昭和24年6月 現在の「JR」の前々身「鉄道省」から「日本国有鉄道」(JNR)ジャパニーズ ナショナル レールウェイ に変更され その「日本国有鉄道」の初代総裁に「下山定則」氏 が就任させられた 当時世相は 第二次世界大戦が終わったとは云え まだまだ戦勝国アメリカ(マッカーサー元帥)を頭とする「GHQ」に逆らう事は出来ず 鉄道赤字を減らすため「国鉄」職員10万人の解雇の指示を出されたが 戦後各企業の労働組合の力も強くなり思うように職員を減らすのが難しい中「GHQ」からは更に(レッドパージ)「赤狩り」等の指示が出て 「国鉄」と(動労)・(国労)が激しく争っていく事になったのである そんな中 就任早々の昭和24年7月6日に「下山総裁」が線路上での轢死体が発見されたのである 時期が時期だけに 自殺・他殺・事故死で世間では 色々想像・関心を持ち 連日新聞を賑わしたものである 小生も当時中学1年の夏休み中であったが 当時の新聞記事を毎日ミステリー小説を読むような気持ちで貪り読んでいたのを思い出す事件であった あれから70年経過したが 事件は現在も解決していない
写真:小生保管 文責:小生 015-001