比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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命どぅ宝・・・白旗の少女

2009-09-20 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
「白旗の少女」・・・9月30日PM9:00~ 関東圏内のキー局テレビ東京開局45周年記念ドラマスペシャルが放映されます。

この話しはむかし写真を見た覚えがありますが、たしかなことは覚えていません。
この本を読みたくなりました。いくつかの図書館で探しましたが貸出中。アマゾンで注文という手もありますが、図書館で予約。
※以下は本の中からの抜粋、要約紹介です。写真はコピーさせてもらいました。

1945年6月25日・・・太平洋戦争の終わりに近い沖縄戦で日本軍が壊滅し沖縄戦が終決した6月23日から2日目、珊瑚礁のガマ(自然洞窟)から一人の少女・・・比嘉富子さん・・・が白旗を持って米軍に投降します。

1983年・・・沖縄で米軍が沖縄戦を記録したフィルムを沖縄県民が1人1フィート分のお金を出し合ってアメリカから買い取って、永遠に記録に残そうという運動が起こり、翌年その一部がテレビで紹介され白旗を持った少女の姿を富子さんのご主人が見つけます。

1977年・・・実は富子さんはコザ市(現沖縄市)の洋書店で英文の戦争写真集の中から白旗の少女(自分自身)を見つけますが、誰にも話すことなく自分一人の胸にしまっていたようです。
誰にも話すことなく自分の中に封印しておく、このことでずいぶん悩んだようです。

1987年・・・「おまえ自身の沖縄戦を、ありのままに話しなさい。後世に記録として伝えなさい。それは、おまえにしかできないことだからね」・・・ご主人の後押しでようやく自分の経験を告白、新聞に紹介されます。コザの書店で自分を見つけたときから10年後、フィルムが公開されてから4年後です。

1989年・・・体験を書き溜めて検証してきた本が出版されます。

「白旗の少女」 比嘉富子・文 依光隆・絵(講談社1989年刊)

今から64年前の1945年の4月から6月、太平洋戦争の末期、日本本土で一般住民を交えた唯一の地上戦のあった沖縄で戦火の中を逃げまどった7歳の少女の体験した戦争のありのままのお話しです。父の安否を尋ねて首里から南部の真壁に姉、兄と逃避行、9歳の兄は流れ弾に当たり即死、米須海岸の砂に兄を埋め、姉とはぐれ、1人さまよい歩きます。もちろん食べるものもありません。
ふと入った珊瑚礁のガマ(自然洞窟)の中で両手両足を失ったおじいさんと盲目のおばあさんに会い数日を過ごします。6月23日、日本軍牛島総司令官の自決、沖縄戦は終決を迎え、投降を呼びかける米軍のビラ、スピーカーの声。

おじいさんは少女に一人で投降するように語りかけます。
「富子、この世でいちばんたいせつなのは、人の命なんだよ」・・・・・・
「富子、これを、もって、お逃げ」・・・
「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから・・・

白い旗はガマの中でいっしょに数日を過ごしたおじいさん、おばあさんが褌で作ってくれたものです。
 
1945年6月25日、ガマから白旗を掲げて出てきた少女を撮った米軍の従軍カメラマンの写真です。
富子さんはレンズを向いて笑って手を振っています。
カメラのレンズを銃口と思ったからだそうです。
「泣きっ面を見せるな。最後は笑って死ね」・・・という父の言葉を思い出したのです。 



後ろを歩いている日本兵・・・富子さんはあとがきで、兵隊さんといっさい関係がなかったとおっしゃっています。
頭に包帯を巻いた日本兵二人、背嚢を背負った米兵? 両側から支えられた怪我人。
この人たちが何を思っていたか推し量ることはできません。
 

カメラは自分のほうに向かって歩いてくる少女をとらえて、やがて坂道を歩いていく少女を追っています。
レンズに向けた少女の目とファインダーをとおしてカメラマンの目が合っています。
二人の一期一会の瞬間・・・そんな気がします。



本人の体験したありのままの記録です。美しいヒューマンドキュメントではありません。流れ弾で死んだ兄を砂の中に埋葬、軍人の自決、住民の集団自決、ウジの沸いた水を飲み、兵隊さんの死体から食べ物を探す。目を背けたくなる光景です。7歳の女の子の記憶のファイル、あまりにも衝撃的な出来事はファイルの中で消えることなく保存されていたようです。

このお話をどう受け止めるか、それはそれぞれの心の問題です。

表紙裏の絵です。
依光さんの絵がイイです。
絵を見ていると涙が出てきます。描き手が少女と一体化しています。
依光さんはこの作品(装丁・挿絵)で1990年児童福祉文化賞を受賞します。

比嘉富子さん・・・1938年生まれ、現在71歳、6歳で戦場をさまよい救出されたときは7歳。39歳で写真の存在を知り、長い沈黙を破り写真の主であることを名乗り出たのは49歳のときです。


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30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この写真 (こきおばさん)
2009-09-19 22:32:30
白旗を持つ少女の写真は、何回か見たことがありますが、そうだったんですか、この少女が本を書いていたんですか。

早速読ませていただきたいと思いますし、TVドラマも見たいと思います。
良いことを教えていただき有難うございました。
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あまりにも有名な写真です (shizukata)
2009-09-19 23:04:10
いたいけな少女が白旗をもって歩いてくる、この映像は従軍アメリカ人記者が
写した写真ですね。動画で見たことがあります。背後からついてくる
日本の兵隊、彼女は知らない人だと言ってますが、初めてこの写真を
見たとき「子供に白旗を持たせてなんという事か」と思いましたね。
私もTVの記念ドラマ見てみたいです。私は戦争経験していませんが
戦争は絶対反対ですね。
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お知らせ有難うございました (菜花)
2009-09-20 11:57:41
「白旗の少女」のドラマ、こちらでも放送されたら観てみたいと思います。

私も最初この少女の写真を見たとき、日本軍がこの少女を先頭にして投降させた、と思って驚いたのですがそうではなかったのですね。

>「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それ が世界中の約束だから・・・」

こう言って少女を送り出した人のこの言葉と気持ちに胸が熱くなります。
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白旗 (スターアニス)
2009-09-20 16:26:40
白旗を掲げた少女の姿・・・見たことはあるのですが、そのような事実があったのですね。
TV放映も見たい、本も読みたい・・・隠してきた辛い思い・・・少しでも少女の気持ちに立ち返ってみれれば・・・と思います。
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白旗の少女 (ヨッシー)
2009-09-20 19:46:43
孫が同じ位の年なので、そんな小さな子が悲惨な体験をした事実に胸が痛みます。
少女の写真を見て涙が出ました。
本を購入して、孫と一緒に読んで平和のありがたみを再確認してみたいと思います。
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Unknown (おばちゃん)
2009-09-20 20:26:18
写真を見て 涙が・・・7歳の子の気持ちが
伝わってきますね・・・

39歳で 写真の存在を知っても名乗らない・・・

気持ちが少し 判ります
私は 次男が小さい頃 病気をしたときのことを
ずーっと 人に話せなかった 
思い出すのが つらすぎた・・

わたしの それより たいへんな経験
49歳で 名乗り出られたのは すごいことだと
思います  
  
返信する
少女の写真 (henao&henako)
2009-09-21 05:59:49
ヒキノさん、お早うございます。
この話しは今回初めて知りましたが、記事を読ませて頂きながら、
少女の画を拝見しますと、目頭が熱くなってしまいました。
9月30日には、私共もテレビの前に座ろうと思っています。
とても良い記事と情報、有難うございます。
(へな爺)
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コメントありがとうございました (こきおばさんへ・・・ヒキノ)
2009-09-22 10:24:41
こういうテーマはコメントがないのですがこのごろくれる方が多くなりました。
比嘉富子さんももう71歳です。
写真も挿絵も目がとってもきれいです。
兄を砂に埋葬する、ウジのわいた水を飲む・・・奇麗事でないです。
鎮魂の気持ちで書いたのだといってます。
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コメントありがとうございました (shizukataさんへ・・・ヒキノ)
2009-09-22 10:38:20
この本と「ガラスのうさぎ」は共通性がありますね。

非常に長い間、自分の中の歴史を長い間、封印してきたということ。
比嘉さんも高木さんも人生の後半になってから大学に進んでいます。

後ろの歩く日本兵は関係ないということですが、誰が見ても楯にしているように見えますね。非常に明るい顔に見えたようです。
本の中では切腹と介錯、隊長が隊員をゴボウ剣で次々に挿していく記述があります。後ろの日本兵は虚脱感があったでしょうね。この話しは右翼左翼が論争したようですが人の心は読めません。
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コメントありがとうございました (菜花さんへ・・ヒキノ)
2009-09-22 10:52:55
沖縄には仕事がらみで10回以上行ってます。ウチナンチューの家に泊まって酒を飲んだりしました。おおらかな人が多いし、女性が非常にバイタリティーがありますね。沖縄に対する思い入れもが強いのです。

多くの人にドラマを見てもらいたい、本も読んでもらいたい・・・そんな気持ちです。

後ろの日本兵の話、憶測を交えて右翼左翼の論争になったようです。比嘉さんの目には明るい表情に見えたようです。虚脱感もあったでしょうね。兵士も普通の人間ですし、すべては異常事態の中の出来事です。私には人の心は読めません。
比嘉さんは鎮魂の思いと恒久平和を願ってこの本を書いたようです。
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