信州上田の・・・六文銭の写真帳から
長野県千曲市大字森・・・4月2日朝のプチドライブから1週間後。
「あんずの里 森」・・・森の中にあるのじゃありません。1955年まで埴科郡森村でした。
三方が山に囲まれた静かな集落・・・前に広がるのは善光寺平、千曲市屋代、八幡。稲荷山、その向こうの山なみは筑摩山地。




ひと目10万本の「杏の里 森」・・・

※撮影日は4月9日。
※コメント欄閉じています。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
長野県千曲市大字森・・・4月2日朝のプチドライブ。
「あんずの里 森」・・・森の中にあるのじゃありません。1955年まで埴科郡森村でした。
三方が山に囲まれた静かな集落・・・遥か向こうに春雪で冠雪した白馬連峰の小蓮華岳、乗鞍岳・・・

ひと目10万本といわれる「杏の里 森」・・・杏の花は樹種により3分咲から5分咲。
正面に見える冠雪の山は戸隠連峰北端の高妻山。




アンズ畑の人たちは接木作業に忙しく働いていました。

※撮影日は4月2日。
※コメント欄閉じています。

信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月9日、桜満開の松代城跡公園・・・長野県埴科郡松代町(現長野市)
信濃国松代藩真田家10万石の松代城跡。1559年?築城。1872年廃城。宅地、農地、公園と変遷、1981年「国の史跡」、2004年お濠、石垣、土塁、太鼓門を復元、2006年「日本の名城100選」に。そのご整備を重ね現在に。
☜は内堀にかかった太鼓門前橋と橋詰門、太鼓門。
町内を武家屋敷遺構などぶらぶらしてから帰途につきます。
国登録有形文化財・・・小山田家住宅・・・
小山田家は戦国時代に武田信玄、眞田昌幸、信之に仕え、松代藩の次席家老を代々務めた家柄。現存住宅は1849年建築、総面積98㎡。
小山田家は戦国時代に武田信玄、眞田昌幸、信之に仕え、松代藩の次席家老を代々務めた家柄。現存住宅は1849年建築、総面積98㎡。

死の登録有形文化財・・・矢澤家長屋門・・・
矢澤家は松代藩の筆頭家老を代々務めた家柄。石高1400石、預同心40人。長屋門は1792年建築。長さ13m。
矢澤家は松代藩の筆頭家老を代々務めた家柄。石高1400石、預同心40人。長屋門は1792年建築。長さ13m。

松代町・・・蔦屋本店の大名お焼きです。

※撮影日は4月9日。
※コメント欄オープンにしています。
・URL無記入のコメントは削除します。
・URL無記入のコメントは削除します。

信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月9日、桜満開の松代城跡公園・・・
信濃国松代藩真田家10万石の松代城跡。1559年?築城。1872年廃城。宅地、農地に転用、1904年真田家が再び買い上げ整備を重ね公園として開放、1951年真田家の寄進により公用地に。1981年「国の史跡」、2004年お濠、石垣、土塁、太鼓門を復元、2006年「日本の名城100選」に。そのご整備を重ね現在に。
石垣だけが残る天守台跡(戍亥隅櫓跡)・・・
城内に咲くオオヤマザクラ・・・


白馬連峰・・・鹿島槍ヶ岳、五龍岳、唐松岳、墓場三山の山なみが・・・

戸隠西岳連峰が・・・



白馬連峰・・・鹿島槍ヶ岳、五龍岳、唐松岳、墓場三山の山なみが・・・

戸隠西岳連峰が・・・

※撮影日は4月9日。
※コメント欄閉じています。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
4月9日、桜満開の松代城跡公園・・・
信濃国松代藩真田家10万石の松代城跡。築城は戦国時代の1559年、武田信玄の参謀山本勘助の縄張り(基本設計)によりとあるが定かではない。海津城・・・松代城と呼ばれるようになったのは江戸中期。現在の戍亥隅櫓の天守台は近世初期に火災により焼失。明治維新後の1872年廃城、家臣に払い下げられ宅地、農地に転用されていたが、1904年真田家が再び買い上げ整備を重ね公園として開放、1951年真田家の寄進により公用地に。1981年「国の史跡」に、2004年お濠、石垣、土塁、太鼓門を復元、2006年「日本の名城100選」に。そのご整備を重ね現在に。
内堀にかかった太鼓門前橋と橋詰門、間に枡形があって太鼓門。

東不明(あかず)門前橋・・・

北側に高麗門、枡形を挟んで北不明(あかず)門。

城内に咲くオオヤマザクラ・・・


東不明(あかず)門前橋・・・

北側に高麗門、枡形を挟んで北不明(あかず)門。

城内に咲くオオヤマザクラ・・・

※撮影日は4月9日。
※コメント欄閉じています。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
海抜900m余のアルプス大展望台・・・戸隠街道(アルプスライン)大洞高原を尋ねて小川村稲丘へ・・・
ニリンソウが埋め尽くす山の斜面、開花前の枝垂れ桜、白馬連峰の山なみ・・・
ニリンソウが埋め尽くす山の斜面、開花前の枝垂れ桜、白馬連峰の山なみ・・・

福寿草・・・

蕗の薹・・・

五龍岳、唐松岳、天狗ノ頭・・・

※撮影日は3月30日。
※コメント欄閉じています。
。
信州上田の・・・六文銭の写真帳
日本の近世以前の三重塔は102、うち長野県に10。1月から上田市安楽寺の八角三重塔、前山寺の三重塔、青木村大法寺の三重塔、上田市国分寺の三重塔、御代田町真楽寺の三重塔、佐久市新海三社神社の三重塔、佐久市貞祥寺の三重塔、大町市若一王子神社の三重塔を尋ね、8塔。3月12日、駒ケ根市光前寺の三重塔を尋ね9基、今回は10期目最後の10基、上水内郡小川村の高山寺です。
真言宗豊山派宝珠山高山寺・・・808年開山、末寺18を持つほど栄えたが衰退、江戸期に再興、整備。信濃三十三観音霊場第33番札所。
アルプスと対峙する仁王門から石段を上ると左手に庫裏、正面に本堂、観音堂、右手に鐘楼門、三重塔・・・
★鐘楼門・・・1786年建造。★三重塔・・・1195年源頼朝の寄進により建立、1698年山居上人の勧進により再建。1985年長野県宝。
★鐘楼門・・・1786年建造。★三重塔・・・1195年源頼朝の寄進により建立、1698年山居上人の勧進により再建。1985年長野県宝。


※撮影日は3月30日。
※コメント欄オープンにしています。
・URL無記入のコメントは削除します。
。
・URL無記入のコメントは削除します。

信州上田の・・・六文銭の写真帳
日本の近世以前の三重塔は102、うち長野県に10。1月から上田市安楽寺の八角三重塔、前山寺の三重塔、青木村大法寺の三重塔、上田市国分寺の三重塔、御代田町真楽寺の三重塔、佐久市新海三社神社のの三重塔、佐久市貞祥寺の三重塔、大町市若一王子神社の三重塔を尋ね、8塔。3月12日、駒ケ根市光前寺の三重塔を尋ね9基、今回は10期目最後の10基、上水内郡小川村の高山寺です。
真言宗豊山派宝珠山高山寺・・・808年開山、末寺18を持つほど栄えたが衰退、江戸期に再興、整備。信濃三十三観音霊場第33番札所。
アルプスと対峙する高山寺の仁王門・・・阿吽の金剛力士が・・・
★金剛力士像は奈良時代の高僧行基の作といわれるが詳細不明。小川村の戸隠三院(廃寺)から移したもの。


※撮影日は3月30日。
※コメント欄閉じています。
。

信州上田の・・・六文銭の写真帳
日本の近世以前の三重塔は102、うち長野県に10。1月から上田市安楽寺の八角三重塔、前山寺の三重塔、青木村大法寺の三重塔、上田市国分寺の三重塔、御代田町真楽寺の三重塔、佐久市新海三社神社の三重塔、佐久市貞祥寺の三重塔、大町市若一王子神社の三重塔を尋ね、8塔。3月12日、駒ケ根市光前寺の三重塔を尋ね9基、今回は10期目最後の10基、上水内郡小川村の高山寺です。真言宗豊山派宝珠山高山寺・・・808年開山、末寺18を持つほど栄えたが衰退、江戸期に再興、整備。信濃三十三観音霊場第33番札所。
アルプスを望む海抜838m・・・文字通りの天空の寺・・・鐘楼の向こうに・・・鹿島槍ヶ岳・・・

境内から望む・・・五龍岳、唐松岳・・・


境内から望む・・・五龍岳、唐松岳・・・

※撮影日は3月30日。
※コメント欄閉じています。
。