指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

やっぱりキングだった。

2011年03月30日 | Weblog

私は仕事が同じ時間にあったのだが、それでも観たくて録画しておいた。

前半の、ワールドカップを彷彿させるような遠藤のシュートや、アジアカップを思い出させる岡崎のゴールも凄かった。感動した。

しかし44歳現役のカズのゴールはタダモノではなかった! むちゃくちゃ感動した!!

ハッキリ言ってJリーグ選抜とはいえ、雰囲気としては日本代表VS元・日本代表、という感は否めなかった。

そして前半で「やっぱりね・・・」という思いは誰しも持ったのではないかと思っている。

しかし後半のカズの投入から雰囲気は一変した。

日本代表がボールを支配しても会場はシーンとしているのに、Jリーグ選抜がボールを奪うとワーッと盛り上がる。

どちらも日本のチームだし、どちらを応援、というよりどちらも応援、という試合だったにも拘らず。

東北地方でテレビ観戦をしている人も後でニュースなので観たが本当に喜んで本当に感動していた。

私も元気を相当もらった。

野球もゴタゴタしてないで、まだシーズンに入らないけれどサッカーのように速攻でセパオールスター戦をやったら盛り上がるし、野球ファンも増えるのに・・・

と思うのは私だけでしょうか。

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やっていいことといけないことの境目

2011年03月29日 | Weblog

地震から早20日近くが経った。

演奏会は概ね自粛、或は会場が使えないということで中止。

私はこの時期殆どコンサートを抱えていなかったのでその憂き目には遭わなかったが、まだ練習が再開できていない団体もある。

地震直後から「自粛」ムードが漂ったけれど、誰が決めた訳ではない、何となく皆がそうする、というラインが感じられた。

外で楽しく会食はしない、皆で集まって楽しむような事はしない、映画館で映画を観て楽しむような事はしない。スポーツをして楽しむような事はしない。

つまり大っぴらに「楽しむ事」は慎むべき事なのだ。

だから合唱の練習もその部類に入る。もっというなら「音楽」そのものがダメ。楽、という文字が入っているから。

家でワインを飲んだり、レンタルビデオを観たり、CDを聴いたり、ゲームをするのはまあ、許される範囲だろうか。

一週間から10日位経ってくると何となくその辺りも変わって来たように思う。

つまり「日常」を取り戻そう、という動きなのだろうか。

しかし強制的に「自粛」させられている場面もある。

例えば高校野球の応援。

 

太鼓をはじめとしたブラスバンドは禁止。チアリーダーは置けるが、ポンポンの使用は認めない。応援リーダーの笛も認められない。メガホン、エアースティック(棒状の風船)を使ったり、人文字をつくることは可能とした。

 

ちょっと解せないのが、チアリーダーは置けるが、ポンポンの使用は認めない。という部分。

ミニスカートで応援するのはいいのだろうか・・・

しかし実際に見てみるとチアガールはそれこそ「自粛」しているようで応援席には居ないようではあるが、上記の規制の中で高校生たちは懸命に応援している。

そしてそれらを私達も含め元気をもらっていると思う。

 

昨日電車に乗っていてちょっと気になった事。

皆が「我慢」しているのがだんだん耐えられなくなって来ているのではないか、という空気を何となく感じた。

それが「爆発」しないことを祈ります。

 

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メディアはやっぱり他人事?

2011年03月27日 | Weblog

TVやラジオも平穏を取り戻しつつあるが、ここに来て今までの人間の行動心理というものを再考させられた。

 

まず私は被災の時に、松戸駅の様子を見に行ったが、駅周辺は大混乱。

小学生が固まって電話が通じないと泣き喚いていたし、電車に乗れなかった大人たちも右往左往。

病院からは患者も医者もスタッフも全員外に出ている。

一方でパチンコ屋では普段と同じように客が入っているのが印象的だった。

 

そして夕方遅くにもう一度食事を摂りに駅前に。

閉店している店もあったが多くはいつも通り開店。

子供たちはもういなかったが、駅の改札の前には電車の運行再開を待って沢山の人が。

タクシー乗り場にはそれこそ長蛇の人、人、人。松戸にはこんなに人が居たんだ、と改めて思った。

 

結局その日の晩は行きつけのホカ弁で買って帰った。

ついでに向かいのコンビニに寄ったら既に食べ物や飲み物は品薄状態。

 

再び月曜の昼に再びホカ弁に行ったら劇混み状態。

ご飯が炊けてないので30分かかると言われた。私は顔なじみなのでしきりに申し訳なさそうにしていたが物凄く忙しそうだった。

仕方なく、近所の長浜ラーメンへ。昼時なのに空いていた。

帰りにコンビニに行ったら相変わらず食べ物、飲み物は殆どないがなぜかネギトロ丼だけ幾つか置いてあった。

そして月曜からは計画停電が行われる、ということで多くの店が閉店。駅ビルもそしてパチンコ屋も閉店していた。

 

災害直後から一週間はそれまでの生活機能が全く変わってしまい、ただただ混乱。

そこからだんだんとテレビでは殆どがACだがCMもやるようになり、NHK-FMも名前の読み上げから少しずつ普段の番組に。

総合では放送されなかったがBSでは朝の連ドラも放送再開。

社会も買いだめは相変わらずあるものの、コンビニも大分品揃えが戻って来たように思う。

 

そして今までの様子、というか雰囲気を自分なりにまとめてみると、災害の大きさはともかく、ここまでの生活感や精神的なものは非常にマスコミに左右されていたと思う。

実際に宮城や岩手の津波被害にあったところ、その後の避難所の映像ばかりが流れるが、被災地はもっと広域に渡っていて千葉の浦安なども相当被害があった。が映像では流れない。それに宮城や岩手の津波に遭っていないところの映像はないものだから、世の中の人とりわけ海外の人は「日本中がああなってしまった」と思っている。

一方、中国雲南省で10日、ミャンマーで24日にやはり地震があり、沢山の死傷者を出している。が映像では流れない。

ニュージーランドの地震で亡くなった人の中で、日本人がどんどん判明して今24人になっている。がニュースでは流れない。

原発関連も最初は「危険である」ということを延々流していたが、最近関東にも放射能物質が検出されると「健康には害がない」と放送する。

 

ACのCMの中で「今私達にできる事」という題で「デマにだまされないようにしよう」とあるが、「報道に振り回されないようにしよう」というのも付け加えるべきだと思う。

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目に見えないものだから

2011年03月24日 | Weblog

昨日の昼過ぎ、東京の発表で、水道水に放射能が含まれている事が判明した。

ということは松戸もだろうな、と思ったけれどその発表はなかった。

会見の模様をテレビで見た時に、水道局の人は「なぜ含まれたのかまったく理由が解りません」

と言っていたが、含まれた水は金町で浄水されたもの。当然江戸川から取水したものだから上流から流れて来たのに決まっている。

むしろ、「江戸川の水を浄水している」点を隠したいのかな、とも思った。

江戸川の水を浄水している水に含まれる、ということは利根川から来た水は全て、ということになる。

ということは松戸はおろか、千葉県の多くの地域や、引いては埼玉はもちろん、栃木や群馬県も同じ事ではないか?

まあ、何れにしても正直大騒ぎする程の値ではなさそうだし、政府も「もし乳幼児が飲んだとしても健康に害がでる可能性は極めて低い」

と言っている。

しかし「控えなさい」と言われると危機感が増すのは明らかだ。

放射能というものは自然な状態でもあるわけだし、ではそもそも放射能とは一体なに?ときかれて正確に答えられる人はそういないのではないか、と思うがいかがだろう。

Wikiペディアを見れば少しは解る、と思うが私が興味を持った部分を転載しておく。

 

放射能と放射線とを混同してはならない。ただし、日本の媒体等においては「放射能が漏れる」「放射能を浴びる(又は、飛散する)」などという表現がしばしば見受けられるが、これは「放射性物質が漏れる」「放射性物質を浴びる(又は、飛散する)」を意味すると理解できる。

人体にはおよそ6,000-7,000Bqの放射能がある。これは人体に含まれるカリウム40という放射性物質によるものである。

マイナスイオン発生器などに、トルマリン鉱石のように微量の天然ウラン等を含有する岩石が使用されることがある。

 

結局科学が発達した今でも不必要に恐れるのは結局、お化けと同じように正体が分かっていない、目に見えない、匂いもしない、そして紫外線のように肌を焼いたり赤外線のように暖かかったりもしない。

今朝になって「黄色い粉」が降り積もっている事を恐れた人が役場や環境庁に届けたらしい。

「放射能物質」ではないか、ということである。

結果は「杉の花粉」だったそうだが、それくらい放射能物質を恐れている、という証拠である。

私にとっては「杉の花粉」も同じくらい、いやそれ以上に恐ろしいものだが・・・

 

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昨日の演奏会を終えて

2011年03月22日 | Weblog

昨日は第32回川田正子音楽教室発表会だった。

私としては震災後初の演奏会。

故川田正子さんが残された音楽教室の発表会で、幼稚園児から一人ずつ室内楽のオーケストラ伴奏で歌うのがメイン。

中には地震の心身ストレスで出演できなかった子もいたらしいが、皆元気で、そして個性豊かで、一緒に演奏したこちらも随分元気をもらった。

今日のNHK「あさイチ」では、震災にあった子供達のケアについてやっていたが、こんな言葉が印象的。

「子供のというのは大人以上に正常に戻ろうという気持ちが強いのです」

 

一方で、子供だから受けた心の傷が大人以上に大きく、東京の子供でも吐いたり、夜中にうなされたりする子がいるそうだ。

そんな子にはスキンシップが大事だという事だった。

今多くの人が体験している「地震酔い」。こんな記事があったので転載。

 

めまいの専門家、聖マリアンナ医科大学病院耳鼻咽喉科の肥塚泉教授によれば、「地震酔い」は「後揺れ症候群」と呼ばれるもので、例えば、船に乗った後に陸に上がると自分の体が揺れているように感じるのに似ている。

   人間の脳には「速度蓄積機構」というシステムがあり、自分が直前に体験した加速度や回転の情報を蓄えている。個人差はあるが、直前のそうした情報が残っているため起きる。

地震は人体に与える刺激が強いため揺れている感覚が残りやすい。さらに、今回は地震が繰り返し起こっている。

「大震災のショックで、多くの人は揺れに対するストレスを溜めている。ストレスに対抗するためホルモンが分泌されるものの、このホルモンは耳に良い方向には働かない。こうしたことによって目まいなどの症状を訴える人が増えているのではないか」

と肥塚教授は説明する。

   乗り物酔いは車から降りれば治ると同じように、「地震酔い」の症状が出ても特に心配する必要は無いという。今後も地震が続いたとしても、ほとんどの人は揺れに体が慣れてきて「地震酔い」しなくなってくる。苦しければ乗り物酔いの薬を飲むという方法もあるが、できるだけリラックスするようにし、運動したり、違った景色を見たりしてこれまでの感覚をリセットする。そういったことが効果的だと肥塚教授はアドバイスしている。

 

放射能のニュースでも最初の頃と今は随分違っていると思う、

最初は「危険である」ことばかりをクローズアップしてきたばかりに、外国人が逃げ帰ったり、日本国内でも東京の人が九州に逃げたり。

政府も出荷をストップさせるものだから、茨城や千葉の野菜も売れない。

いわき市に至っては放射能の計測値は非常に低いのに、物を運んでくるトラックが入って来ないので物やガソリンが東北地方より深刻らしい。

しかし今テレビを見ると、ほうれん草を普通に食べても300年分くらい食べないと影響の出る値に達しない、とか、泥のついたまま食べても安全、という。

何が正しいのかマスコミには本当に踊らされないように気をつけないといけないし、私の実家も酪農家。

積極的に消費していこうと思う。

 

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「音楽」の力

2011年03月20日 | Weblog

私の住んでいる地区は、山崎パンの大きな工場などがあるからか、停電の地区から外れました。

当面は停電がない、ということで今急ピッチで進めているオペラの日本語訳の資料の作成が何の心配もなく進められます。

6月上演予定のオペラの準備もしなければならないし、これまで暇で暇で仕方ない、という状況はなかったので私としては仕事があって良かった、と思いました。

先日のカインズの練習に向かう前に早稲田の王将で昼食を摂ったのですが、働いている人は皆本当に活き活きしていました。

やはり人は働いている事が一番だなぁ、と改めて考えた一週間でした。人が動く、と書くのですから。

昨日は新都心男声合唱団の練習。私としては震災後初の練習になりました。

出席者は少なかったですが、やはり皆で顔をあわせるという事は良い事です。

自分のところで停滞した気の流れ、が一気に流れ出すのが感じられました。

東北地方の高校の合唱部や吹奏楽部が被災地で演奏して皆涙を流していた、というのをテレビで見ました。

私は慰安演奏というものはもうちょっと落ち着いてからでないと受け入れにくいのでは、と考えていたのですが改めました。

そこで新都心男声合唱団に一つの提案をしました。

この合唱団は無伴奏で歌っている曲も多いのですからピアノ無しでも演奏可能です。

しかも団の愛唱歌集になっている曲からであれば聴いてパワーをもらえる歌もたくさんあります。

団内指揮者もいるので私がいなくても演奏できます。

という事で、被災地に行くのは無理にしても都内や近郊で福島からの受け入れ先は今たくさんありますから演奏をやって来てはどうか、と。

しかし練習してみて、ある程度上手くないとやはり聞かせられない、ということは分かりましたが・・・

並行してカミオファミリー義援金を募る事にしました。

練習が再開された各合唱団に持っていきますのでよろしくお願いします。

最後に紀貫之による「古今和歌集」の有名な仮名序を転載しておきます。

私はこの「やまと歌」を単純に「歌」または「音楽」にして感じ入りたいと思います。

 

古今和歌集 仮名序

やまと歌は
人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける

世の中にある人 
事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり

花に鳴くうぐひす 
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの 
いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり


和歌は、(喩えて言えば)人の心を種として(そこから生じ茂って)、さまざまな言語の葉になっているのだなあ。

この世に生きている人々は、(いろいろな)出来事や任務が多くて煩わしいので、(その時々に)心に思うことを、見るもの、聞くものにことよせて、(和歌として)表現したのである。

(春に)花の間で(花を恋い慕って)鳴いている鶯や、(秋に)水の中に住む河鹿の鳴き声を聞くと、だれが歌を詠まないということがあろうか、いや(鶯や河鹿に至るまで自然界の)すべてのものが歌を詠むのであるよ。
力を入れないで天や地の神々を動かし、目に見えない死者の霊魂までにしみじみとした感動を与え、男女の仲を睦まじくさせ、勇ましい武士の心までをも和らげるものは和歌である。

 

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前向きに、前向きに。

2011年03月19日 | Weblog

 

17日のブログに関しても、様々な方面の方からコメントやメールを頂きました。

あれから一週間が過ぎましたが、世の中も人の気持ちもすこしずつ変化して来ていると思います。

私も落ち込みはしましたが、もちろん私だけではない、もっと酷い人もたくさんいる、という事が現実に解って、じゃあ、元気でしかも本来、人にエネルギーを与えるべき仕事をしている自分は本当に頑張らないといけない!と改めて思いました。

いつもお世話になっている人から練習中止の連絡が来て「音楽家はこういうとき辛いですね」と返したら、その人はあるプロオケの責任者で、4月にやるはずだったコンサートの中止が濃厚で、その場合数百万円の赤字を被る事になるそう・・・

 

いつも一緒に演奏活動をしている鈴木美苗女史のブログにも心のうちが綴ってあります。

以下抜粋

つらい時に、自己防衛の手段として「何も感じないようにする」という方法がありますが、 

音楽をやる時には感覚、感情を開放しないといけないもんでして、 

さあどうすんのこの二律背反。 


それからできてからまだ間がない、と思っていたミューザ川崎がとんでもないことになっています。

 

 

コンサートをやっていなくて本当に良かったと思います。

これから9月までのコンサートは全部キャンセルだそうです。

だから、私の受けた損害なんかは本当に損害と呼べるか、と思うくらいチッポケなものでした。

 

心温まるニュースも数多く聞かれます。

しかしながら一方でこんな事もありました。

ニュースサイトでは削除されていますが、内容はこういうものです。

 

福島第一原発の半径20キロ圏内にあり、避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)から運ばれた患者が相次いで死亡した問題で、病院関係者が搬送時に付き添っていなかったことがわかった。福島県が17日に発表した。

 県によると、同病院には338人が入院し、うち146人は寝たきりや病状が重い患者だった。14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した。

 陸自が14日に救出した時は、病院には病院長のほか職員が数人いた。しかし避難所までは付き添わず、15日の午前と午後に計55人を搬送した際も病院関係者の付き添いはなかったという。県によると、移動時に患者の病状が確認できない状態で、搬送中や搬送後に計21人が亡くなったという。

 県が15日深夜に病院長と連絡を取ったところ、「第一原発が爆発したので、川内村で自衛隊を待っていた」などと説明したという。県の担当者は「付き添うべきだった」と話している。

 

です。

しかもあまり報道されていませんが事実はこういうことらしいのですが・・・

 

高齢者残し医師ら避難か=原発圏内の病院-福島 

 

 事故が相次ぐ福島第1原発(福島県大熊町)の10キロ圏内にあり、避難指示が出た同町の双葉病院で、 患者を避難させるため自衛隊が到着した際、病院内は高齢の入院患者128人だけで、 医師や病院職員らがいなかったことが17日、分かった。県災害対策本部が明らかにした。 

 同病院の患者のうち14人は、避難途中や避難先の県立いわき光洋高校(いわき市)で死亡した。 

 対策本部によると、官邸危機管理センターは14日未明、原発の10キロ圏内に取り残された住民について 

「明け方までに避難させること。避難しない場合は責任を取れない」と県に指示したという。 

 県は自衛隊に救助を要請。自衛隊は14~16日にかけ、バス3台を使って双葉病院から128人を搬出した。 

しかし、隊員が病院に到着した時点では、300人を超える患者のうち、寝たきりの高齢者らだけが取り残され、 病院関係者はいなかったという。 

 自衛隊は患者の被ばく状況を調査した上で、避難所に移動させた。 

 県の担当者は「病院職員がいないことはあり得ない。放棄ととられても仕方がない」と批判。 

同病院を運営する医療法人「博文会」関係者は取材に対し、「理事長と連絡が取れず、 

事実関係は分からない」としている。

 

わたしはこれに関して何も言いません。どちらが本当なのかも解りません。

各国に逃げ帰っている外国人の皆さんに関しても何も言いません。

自分の立場だったらどうなのか解らないからです。

 

今日TVで阪神淡路大震災で被災された方の意見でこのようなのがありました。

必要なものはなんだったか、という質問で物資や避難所提供もだが、「生の音楽を聴かせて欲しかった」。

この言葉には本当に勇気をもらいました。

 

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今後の活動・・・の続き。

2011年03月17日 | Weblog

 

先日のブログで私の今の心境を述べたところ、コメントを含め様々な反響があって私自身驚いてもいますし、また本当に嬉しく泣けてきました。

メールや電話もたくさん頂きました。

あまり知られたくなかったので言いたくないのですが、私はこう見えて結構涙もろく、何かというと直ぐに涙を流しています。皆さんもそうでしょうがここ数日TVや新聞を見ては涙を流す日々でした。

そして、自分の無力さを恨みもし、そして先のブログのように深く傷つき音楽をやる気力まで失せてしまいました。

私のところは一昨日、昨日と計画停電が行われ、一昨日はちょうど昼の時間だったので久しぶりにジョグングではなくサイクリングを、江戸川を60キロくらい走って来ました。

走る時にヘッドフォンでラフマニノフやブルックナーを聞きながら、色々考えました。

帰ってからもまだ停電だったので色々な本を読んだりもしました。

昨日は午前中に停電、読書をし、カインズの練習に。

今練習しているのは4月1日2日と長野のホテルでのロビーコンサートに向けてですが、正直これもどうなるかわかりません。

カインズも練習は危ぶまれたのですが鉄道が前の日より明らかに動いている事や午後という事もあり練習はやりました。

私自身も、これ以上塞ぎ込んでいては意味がなく思えたので練習を思い切ってやる事にしました。

結論としては自分が音楽をやっていて良かったと思いました。

ブログの記事を受けて私の友人の作曲家である水野真人さんからご自身の作曲された曲のMP3とともにメールを頂きました。

一部を転載させ頂きます。

 

被災地は勿論のこと、今の日本社会は混乱しています。

今すぐに音楽家が力を発揮することは困難かもしれませんが、

復興の時、音楽家の力は必ず必要になると思います。

これを医師に喩えるのであれば、今は整形外科医(救援隊)が活躍していますが、

やがて精神科医(音楽家)が必要になると思います。

「その時」に備えて、我々音楽家も心を整えておきましょう。

 

これにも本当に涙が出てきました。

送って下さった曲は

「オーケストラ組曲第3番」 

第1曲:優しさと微笑みと熱意 

第2曲:人の憂いと夢と

第3曲:田園と光と人間(生命の舞踏)

という曲です。ちなみにこの曲の初演も依頼されています。

今その曲を聴きながらこの文章を打っていますが先日の「砂を噛むような」感じは全くありません。

それはこの曲が素晴らしい、という事に加え、水野さんが「私に」送って下さった曲だからだと思います。

 

サイクリング中に私の過去にあった色々な事を思い出しました。

 

例えば童謡歌手の川田正子さんと、ある県へ演奏旅行に行き、そこで少年院の少年たちの合唱を聴いた時の事。

彼らはお世辞にも「上手い」とは言えなかったけれども、私は感動して涙をこらえる事が出来ませんでした。

今まで自分は音楽の何を勉強して来たのだろう、とショックも受けました。

音楽で大事な事は上手に演奏するテクニックでは無く、「伝える心」だという事に気付いたのです。

 

例えば以前に白馬合唱祭へ行った帰りに北安曇郡松川村に寄った時の事。

星野富弘美術館からスタッフが来られて、チャリティーコンサートと銘打って白馬帰りのコーロつるさしで星野富弘詩、小山章三作曲の「花に寄せて」を演奏しました。

私は指揮するとき一曲目の前奏から涙が出て来たのですが、それが団員に伝わり、やがて団員全員が涙を流しながら演奏、終了して振り返ると会場全員が涙に暮れていました。

 

例えば作家の志茂田景樹さんの「絵本読み聞かせ隊」の隊員として柏崎の地震慰安演奏に行った時の事。

街はまだまだ地震の爪痕がそのままで道路も波打っていました。

体育館でカインズで演奏しましたが子供たちは多いに笑って、大人たちは涙を流していました。

 

他にも色々ありますが、自分もそういう事に関わって来たんだなぁ、としばし感慨に耽ったサイクリングでした。

 

小澤征爾さんがガンから復帰され齋藤記念フェスティバルに向けての記者会見の中で「本当に音楽をやっていて良かった、音楽があるから頑張ろうと思えた」

と言われていた。

 

「今すぐ」に私達に出来る事は正直募金をする、節電をする、くらいしかありません。

いま避難施設へ行って「慰安演奏にきました~」と言ったってありがたがる人はいないでしょう。

それよりも食べ物を、水を、物資を、そして安否不明の人たちの一日も早い判明を、が先でしょう。

 

水野さんが言われたようにやがて私達の出番が来ることになります。

その時のためにいま自分の中に充分な充電をしておきたいと思います。

 

こんな私のためにご心配頂いた皆さま、全力で大丈夫、とはまだ言い切れませんが神尾昇は明日のために一歩を出し始めた事をここに報告致します。

合唱団員の皆さん、まだ一緒に音楽活動ができるのはもうちょっと先になるかも知れません。

しかしその日は必ず遠からずやってきますし、やって来なければなりません。

そして私の元で音楽をやるなら、単なる「自分の楽しみ」だけでなくもっと大局をとらえた深くて広い世界に足を突っ込んでいく覚悟で戻って来て下さい。

皆さんと一緒に音楽ができる日が本当に楽しみです。

 

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今後の活動・・・

2011年03月15日 | Weblog

大地震から4日目。まだまだ被害の全容は見えないし、関東でも計画停電が実施されたりされなかったり、スーパーやコンビニにも物資が全然なかったり、私は利用しないので直接の被害はないがガソリンスタンドは長蛇の列、という具合で影響はかなり出ている。

報道はあまりされていないみたいだが、浦安にある東京ディズニリゾートも暫くは閉鎖。液状化現象によるものらしい。

浦安に住んでいる人からの情報だと、ライフラインも止まっているそう。

市川市の海側の地区、千葉市の海側の地区もおなじ状態らしい。

日本青年団協議会の全国大会の合唱部門に出てくる常連で、宮城県の合唱団と北海道の合唱団がある。

北海道の方は連絡がついたが宮城の方はいまだ安否不明。合唱団はいなかったが岩手の青年団にも連絡がついていないそうである。

日立市の合唱団には連絡がついてみな無事、ということだった。

私の方も金曜からずっと仕事は中止。明日も中止。その後も中止せざるを得ない状況になっている。

私の仕事は所謂「日雇い」と同じだから仕事をしなければ当然収入もない。

経済的な損失は甚大だが、それ以上に精神的なダメージも大きい。

私は指導者として、こんな時にこそ皆に夢と希望を与える、と偉そうに仕事をして来たのに、実は自分自身が壊れかかっている。

練習を中止した理由で、交通の事はもちろん、恐らく団員もこんな状況で歌う気持ちにもなれないだろう、と判断して中止報告を出しているのだが、かく言う私が今音楽をやりたい、という気持ちに全くなっていない。

そしてその状況から立ち直れるかも解らない。

せめて接するだけ、と思いCDをかけるのだが、食べ物で言うと「砂を食べているよう」な感じで入ってくる。

眠る時は本当にこれが夢であって欲しいとベッドに入るが、結局余震で起こされてやはり夢でない、と自覚する。

この際、音楽とは何なのか、音楽家というのは何なのか、音楽家としてこういう時には何が出来るのか。

徹底的に考えてみる時間としたい。

 


大地震

2011年03月11日 | Weblog

私は家に居て、多少物が落ちてきましたが、無事でした。

都内に出ていなかったので良かった、と言いたいところですがとにかく首都圏は大変なことになっています。

今日一日は電車も動かないだろう、ということです。

携帯電話は全く通じません。

固定電話同士なら何とか繋がります。

皆さんもお気をつけて。