漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

悪たれ小僧

2014年08月15日 | 歴史

近所に市立の博物館がある。

博物館と云っても、
教室に毛が生えた程度の展示場で、

普段は人気も無く森閑としている。

これが私の散歩道の途中にあり、
奥に僅かな職員が居る以外、人の出入りがほとんど無いため、

エアコンが適度に効いて、休憩するのにヒジョーによろしい。 (笑)

その無料休憩所、イヤ、
博物館がめずらしく、特別展示をしていた。

予算の制約もあるのだろうが、まぁ、全体としては、素朴な展示。

その中に、江戸時代の番付が何枚か展示してある。

番付と云えば、今は「相撲の」と云うことになるが、
江戸時代には、いろいろあったようで、

芝居番付から遊女番付、
名所旧跡、清酒や特産品の番付まで、

今に残ってるみたいです。

まぁ、今の感覚で云うと、
パンフレットか、写真週刊誌のような扱いだったのかな。

展示の中に、小僧の番付が有る。

この「小僧」は、江戸での言い方で、
上方だと「丁稚(でっち)」ですね。

真ん中に大きく、「為教訓」と書かれていて、
東の大関が、

「よく主人の言いつけを聞く小僧」
関脇が、
「返事の早い小僧」

以下、早起き、早や飯、算筆の稽古に励む小僧などと続く。

おもしろいのは、左側で、こちらは悪い見本。

大関に、「同商売を構われる小僧」で、

これは、この店で覚えた商売を、
「他所でもする事ならん」、と言い渡された小僧で、
まぁ、使い込みか盗みかなにか、不始末が有ったのでしょうね。

続いて、「尻の重い小僧」、
「寝小便をする小僧」
「立ち食いをする小僧」
「居眠りをする小僧」・・・と続きます。 (笑)

一目見て分かることですが、
「良い小僧」が、ガリ勉タイプの優等生なのに対し、

「悪い小僧」の方は、
そのへんにいくらでも居そうな、人間味にあふれた小僧です。

この時代の小僧に、
どちらが多かったかは、聞かなくとも分かろうと云うもの。

上方落語の中で丁稚は、
「こども」と呼ばれることでもわかるように、

そのほとんどが十才余の少年労働者たち。

「こども」なんだから、

居眠りやつまみ食いをするぐらい、
店のほうだって、承知の上で使っていたと思うんですよ。

いまからずいぶん前になりますが、
まだネットが草創のころ、小学校の先生のホームページに、

子供たちに、
慶安の御触書(けいあんのおふれがき)を教えた処、

「こんなことなら、死んだほうがましや」と言った子が居たんだそうです。

それで、その先生、いたく感激したらしいんですね。

「そうだ、そう」だとばかりに、

江戸時代の民衆が、
いかに抑圧され搾取されていたかを懇々と説明した、と、

手柄顔にそのホームページに書いてある分けです。

年齢から見て、

マルクス史観全盛の時代の大学で、
熱心に学んだ、マジメな先生なんでしょうね。

でもネ、それを読んだ時、思ったんですよ。

この先生の学校にだって“校則”はあるだろうし、
“遠足の注意”や“夏休みの心がけ”、その他、宿題やドリルなど、

生徒に渡すプリントはたくさんあると思うんですね。

それをゼーンブまとめて、
百年後の小学生に見せたら、

「これなら、死んだほうがマシや」と云うかも知れませんよ。(笑)

御触書を見て絶望、
「自殺した百姓がたくさん出た」とは聞かないから、

きっと、百姓たちも居眠りしたり、
つまみ食いもしながら、働いてていたんだろう、、

・・・・・と、思うんですよ、私は。








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