漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

○幽霊がうわなりうちの事 その①

2012年04月23日 | ものがたり
  【幽霊がうわなりうちの事】 その①
   
加賀の国の御家中に栗田左衛門とて知行八百石とる侍あり。

奥方は同じ家中の娘にて、
評判の美人なりしが、労咳を患いて若くして亡くなられける。 (労咳→結核)

左衛門ふかく哀しみて重ねての妻を持たず。

三年過ぎてのち、親類ども寄り合い、
このままにては家も絶えることとて強いて妻を迎えさせける。

後添えの妻は尾張より来た、
父、新田六兵衛五百石取りの娘、「たえ」とて十九歳なり。

それより十日過ぎて左衛門、当番にて城へあがりける。

新妻はこたつにあたりて休みたまうに、
年のころ二十過ぎばかりなる女人、肌には白き小袖、上には色留袖を着て、

練り絹の衣かづきにて、
枕元に来たりて、「その方は何とてここに居られるぞ」と云う。

たえ、おどろきて、
「左様に仰せらるは如何なるお方ぞ」と問いかえせば、

「我はこの家のあるじの家内にてそうろう」と云う。

たえ、これを聞き、
「左様のこととは知らず先日この家に縁付きてそうろう、
 お腹立ちはご尤もなれど、
 左衛門殿帰宅の後、
 談合してこの家を出でんと思えば、しばしの猶予を与えたまえ」と申されければ、

「それにて充分なり」とて帰られけるを見れば、かき消すように失せられけり。

さて左衛門、城より戻ければ、妻、
「早や、離縁をしてたまわれ」とて、思い詰めたる顔つきなれば、

左衛門おどろきて、
「それは如何なることぞ、子細あれば語りそうらえ」と言う。

妻も怒りを秘め、
「そなたさまは武士とも思えぬ仕様にて、
 本妻がありながら、我を呼び入れるとは卑怯なり。
 すぐにも離縁状をいただきたし」とのたまえば、

左衛門聞きて、
「これは思いもよらぬ事を仰せかな、
 はじめに申し入れたるごとく、
 三年以前、先妻に死に別れてよりこの方、
 そなたよりほかに、妻と名のつくものは持ち申さず」とて、

「武士の名誉に掛けても」ときっぱり誓われける。








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