比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
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2018中欧ポーランド紀行・・・ワルシャワ・・・スターリンの贈りもの・・・文化科学宮殿

2018-10-03 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

中欧の国ポーランドの首都ワルシャワ

スターリンの贈りもの・・・文化科学宮殿・・・1955年建造。塔の高さ231m、スターリンクラシック建築様式といわれる建物。


スターリンはニューヨークの摩天楼にコンプレックスを持っていて、そのイミテーション風の高層ビルを設計させたという。






ソビエトの建てたワルシャワの墓石」と市民は呼んでいる・・・・・そうだ。
※撮影日は7月27日。
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2018中欧の旅・・・ポーランド紀行・・・世界遺産「ワルシャワの歴史地区」を歩く

2018-10-01 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシの首都ミンスクから中欧の国ポーランドの首都ワルシャワへ。
ポーランド共和国・・・9~10世紀のはじめゲルマン民族の度重なる侵略に対抗するため平原の民スラヴ系のポラーニエ族が中心になり群拠するスラヴ系部族をまとめて国家にしたのが始まり。強力な周辺の国に挟まれプロイセン、ハプスブルグ王朝、ロシア帝国の狭間の中で漂流、第一次世界大戦後に独立、第二次世界大戦ではナチスドイツとソビエト連邦の戦場となり、530万人が犠牲になりほとんどの都市が焦土に。大戦後はソ連の衛星国家になり共産党支配の独裁国家に、1989年の自由選挙でワレサ議長の率いる「連帯」が勝利してから民主化の波に。
首都ワルシャワ・・・小さな漁村が1596年クラクフより王宮を移転してしたことからはじまった街。ワルシャワの地名由来はワルとサワという親切な漁師夫妻の故事から。人口172万人。「北のパリ」といわれる美しい街。第二次世界大戦でナチスドイツに徹底的に破壊された中世以来の街はヒビ割れ一本に至るまで忠実に再現復旧され1980年ユネスコの世界文化遺産に登録。

旧王宮です。16世紀末にポーランド王の居城として建造。1988年完全復元で再建完了。現在は歴史博物館に。

旧王宮前の王宮広場。






※撮影日は7月27日。

ワルシャワ・・・生れの有名人・・・
※ピアノの詩人フレデリック・ショパン(1810~1849年)・・・ワルシャワに生れ21歳のときフランスへ。生涯ポーランドを愛した音楽家。私の好きな曲「ノクターン」「幻想即興曲」「歩ポロネーズ」。
マリー・キュリー(1867~1934年)・・・物理学者、化学者。放射能という用語はキューリー夫人の発案。ワルシャワに生れ24歳のときフランスへ。1903年ノーベル物理学賞、1911年ノーベル化学賞受賞。

負の世界遺産アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡(1940~1945年)1979年登録・・・公式ではないが「負の世界遺産」と呼ばれる・・・ナチスドイツがユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)のために作った収容施設。死亡者数は1945年当時、ここを解放したソ連軍の調査により」400万人といわれたがソ連解体後の1999年の研究により150万人と改められ公式記録になっています。数字に謎が多く諸説あり。ポーランド南部、スロバキア国境近くのオシフィエンチム市。
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2018東欧ベラルーシ紀行・・・美女大国ベラルーシ

2018-09-29 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東隣の国ベラルーシの首都ミンスク

街でであったベラルーシ美人・・・「フォトOK?」と声をかければ気軽にカメラに収まってくれます。
東欧、中欧、北欧は美女の国・・・寒い国の女の人はキレイ・・・といわれています。
寒い国の人は背が高い、毛穴が少ない。日照時間が短くメラニン色素が沈殿せず肌がきれい。金髪が多い。国境を越えての侵略の歴史で混血が多い・・・などなど・・・特にベラルーシは美女大国
女子プロテニス界の美女マリー・シャラポワはロシア人ですが両親はベラルーシ出身。2012年、2013年全豪オープンテニス女子で優勝したヴィクトリア・アザレンカはベラルーシ・ミンスク出身です。
ミンスクの街角で・・・

ミール城で・・・

ミール城で・・・

片言の英語でもイイ(通じるかどうかは知らないが)・・・「フォト OK?」「OK to take a picture?]」・・・必ず了解をとること。
※撮影日は7月26日。


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2018東欧ベラルーシ紀行・・・世界遺産「ミール城」で・・・城内を「見~る」

2018-09-28 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシの首都ミンスクから南東に90㎞・・・世界文化遺産「ミール地方の城と関連建物遺産群」にやって来ました。
ミール村の「ミール城」です。16世紀はじめに建てられ、ナポレオン戦争で破壊され。1812年再建、1933年国の管理に。第二次世界大戦中ナチスのゲットウ(収容所)に。2000年ユネスコ世界遺産登録。歴史博物館として公開、宿泊設備もあります。

裏側から見た「ミール城」・・・池に浮かんだように見えます。
絵本の世界です。

手枷、首枷のようです。

中世の騎士の甲冑・・・は重そうだ。これでは軽装備、機動力のモンゴル帝国の騎馬軍団に負けるはずだ。

戦闘の砦としてではなく貴族の館として使われたのでしょうか。

舞踏会でもやっていたのでしょうか。

ミール城をあとにしてミンスクに戻り、明日はポーランドのワルシャワに向かいます。
※撮影日は7月26日。


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2018東欧ベラルーシ紀行・・・「ミール村」で・・・「ミール城」を・・・「見~る」

2018-09-27 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシの首都ミンスクから南東に90㎞・・・世界文化遺産「ミール地方の城と関連建物遺産群」にやって来ました。。

ミール村の「ミール城」です。
15世紀末から16世紀はじめに地元の有力者によって建てられたといいます。1568年リトアニア大公国の貴族の所有になり完成。ナポレオン戦争で破壊されたが1812年再建、1933年最後の城主ニコライ・ミール公から譲渡され国の管理に。第二次世界大戦中ナチスが占領してゲットウ(収容所)に。2000年ユネスコ世界遺産登録。5つの塔を持ちそのデザインはすべて異なります。城としての防禦機能はないようで貴族の館です。




中庭・・・

内部は中世の博物館・・・宿泊設備。


※撮影日は7月26日。


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2018東欧ベラルーシ紀行・・・首都ミンスクの・・・夜景

2018-09-25 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東隣の国ベラルーシの首都ミンスク、人口190万人。
第二次世界大戦でソ連軍とドイツ軍の交戦場となり焦土となったミンスクは戦後目覚ましい復興を遂げました。
ライトアップされた夜の街を歩きました。

ベラルーシ国立図書館・・・2006年建設、22階建。高さ72mのガラス張り多角円形。最上部は展望台。


街の真ん中に・・・KGB‥・国家保安委員会のメインオフィス・・・
ソ連邦時代のお馴染みのKGB(情報機関、防諜機関、秘密警察、思想警察)のベラルーシ版です。


スターリン建築様式で重厚な雰囲気の街のライトアップ・・・整然としすぎている感じ。




※撮影日は7月25日。


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2018東欧ベラルーシ紀行・・・首都ミンスク・・・独立広場・・・レーニン像

2018-09-24 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシ・・・スラヴ人の国。ベラルーシの由来は「白い大地」・・・「白」はモンゴル人のいう「西」を指すといわれています。ポーランド、リトアニア、ロシア帝国の領有を経て1917年のロシア革命後の1918年独立、1922年ソ連邦に加盟、1991年ソ連邦の崩壊により独立。大統領はアレキサンドル・ルカシェンコ。今のロシアより昔日のソビエト連邦的独裁国家といわれています。
ルカシェンコ大統領・・・1994年初代大統領に当選、大統領の多選禁止法を廃止、以来現在24年目。死刑禁止法廃止(ヨーロッパで唯一)、集会、デモの規制(デモで賛成の拍手も逮捕、片腕の人が逮捕?)。支持率80%、ベラルーシ人民戦線、ベラルーシ共産党が与党。ロシア語を公用語としてベラルーシ語を迫害。
首都ミンスク・・・バルト海と黒海、ワルシャワとモスクワを繋ぐ交通の要衝、戦いのたびに通り道として戦場に。第二次世界大戦でロシア軍とドイツ軍の交戦場になり徹底的に破壊され焦土に。終戦後の1950年代、スターリン様式という、よく言えば重厚な、悪くいえば画一的な無機質な街並みに変貌していきました。スターリン没後、スターリン建築様式から近代的建築に変貌していきます。スターリン没後はスターリン建築様式から近代的な建築様式で都市づくりを進めています。

ミンスク中央駅から北西に200m、独立広場(元はレーニン広場といったそうだ)・・・巨大なレーニンの銅像が目を引く。
真後ろは国会議事堂・・・政府関係の建物が周囲に並ぶ。



ウラジミール・レーニン(1870~1924年)・・・ロシア人、1917年ロシア革命の指導者、革命政府の人民委員会議長。スターリンと並ぶソビエト連邦の生みの親で象徴的な人物。ソ連邦崩壊後の評価は独裁者的な考えを指摘されているが志半ばで死去したためスターリンほど糾弾されていない。ソ連邦崩壊後はソ連邦各国においてレーニン、スターリン像は撤去されたり打ち壊されたりしたがベラルーシではレーニン像はソ連邦の英雄として今も健在です。この国の人はロシア人以上に昔日のソビエト連邦が好きなのです。

広場の向こうには政府関係、大学などの巨大な建物が並びますがキリル文字もロシア語もわからないので・・・よくわかりません。




※撮影日は7月25日。


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2018東欧ベラルーシ紀行・・・首都ミンスクの町並み・・・ミンスクゲートから

2018-09-23 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ベラルーシ・・・スラヴ人の国。ベラルーシの由来は「白い大地」・・・「白」はモンゴル人のいう「西」を指すといわれています。ポーランド、リトアニア、ロシア帝国の領有を経て1917年のロシア革命後の1918年独立、1922年ソ連邦に加盟、1991年ソ連邦の崩壊により独立。最高標高345mの平原の国、農業、森林、鉱業。
第二次世界大戦ではナチスドイツとソビエトの戦争の通り道、300万人が犠牲になったと伝えられています。

首都ミンスク・・・バルト海と黒海、ワルシャワとモスクワを繋ぐ交通の要衝、戦いのたびに通り道として戦場に。第二次世界大戦でロシア軍とドイツ軍の交戦場になり徹底的に破壊され焦土に。終戦後の1950年代、スターリン建築様式という、よく言えば重厚な、悪くいえば画一的な無機質な街並みに変貌していきました。人口は終戦のとき5万人、そのご急速に人口が増え現在は190万人。ウクライナ北部チェルノブイリ原発の影響を受けたベラルーシ南部の住民が都会地に流入。

駅を出ると真正面にスターリン建築様式の左右対称の二つのビル・・・通称ミンスクゲート・・・

スターリン建築様式の町並み。

スターリン建築様式・・・1933年から1955年までソビエトのスターリン政権下で多く建てられた建築様式。
第二次大戦以後の復興計画でロシアだけでなくベルリン、ワルシャワ、キエフ、北京、平壌、ウランバートルでも多く見られる。


メインストリートから少し離れ、戦禍を免れた建造物。
精霊大聖堂・・・1633年リトアニア公国支配下の時代に建てられたカソリックの修道院。
ロシア帝国の支配下になり1852年にロシア正教の教会に。現在はベラルーシ正教会。

旧市庁舎・・・自治都市の権利を得た時代の15091~1601年に建てられた市庁舎。
帝政ロシアの時代の1847年自治都市時代の象徴的な建物を嫌ったロシアによって解体、2004年完全復旧、現博物館。
※自治都市・・・中世ヨーロッパ各地に出現した商工業者を中心とする市民が封建領主の支配から脱し自治権を獲得した都市。
自治都市は相互の経済活動を円滑にするため同盟を結んだ。
※撮影日は7月25日。

※ミンスクの地名由来・・・「川」を意味するスラブ語、「交換取引」を意味するともいわれ諸説あり定かでない。


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2018東欧ウクライナ紀行・・・ヨーロッパの埋もれた宝石「リヴィウ」の・・・歴史的景観を俯瞰する

2018-09-18 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国ウクライナ・・・キエフに次いで第二の都市リヴィウにやってきました。
人口80万人、ウクライナの西部、ポーランドとの国境から70㎞、第二次世界大戦の戦禍を免れた街、中世からの建築物が残り歴史景観地区はユネスコ世界文化遺産に登録されている美しい街です。

高さ63mのリヴィウ市庁舎の時計塔から中世そのままの街を俯瞰しています。

雑然とした街並み・・・中世から近世へ・・・の積み重ねです。

左下にトラムの線路がわずかに見えます。

リヴィウのランドマーク・・・大聖堂が眼下に。

懐かしい絵本の世界・・・
※撮影日は7月24日。


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2018東欧の旅・・・ウクライナ紀行・・・ヨーロッパの埋もれた宝石「リヴィウ」・・・世界文化遺産の街並み

2018-09-17 | 道を行く 海外

地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

東欧の国を尋ねる旅です。まず最初にウクライナ・・・
今回は首都キエフはパスしてキエフに次いで第二の都市リヴィウにやってきました。

ウクライナ・・・国土面積はロシアに次いでヨーロッパで2番。ヨーロッパの穀倉、鉄鉱、石炭などの天然資源、豊かな国です。ポーランド王国、ハプスブルグ王国、ロシア帝国に挟まれて属国時代が長く、第二次大戦後はソ連邦。独立したのはソ連崩壊後の1991年。ウクライナの国名由来は「国」・・・ほか諸説あり。

リヴィウ・・・人口80万人、ウクライナの西部、ポーランドとの国境から70㎞、第二次世界大戦の戦火の影響も少なかったせいか中世からの建築物が残り歴史景観地区はユネスコ世界文化遺産に登録されている美しい街です。ちなみにレヴィウはラテン語のレオから変化したもののよう・・・ライオンのことのようです。

リノック広場・・・リノックとは市場のこと。この街の中心街、市電が走り屋台が軒を並べています。

リノック広場・・・リノック広場からは大聖堂が目立ちます。14~15世紀にかけてポーランド国王が建造したローマンカソリックの教会です。

リヴィウ国立オペラ座・・・1900年建築。

リヴィウ市庁舎・・・リノック広場の中心にあります。19世紀の建造物、63mの時計塔から眺める古都の佇まいが素晴らしい。

ジョルジホテル・・・1901年開業。1992年改装されていますが外観はそのままの古都の景観にマッチした美しいホテルです。
※撮影日は7月24日、CanonコンパクトデジカメG7X。


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