アリルイヤ合唱団強化練習
去る11月23日にアリルイヤ合唱団の強化練習をやった。
アリルイヤ合唱団は先のブログに書いたように、来年の2月26日の牛込箪笥区民センターの演奏会をもってして解散予定。
そのための強化練習をやったのだが、私が練習で最後に行った言葉を律儀に文字にしてくれたので、読んでみた。
我ながら良いことを言っている、とおもったので(爆)、ブログにアップします(笑)
そしてこの合唱団に参加したいと思っている、あるいは思った人はまだ間に合います。
見学から来てみて下さい。泣いても笑ってもアリルイヤ合唱団としては次回の演奏会が最後の演奏会です。
お問い合わせはこちらから。整理券のお申し込みもこちらからどうぞ。
さて、では以下私が言った内容です。
今日やったこと細かいことの要素を覚えておくように。 今日やらなかった曲にも同じように今日やった要素が含まれる。どういう風にこの曲を歌っていけばいいか。 今日やった中で皆さんに訊いたのは、なにを歌っているのか、という意味が出てこないと英語やイタリア語、ドイツ語の曲ならなんとかお客さんの中にも意味を理解してくれる人はいるかもしれないが、教会スラブ語を理解してくれるお客さんはいない。 そうすると、お客さんとしては何を言ってるか分からないので苦痛になってくる。というか苦痛にも至らずに眠くなる。 つまらないなと思うだけ。だからなにを言っているのか一単語一単語そこに気持ちが入ってくるといいですね。 僕はよくいうんですけど、シンガーソングライターの人が一番すごい。 シンガーソングライターっていうのは、自分で歌を作って、自分で歌う。だから言いたいことが100%伝わる。だけど僕らは誰かが作った曲を、ラフマニノフが作った曲を僕らが代弁して歌うわけですよ。そうすると、そこのワンクッションというのはすごく大きくて、なかなかラフマニノフが言いたいことが伝わりにくいわけですよね。 だからこそ、テキストの意味をよく考えて、よく感じて歌ってほしい。 つまり、もっと分かりやすく言うとこの曲を自分で作ったと思って歌ってください。で、自分で作るんだったら、例えばよく出てきたピアノ(p)3つっていうね、普通の作曲家だったら2つだったけれども、ラフマニノフは3つって書いている。 例えばピアノから2拍かけてフォルテまできてるとか、そいうことを感じてほしい。なんでそういう風に書いているか。楽譜に書いてあるからこうですよっていうんじゃなくて、なぜそう書いたか。例えば「радость」(10番〔T〕41ページ3段目2小節目、〔M〕65ページ2段目2小節目)は3拍でフォルティシモからピアノまで行かなければならない。普通の作曲家はそこまで書かない。たぶんラフマニノフもピアノと書こうとして躊躇したんじゃないか。デクレシェンドは書きました、ピアノって記号を書くときにたぶん苦しんだと思う。 僕だったら苦しみますね。ピアノって書いていいものかどうか。書いちゃうとそれはもう残るし、ピアノって書くときに苦しみがあったはずです。この「喜び」って言葉だけで。「радость」っていう喜びの中に苦しみがあるんですよ。ラフマニノフの。 というのを、全部感じながら演奏してほしいんですね。で、それでこそFinalの意味があるので、もうこれ以上できない、やり残したことはないっていう気持ちでやりたいわけですよ。 だから、次回があると思うとそこで次回あるからいいかっていう甘えも出てくるし、希望も出てくるんですけど、もうそれはないです。もうこれで最後。これで最後ってことは絶対に自分の中で後悔しない演奏をしてほしい。それは僕自身もそうだし、みなさん一人ずつもね。 合唱団全体っていうんじゃない。一人ひとりがそう思ってほしい、「もうこれ以上の演奏は出来ない!」っていうことをやればFinalでいいと思う。それ以上の演奏が出来ないのに次やる必要ないから。というところまで自分をもっと追い込んでほしいし、自分の練習をしてほしい。だから一つ一つのフレーズを是非じっくり歌ってほしい、自分ひとりで。みんなで歌うんじゃなくて自分ひとりで歌えたらいいなというのを作ってほしい。それがここでみんなが集まって披露される感じ。 だから、例えばさっきの「радость」ってフォルティシモでやるところ、どれぐらいやったらフォルティシモになるかと、で、どれぐらいやったら「喜び」が伝わるかっていうね。 っていうのをひとりずつが是非、自分ひとりでやってほしい、そうするともっともっと感動が大きくなる。だから自分がこの曲を作ったつもりで、勉強というか、作ったつもりになって下さい。 僕らは学生の時、スコア全部写しましたからね。 今何冊か残ってますけど、例えばベートーベンのシンフォニーの1番なら全部五線譜に書きましたからね。そうすると分かるわけですよ、何がどうなってるかって。で、あ、なるほどって思うこともあるし、僕だったら僕は凡庸な人だからこう書くなー、でもさすがベートーベンだなっていうようなことが結構あるし。 そいうのを見てください。 探してみて下さい、自分で。わ、こんなこと書いてあるなって。 で、楽譜に全部入ってますから。ていうかこれ以上のものないですからね。 残されているこれ以上の資料はないんですよ、僕らには。 だからここから全てを引き出すしかないから。それはもう一人ずつが、皆さん一人ずつがこの楽譜と向き合って何が書かれているのか、どうすればいいのかっていう苦しみを自分の中に感じることですね。そうすると見えてくるものもある、かもしれない。でも見えてくるものがありますから、絶対。だけど書いてあるからこの通りでしょ、じゃ何も見えてこない。 ピアニッシモって書いてあるからピアニッシモでしょ、じゃだめですよ。 なぜピアニッシモなのか?なぜピアノなのか?フォルテじゃだめなのか?っていうことをちょっと考えてみてくださいね。まああと3ヶ月。3ヶ月で世に送り出さなきゃいけない。じゃ、出産すればそこから育っていくでしょ。っていうものじゃないです。もう完成形を生み出さなきゃいけない。だから皆さん、自分の中で完成したものを持っていて下さい。それを表現するだけの場にしたいから。 強化練習としてはあと3回しかない。今日やったことはいつもの練習ではできないです。だからいつもの練習でどれだけのことが出来るか、皆さん一人ずつにかかってます。 よろしくお願いします。それは皆さんのためにもね。僕がどうこうじゃなくて。 皆さん一人ずつがほんと後悔のない演奏をしてもらうためにも、自分の中で消化(昇華?)して下さい。 |
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