漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「裏町人生」 つらくて苦しいけど・・・生きてくよ

2016年09月21日 | はやり歌 文芸 漫画

先日のテレビを見ているうち、

アユもアムロもウタダも、
今の大学生にとっては「オバサン」なのだろうなと、

その「至極当然のこと」に気が付いた。

わたしにとって、彼女らの歌は、
すべて「イマドキの歌」で、

その良さがイマイチ、
ピンとこないし、共感する必要もないから、

十把一からげにしてすべて「イマドキの歌」と脳内処理していた分けです。

もちろん、私がそうであるように、
「若い人たち」にとって、私の大事な歌なんぞは、

「知る必要もない歌」と云うことになるのでしょうね。

実際、考えてみると、
私にとって心に沁みる歌は、ナントも暗く、せつない歌ばかり。

モノのあふれている時代に育った人たちには、
貧困から立ち上がった世代の歌など、

「辛気臭くてやりきれないだけ」だろうとは、私でさえ思います。

で、その、やりきれない歌のひとつが「裏町人生」。

♪♪
 暗い浮世の この裏町を
    のぞく冷たい こぼれ日よ

  なまじかけるな 薄情け
     夢も侘しい 夜の花
                 ♪♪

お分かりでしょうか、
まず、前提として「浮き世は暗い」のです。

この歌のできた1937年は、
日中戦争の始まった年であり、ホントは、「浮き世」ではなく、「憂き世」のはずなのです、

浮かれている場合ではないのです、戦争に行かなくちゃならないのですから。

ただ、そうしてしまっては、「やるせなさ過ぎる」ので浮き世としているのです。

その暗い世の中の裏町で生きるのですから、
人生が、つらく苦しいのは当たり前なのです。

そのつらい人生を、
「こぼれた日が覗いている」のです。

どこかにある、
明るい世界からあふれ、ちょっとだけこぼれて、裏町に落ちてきたきた日差し、

でも、それを見て、
「もうすぐ夜明けだ」なんぞと迂闊に喜んではいけません。

なにしろ、こぼれ日なんてすぐに影って、また暗くなるに決っているのですから。

それが分かっているから、

どうせ、移り気なこぼれ日さんよ、
「な~まじかけるな 薄情け」と歌うのです。

でもこれは序章、
この歌の真価は二番の歌詞にあります。

♪♪
 誰に踏まれて 咲こうと散ろと
   いらぬお世話さ 放っときな

  渡る世間を 舌打ちで
    すねた妾が なぜ悪い
              ♪♪

踏まれて咲いている花、である「わたし」は、「妾」と表記されてます。

そうです、この歌の二番は「妾の歌」なんです。

私ではなく「妾」、つまり女、
花とはいえ、向日葵娘ではなく、日陰に咲いた雑草。

花とも云えない花、
しかもその雑草である妾が「舌打ちしながら」生きているのです。

どうです、暗いでしょう、
でも、この暗さ、やるせなさがいいのです。

すねてふくれて、ひがんでいながら、

絶望ではない、かすかな希望、
半分あきらめながらも夢見ている人の好さ、人間としての甘さが匂うのです。

しかし、だからこそ、いくら辛くても生きていられるのです。

スナックで、酎ハイ片手に、
カラオケに乗せこの歌を歌う、

・・・寅さんにでもなったつもりで・・・。

あ~~、
ダムの底に寝っ転がって青空を見ているような、

陶然たる、この心地よさ・・・、

分かんねぇかなぁ、分かんねぇだろうなぁ。
 



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