
図画は、箱根の難路にて親鸞聖人一行と涙の別れをした性信房を描く。性信房は、名残惜しくふりかえっており、第6段その1にて親鸞聖人がふりかえる場面が描かれていたが、それと対になっているものと思われる。
尚、性信房は別れに際して、親鸞聖人から形見として笈(おい)、聖教類を譲られているおり、現在も坂東報恩寺伝えられているという。図画は、性信房が悲しみにくれながら聖人より贈られた笈を背負い一人関東に戻る姿をよく表現している。笈(おい)とは、木製のリュックサックのようなもの。旅するとき僧侶・山伏等が愛用した。
以上で掛け軸一本の図画、親鸞聖人35歳から62歳前後を説明しました。これからも、親鸞聖人に関する掛け軸等があれば積極的に紹介していきたい。
尚、性信房は別れに際して、親鸞聖人から形見として笈(おい)、聖教類を譲られているおり、現在も坂東報恩寺伝えられているという。図画は、性信房が悲しみにくれながら聖人より贈られた笈を背負い一人関東に戻る姿をよく表現している。笈(おい)とは、木製のリュックサックのようなもの。旅するとき僧侶・山伏等が愛用した。
以上で掛け軸一本の図画、親鸞聖人35歳から62歳前後を説明しました。これからも、親鸞聖人に関する掛け軸等があれば積極的に紹介していきたい。
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