漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

吉田茂の時代

2016年08月25日 | 歴史
昭和二十六年九月、
吉田茂が講和条約に調印して、

サンフランシスコから、東京に戻った時、
彼は、日の丸の群れと万歳の歓喜で迎えられた。

のちに吉田は語っている。

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「日露戦争の時は
勝って領土も増やしたのに全権はひどい待遇を東京で受けた。

今度は負けて、土地もとられ、
その他不利の条件も多いが、万歳で迎えられた。

すべては運だね」

(石井光次郎日記)

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ある人は吉田を評してこう語っている。

「吉田は単純な人だから外交官としては成功していない。

しかし、彼の単純に大きく見る目のあるところが、
占領下と云う当時の日本の宰相としては非常にうまくはまった」

織田信長が、
平和な江戸時代の将軍になってもうまくいかなかっただろうし、
山中伸弥教授も、
戦国時代に生まれては、世界的な医学の業績はムリだろう。

やはり、偉人、英雄とは時代の子」なのであり、
吉田茂もまた、そうなのである、

と、まぁ、原彬光著、
「吉田茂」を読みながら、そんなことを思っていたのでありました。




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