわゆるクラシック音楽を専門にしていて時々思うことがある。
17世紀や18世紀の作曲家が書いた曲を演奏するとき、その当時の人々はもっと自然に寄り添っていた気がする、と。
だから畏怖もあったし、尊敬もあったし、感謝もあった。
それを演奏するときに感じる。
私たちもそういう気持ちを忘れては演奏できないのではないか、または演奏してはいけないのではないだろうか。

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画家、堀文子さんの言葉に感動

2011年09月19日 | Weblog

朝のNHKの番組で、画家の堀文子さんの特集をやっていた。
彼女は自分の画風というのを決めないで、そのときに感じた事をそのまま画にする。
番組の最後に出された言葉「息が絶えるまで、感動していたい」
要約になるがこんな詩も読まれていた。
「美とは何かに役に立つ物ではない。
 何かの役に立ったら欲と結びついてしまう。
 つまりは美とは命の輪廻である。」
いつも「美とは何か、音楽とは何か」と考えている、一つのヒントを頂いた。

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ラッキー!

2011年09月15日 | Weblog

先日台風12号が関東にも影響を及ぼしていたとき、朝から降りそうで降らなかったときがあった。木曜日だった。
一応折り畳み傘を持って出たのだが、一度帰宅したときに別の鞄を持って出たらうっかり忘れてしまった。
そして四谷駅に着いて表へ出たとたん、大粒の雨が・・・
しまった、と思いすぐ目の前のコンビニに駆け込んで飲み物やなんかと一緒にビニール傘を購入。
そして店を出たら雨が目の前で止んでしまった。
その次の日に台風が四国へ上陸。次の日も居続け、紀伊半島などで大きな被害が出た。
金曜日も、全く使わないのも悔しいから傘を持って出かけたけれど雨は降れども雨に当たらず・・・
土曜日は朝から市川、月島教会、晴美トリトンスクエア、と移動したがこれも雨は降れども雨に当たらず・・・
日曜日は徳島へ移動だった。台風一過で、飛行機は何の心配もなく羽田空港を飛び立った。
土曜日に徳島へ行く予定だったらアウトだった。
そして最近、アレンジをするためにMacBook Airを持ち歩いている。
行きの電車の中ででも作業を進められるから。
しかし帰り道は電車がいっぱいで作業は出来ないだろう・・・
と思いきや、月曜から持ち歩いているが運のいい事に必ず帰りの電車で座れる。
そして先日のSuicaのレシートがこれ。
こうやって書いてしまうと運が逃げそうで怖いけれど、今年は自分は厄年なのでありました。。。

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あの日から、、、

2011年09月11日 | Weblog

今日はあの日から半年、そしてあの日から10年。
10年前の同時多発テロで亡くなった人は3000人弱。
その後アメリカの兵士で亡くなったのは6000人。
アフガン民間人の死亡者は12万人以上。
今年半年だけでも1500人くらいだとか。
テロに対する報復は成功したのだろうか?
中国ではこう言っているらしい。
アメリカが中東に集中してくれたおかげで中国の経済が発展した、と。
3月11日のことはほとんどが天災だが、9月11日のことはほとんどが人災だ。
やはり目には目を、では何も生まない、失うことばかりだということがこの10年ではっきりしたとも思う。
そしてその事に皆が気づいてほしいと思う。
なぜ人間同士仲良く出来ないのだろうか・・・

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「自分」にしかできないこと

2011年09月08日 | Weblog

先日のブログに続く、というか関連したテーマを提供したい。

先日のブログは「何のために演奏するのか、または演奏会をするのか」ということだったのだが、それ以前に演奏することそのものについて考えてみたい。
例えば合唱をやりにきている人はどれくらいその曲を一人で歌ってきているのか、そして「どのように」歌ってきているのか。
ソリストや、オペラのキャストは当然練習のときから感情を入れて、人に対して訴えかけるように仕上げてくる。そのために自分一人の練習の段階で深く自分の中に入り込みその曲の真意、その音一つ一つの真意を探る旅に出ている。そしてその旅先で見つけてきたものを体から放射させる。
しかし合唱をやっている人、オーケストラをやっている人はどこまでその「一人旅」に出ているのか。
そのフレーズをどのように演奏するか、その歌詞をどのように表現するか、私は日々悩まされ続けているし、音楽家というものはそういうものだと思う。そしてそれを確認するためには「自分で音を出してみる」しか方法がない。音取りだとか、発音練習などという低いレベルの話ではない。
そしてそれを繰り返していると「演奏することはどういうことか」というのが朧げながらでも見えてくるのではないか、と思う。
人間に与えられた「創作する」という行為。もちろん楽しいことではあるが「産みの苦しみ」を経てきたもの程人を動かす力がある、ということを忘れてはならない。

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演奏会シーズンを迎える前に考えておくべき事

2011年09月05日 | Weblog

これから演奏会シーズンを迎えるに当たって、団員たちに言っていることがある。
それは「何のために演奏するか、または演奏会をするか」ということ。それを各自で問うてほしい、と。
アマチュアの演奏会は特に、「自分の、自分たちの楽しみ」ということもあるだろう。
しかし「発表会」ではなく「演奏会」と銘打つのであれば、自己満足では済まされない。
また、プロとしても「自身の生活のため」では済まされない。
「演奏会」をやる以上「責任」がある、と私は思っている。
そしてではその「責任」とは何を指すものなのか。実はそこが非常に難しい問題だと私は、思う。
個人の責任だとか、企業や自治体の責任だとかは説明がつくと思うが「演奏会」の責任とはなんぞや。
それを一人一人自身に問うてほしい、と。


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