阪急京都線 「元新京阪」 が 昭和3年に 「西院地上仮駅」 まで開通させ、その後「河原町駅」 まで地下線で建設の予定であったが、当時の世相諸般の事情等で 昭和6年に「大宮駅」 まで開通させるのがやっとであった、この「大宮駅」が 昭和38年まで京都側のターミナルであり、こゝから「河原町」までは「阪急」の手で開通させ、やっと「新京阪」初期の目標 「河原町」 まで結ぶ事が出来たのである、時に昭和38年6月18日であった
写真 : 西院駅地下線出入口 平成22年4月 小生 003
阪急京都線 「元新京阪」 暗くて見難い「大宮駅」の写真で 昭和6年から昭和38年までの32年間 京都側の終点であったホームで、当時4両編成が最長で、この奥「河原町方面」へ4両編成分 「岩上通り付近まで」 の折返し線で転線し乗客扱いして「天六」方面へ発車していた、その後 昭和38年に 「河原町」 まで延伸したが、当時折返し線路のあった部分の上下線間の柱間隔は当時のまゝで、それを写した写真であるが暗くて判り難い、「大宮駅」の大阪方にも折返しのスリットがあったがホーム延長時になくなった
写真 「大宮駅上り側ホームより河原町方面望む」 小生 平成22年4月
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