漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

張らない大横綱

2019年03月12日 | スポーツ
「今日は張るかな」、

大相撲 春場所の初日、
テレビで解説をしていた北の富士さんがつぶやいた。

横綱白鵬の立ち合い前のこと。

だが、横綱は張らず、あっさりと勝った。

スローで見ると、
なんだか相手の北勝富士の腰が引けているように見える。

勝負後の感想によると、
北勝富士の方も張り手を警戒していたようだ。

それほど威力のある張り手を、
横綱が使わなくなって、もう何場所かになる。

張り手は威力のある技だが、
相手の横っ面を張るのだから やや品位に欠ける。

つまり旧軍隊で日常茶飯だった
「ビンタ」の印象が強く

下位力士の挑戦を、
正々堂々と受けて立つ横綱が使うべきでないとというイメージ。

実際、それは昔かららしく、
江戸時代の大関・雷電は天下無双の強さだったが、

その張り手で、
相手が気絶することもあり、

その強さのワリには人気がなかった、とも聞く。

横綱が、
盛んに張るようになったのは、

モンゴル出身の、
最初の横綱・朝青龍あたりからだろうか。

もちろんそれまでだって、
張り手を使う横綱はいたが、それは強豪相手の時、

一時の白鵬のように、
張らずとも勝てる“軽い相手”にまで張る横綱と云うのは珍しい。

一時はその張り手に加え、
カチ上げと呼ばれるヒジ打ちまで多用し、

相手力士が失神寸前でふらつく と云うような場面がよくあった。

張り手が品位にかけるなら、
それを禁じ手にすればいいのだが、

それでは突き押しも規制しなければならなくなり、
そこまでしては、相撲と云う格闘技の魅力が半減する。

つまり興行として成り立たない。

その白鵬が、カチ上げも張り手も使わなくなった。

思い返してみると一年前、
白鵬はモンゴル相撲の偉大なる大横綱の父を見送っている。

聞く処によると、

この国民的英雄の父は、
民族への誇りから、息子の帰化に猛反対していたと云う。

しかし、現行の規約では、
日本に帰化しないと、大相撲の親方には残れない。

つまり、引退後も、
指導者として相撲に関りたい白鵬は、

追い込まれた居たのだと想像できる。

なんとか、モンゴル籍のままでも、
指導者として相撲界に残れる方法はないか・・・、

そのためにはもっと勝って、
圧倒的な強さを示し、規約に特例を認めさせるよりない。

もしかしたら、
そう云う焦りが荒っぽい技の多用となったのかもしれない。

結果としてそれは、
多数の相撲ファンの不興を買い、

しいては横審からの苦言と云う形になったのではなかろうか。

以上はモチロン、
ワタクシメの勝手な推測に過ぎないが、

張らない大横綱が、
このまま続くかどうか は、個人的に興味深い。




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