比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
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2018東欧ウクライナ紀行・・・リヴィウ・・・歴史的景観の街を・・・市電(トラム)が走る風景

2018-09-19 | 鉄道・駅の風景

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ウクライナ・・・キエフに次いで第二の都市リヴィウにやってきました。
人口80万人、ウクライナの西部、ポーランドとの国境から70㎞、第二次世界大戦の戦禍を免れた街、中世からの建築物が残り歴史景観地区はユネスコ世界文化遺産に登録されている美しい街です。

市電の走る風景です。









路面電車・・・日本の大都市では仙台、名古屋、京都、大阪、福岡と1970年代に姿を消していきました。東京には1路線残っています。
その街の人の生活の匂いがします・・・
※撮影日は7月24日、CanonコンパクトデジカメG7X。


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中国東北部(旧満州の旅)⑩・・・内蒙古・・・中ロ国境の駅・・・マンヂョウリーの駅(満州里站)

2018-09-10 | 鉄道・駅の風景

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

2016年中国東北部(旧満州)・・・ノモンハンを訪ねての旅・・・
中国東北部・・・内蒙古自治区・・・ホロンバイル市ハイラル区から200㎞、中国・ロシア国境の駅「満州里」に・・・

満州里駅・・・1901年シベリア鉄道(旧東清鉄道)敷説により開業。
中国国鉄浜洲線の終着駅。国境の向こうはロシアのシベリア鉄道ザバイカリスク駅。
※撮影日は2016年6月10日。
※中国鉄道とシベリア鉄道は軌道の広さが違います。中国側は標準軌道、ロシア側は広軌軌道、直通列車は満州里駅で台車の付替えを行います。中国。ロシア間の直行列車は年間1000本を超えるそうです。貨物の通関処理、人の出入国管理は中ロ合同で満州里で行います。
満州里市・・・フルンボイル地級市、人口16万人、中ロ国境であるため中国最大の陸運交易都市。


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中国東北部・・・旧満州の旅④・・・内蒙古自治区・・・朝のハイラル駅(海拉尔站)

2018-09-05 | 鉄道・駅の風景

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

2016年中国東北部(旧満州)・・・ノモンハンを訪ねての旅・・・
中国東北部・・・黒竜江省チチハルから興安嶺山脈を越えて500㎞、内蒙古自治区フルンボイル市ハイバル駅に・・・
フルンボイル市、人口約 265万人。・・・ハイラル区、人口26万人・・・

ハイラル駅(海拉尔站)・・・内モンゴル自治区フルンボイル市ハイラル区に位置する浜洲線の駅。
1903年シベリア鉄道(東清鉄道)敷設、開業、2012年12月、新駅舎建築。この駅は新駅舎?
建物中央のドームは蒙古遊牧民の移動住居ゲルを現しています。

Wikipediaで「ハイラル駅」を検索したら駅舎の写真が違う・・・この写真が2012年7月となっているから旧駅舎だろうか。
※撮影日は2016年6月7日。


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中国東北部・・・旧満州の旅②・・・チチハル(斉斉哈爾)の駅

2018-09-04 | 鉄道・駅の風景

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

2016年中国東北部(旧満州)・・・ノモンハンを訪ねての旅・・・
チチハル・・・中国東北部黒竜江省の第二の都市。市区人口は155万人、都市圏人口は1000万人。
市域には296種の水禽が通過・生息する有名な国際重要湿地・ジャロン自然保護区があり、鶴城とも呼ばれています。

チチハル駅・・・1928年開業、駅舎は満州国満鉄時代に東京大学安田講堂に似せて?1936年建設。

旧駅舎の右に1970年代建設の新駅舎が並ぶ(Wikipediaより)。






※撮影日は2016年6月6日。


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わが懐旧のふるさとの駅・・・秘境「伊那田島駅」・・・過疎村の駅ではなく駅が過疎地にあるのです

2018-08-27 | 鉄道・駅の風景

JR飯田線・・・「伊那田島駅」・・・1日の乗客数、2007年27人、2015年7人・・・秘境駅…長野県上伊那郡中川村、わたしのふるさとの村の駅。1920年伊那電気鉄道の停留所駅として開業、国鉄、JRに。発券を民家に業務委託していたが、いまは無人駅。


8月26日(日)午前10:00~テレビ朝日放映の《旅サンデー・・・183村秘境旅こんな田舎がアルか否か」》に「伊那田島駅」が登場しました。
旅レポーターの篠山輝信が駅から周囲2㎞圏内には集落は無いという秘境駅で、乗降客と触れあったり、村を紹介したりしてくれました。

天竜川の河岸段丘の上に・・・中央が駅(海抜630m)、天竜川沿いの集落は段丘を3段下った海抜450~500m。
ロケの日は、上り18本、下り18本、合わせて列車本数36本、本数から言えば過疎鉄道路線ではありませんが、乗降客数合わせて14人。

人里離れた秘境駅、村の人は隔絶された世界に住んでるように思えますがそんなことはありません。
田舎ではマイカーが1世帯に2~3台が普通の時代。コミュニティーバスも4つのJR駅に通じています。



この村は人口4917人、過疎の村ではありません。駅が過疎地にあるのです。その理由は明治大正の時代に村の中心に鉄道を施設することを宏大な小作地を持った地主が許さなかったといわれます。誘致運動の逆です。こういう話しは全国どこでもあったそうです。ここがそういう理由かはわかりません。河岸段丘の台地上は私有の山林。水利のないところですから畑地が拡がっています。インフラを整備して集落地が宏がったということはありませんでした。


篠山輝信君は集落を訪ねて山を下ります・・・10分・・・20分・・・ようやく家が見えてきます。標高差約150m、下りで20分、登りでは30分かかります。


高校時代3年間登り降りした道です、いまは舗装された2車線の道ですが、あのころはひたすらに急勾配を直登する狭い道、冬はアイスバーンに。




長野県上伊那郡中川村。天竜川を中に挟んで東と西に、それで中川村。わかりやすい。写真は駅を下った中川村の西の地籍。下に天竜川、中央の上から左に前沢川が流れて天竜川に合流します。写真を見れば秘境駅を抱える過疎の村ではありません。「日本で最も美しい村連合」に加盟しています。
写真のスーパーの文字のあたり、天竜川の曲流地点に沿って、江戸時代の1750年から1805年にかけて大地主松村家が私財を投じ三代かけて建設した180mの堤防がありました。のちの世に名付けられて「理兵衛堤防」。石高1000石の村に変わったそうです。いまは近代堤防が築かれていますが歴史的土木遺産として村の有形文化財に指定、一部が移築されモニュメントになっています。
写真で153号線の文字のあたり、律令時代の古東山道の「賢錐の宿駅」があったといわれますが、それを比定するものは何一つありません。



木曽山系の南駒ヶ岳、空木岳、赤石山系の赤石岳、荒川岳、塩見岳の眺望は絶品です。全国から写真愛好家が集まるとか。
こんな田舎がアルか否か」なんていわれていますが、私にとって誇りに思う村です。



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初夏の安曇野・・・「安曇野ちひろ公園 トットちゃん広場」・・・懐かしい昭和の電車

2018-06-16 | 鉄道・駅の風景
信州上田の・・・六文銭の写真帳

信州安曇野・・・松川村の「ちひろ美術館 安曇野」にやってきました。


1997年設立の「ちひろ美術館 安曇野」のとなりの「安曇野ちひろ公園」・・・トットちゃん広場トットちゃんの電車の図書室です。
園内に静態保存の懐かしい昭和の匂いのする「モハ604」電車です。車内には絵本などがあります。

1927~1986年、昭和の初めから終りまで長野電鉄、上田交通で活躍した電車です。







シロタエギク・・・キク科キオン属、耐寒性多年草、原産地は南ヨーロッパ、茎や葉は白い繊毛におおわれている。
※撮影は2017年6月30日。
《参考》
松川村・安曇野ちひろ公園 公式サイトクリック
安曇野ちひろ公園 観光案内 公式サイトクリック
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信濃路・・・JR大糸線に沿って・・・仁科三湖の中綱湖、木崎湖・・・駅のある風景 

2018-06-15 | 鉄道・駅の風景
信州上田の・・・六文銭の写真帳

長野県大町市北端、かつて、この地は仁科と呼ばれ(仁は赤土、科は傾斜地、階段状の土地)、仁科三湖と呼ばれる三つの湖(青木湖、中綱湖、木崎湖、断層の割れ目にできた構造湖)があります。その青木湖の北端を境にして北は白馬村、糸魚川に流れる姫川水系と信濃川水系との分水嶺。この谷は地質学でいうフォッサ・マグナ(中央大地溝帯)の西縁(糸魚川~静岡線)。
国道148号線(千国街道、糸魚川街道)ぎわを車で見て歩きました。

中綱湖前にある・・・JR大糸線簗場駅・・・大町市中綱。1929年開業、1日の乗客数23人、無人駅。鹿島槍スキー場前。

中綱湖・・・仁科三湖の真ん中、いちばん小さな湖、14㌶、標高815m。

JR東日本HB-E300系「リゾートビューふるさと」が安曇野、仁科三湖のひとつ、木崎湖の畔を走っています。

木崎湖・・・仁科三湖のいちばん南、169㌶、標高764m。

木崎湖前の・・・JR大糸線稲尾駅・・・大町市稲尾。1960年開業、1日の乗客数6人。無人駅。
※撮影は2017年6月30日。
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上州路・・・碓氷峠を尋ねて・・・碓氷馬車鉄道の碑・・・先人の歩んだ日本鉄道史があった

2018-05-16 | 鉄道・駅の風景

信州上田の・・・六文銭の写真帳

3月23日、上信国境、碓氷峠国道18号線(旧道)を横川方面に。旧信越本線の遺構・・・熊ノ平信号所、トンネル、橋梁群、峠を下り旧中山道坂本宿跡JR信越本線横川駅・・・いまは役目を終えた旧運転区にある碓氷鉄道文化むらを尋ねました。ターンして信州に戻ります。

横川駅からの旧道を通り廃線になった碓氷峠への旧信越本線の線路を潜り国道18号線、碓氷バイパスに合流するあたり、「碓氷馬車鉄道顕彰碑」「碓氷馬車鉄道由来説明板」が建っています・・・詳細は説明板を写真を。
 
あらましは1885年上野~横川間の鉄道開通、1886年碓氷新道開削(現国道18号線旧道)、1888年直江津~軽井沢間の鉄道開通、この時点で東京と日本海を結ぶ鉄道の未開通は横川~軽井沢j間のみに。しかし平均斜度6.67%の碓氷峠の鉄道開削は難工事が予想され、計画は長期化されると予測され未着工になりました。 このとき前橋、高崎の有力者が発起人となって横川~軽井沢間に馬車鉄道が計画され会社設立。1888年12月碓氷新道にレールを敷いて馬車鉄道の営業開始。ところが1890年に碓氷峠の鉄道工事が急きょ決定、1893年4月ラックレールによるアプト式鉄道が開通。碓氷馬車鉄道は約4年半で廃業となります。碓氷馬車鉄道の経営者たちは政府に会社の買い上げを陳情したのですが、想定内のことを承知でやったことだからと却下されたそうです。


※碓氷馬車鉄道の発起人、社長、高崎町長、市長、衆議院議員を務めた矢島八郎という人がいました。地域の上下水道、電気事業など近代化のため大いに貢献し高崎駅開業に際し駅周辺の私有地を提供、そのためそこに矢島町という地名が提案されたが固辞したそうです。いまは高崎駅前に八島町という地名が残っています。

国道18号線、碓氷峠の坂道から振りかえれば、前日に降った雪で裏妙義の山は雪化粧。
そそり立つ岩峰は左に丁須ノ頭(1057m)、中央に赤岩、右に烏帽子岩(1117m)。眼下に上信越高速道。

※撮影日は3月23日
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上州路・・・碓氷峠を下れば・・・日本の鉄道史を静態保存で語る・・・碓氷鉄道文化むら

2018-05-15 | 鉄道・駅の風景

 信州上田の・・・六文銭の写真帳

上信国境碓氷峠、国道18号線(旧道)をいまは廃線になった旧信越本線の遺構を見ながら下って行きます。                                                                                                                峠を下りきったところにJR信越本線横川駅・・・いまは役目を終えた旧運転区にある碓氷鉄道文化むらを尋ねました。。

旧碓氷関所の遺構「東門」から見下ろした・・・碓氷鉄道文化むら・・・                                                                                 手前の鉄道線路は旧横川~軽井沢駅間の線路。向こう側に国道18号線。                                                                                                            

 GREEN BREEZE・・・鉄道むらの園内を走る1998年製英国の蒸気機関車。

 EF63形・53形・・・共に旧国鉄時代の電気機関車。EF631は1962年製造された63形の1号車。                                                  碓氷の坂を押し上げる強力な補助機関車、愛称「峠のシェル」「ロクサン」。

新幹線軌道確認車「GA100」・・・1995年製造の新幹線の保守点検後の確認車。

除雪車「 DD531」・・・1965年製造・・・おもに北海道で活躍。

 D5196・・・D51形蒸気機関車96番。1938年製。                                                                                                  ボイラー上の給水加熱機のナメクジ型が特徴。

 

  ※撮影日は3月23日。 

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上信県境・・・碓氷峠・・・日本鉄道史・建築史に残る遺構・・・旧信越本線・・・碓氷橋梁を尋ねる

2018-05-08 | 鉄道・駅の風景

 信州上田の・・・六文銭の写真帳

明治維新の翌1969年、新政府が近代国家の社会公共基盤としてはじめた鉄道開発計画、1889年には新橋~神戸間、1893年には上野~直江津間など幹線が開通していきます。近代国家の夜明けです。明治維新の光と陰・・・光の部分です。外国からのお雇い技術者も日本の名もなき若き技術者たちも近代国家に向かってまっしぐらに向かっていった・・・煉瓦一つ一つを見てもそんな跡が偲ばれます。                                                                                                                                     1893年開通、いまは廃線になった信越本線碓氷峠越えの軽井沢~横川間の遺構を尋ねています。

碓氷第6橋梁・・・アーチ経間11.0m、高さ17.0m、長さ51.9m。 国指定重要有形文化財。

 碓氷第5橋梁・・・アーチ経間11.0m、高さ8.0m、長さ15.8m。国指定重要有形文化財。

 碓氷第3橋梁・・・通称めがね橋・・・4連アーチ、高さ31m、長さ87.7m。国指定重要有形文化財。

 めがね橋の上から見た国道18号線(旧道)。

横川駅からのハイキングロード「アプトの道」はこの橋を渡りトンネルを潜って熊ノ平まで往復12.2㎞のコースです。

※撮影日は3月13日。

  

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