漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

家出少年・マギー司郎さん

2016年10月02日 | テレビ 映画 演芸
先日、私が寝ている間に、
我が同居人ドノが、“こっそりテレビを見て”ましてね。

いや、あやしいテレビじゃない、
手品師のマギー司郎さんがインタビューに応えて、

その生涯を語ると云うもの、・・・だったらしい。

らしいと云うのは、
私は見てないからね、あくまでも伝聞、つまり又聞きですからね。

あ、それから“こっそり”と言うのは、
寝ている私を起こさぬように、ボリュームを絞って、という意味です。

別に他意はない。 (笑)

マギーさんは9人兄弟の7番めなんだそうですね、
茨城のワリと大きな農家の生まれだったそうですが、

お父さんが「夢追い人」でね、
次から次へと「もうかる」事業に手を出しては、

ことごとく失敗。

お母さんがガンバって働いても、
“ゆめ”に食われて、借金だらけのド貧乏生活。

食うものもなくて、
お医者さんから、「子供たちみな栄養失調だよ」、と言われるほどの暮らし。

司郎さん、中学出るとすぐ家出、
キャバレーで氷割りなんかの下働きをしながら暮らすうち、

子どものころ見て憧れた手品を趣味で覚え、
やがて、紹介する人があって、とある劇場へ出た。

処が、客は誰も見向きもしない。

それもそのはず、
紹介されたのは、ストリップ劇場、みな目的は手品なんかじゃない。(笑)

しようがないから、
「お客さんもヘタな手品なんて見たくないだろうけど、
お姉さんたちも着替えや休憩の時間がいるんですよね、

ボクもコレをやらないと食べていけないんですよ」なんて言いながらやってるうちに、

自然と話術も磨かれ、
やがて、キャバレー回りから、ついにはテレビ出演へ、

そのテレビを見ていた人から局に電話がかかり、
「あの手品師、むかし家出したままの息子に似てるが、コレコレと云う名前ではないか」と云う問い合わせ。

これがナント、実のお母さん。

家出してから、17年目、
オレのことなど忘れられてると思っていた司郎さん、

本番中なのも忘れて号泣した。

少年院や刑務所の慰問も長年、続けてるそうで、
「壇上からは降りないで下さい、と言われるんだけどね、

舞台から降りて、
手品の種なんか見せると、泣いて喜んでくれるんです。

種に、じゃなくて、
僕の手に触れて『娑婆の人と触れ合った』と云うことでね」。

「ボクは中卒でね、
たまたま悪いことせずにこの年まで生きてこられたけど、

みなさんの側に居ても、ちっともおかしくない人間です」と自己紹介すると、

偉い先生の訓話より熱心に聞いてくれるそうです。

あ、それから、司郎さんの、
「ハンカチのタテ縞をヨコ縞にする」手品、アメリカでも受けて賞を貰ったんだそうですよ。

以上、今日は「また聞きのまた伝え」でした。 (笑)







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