比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

中・四国の旅・・・西祖谷山村の秘境・・・平家屋敷を尋ねて

2015-04-14 | 道をゆく 四国の風景
彩風人の中・四国紀行です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)

徳島県三好市西祖谷山村東西岡にある平家屋敷西岡家」・・・今は「平家屋敷民俗資料館」。
1185年壇ノ浦の合戦で敗れて入水したといわれる第81代安徳天皇の御典医堀川内記がこの祖谷山に逃れて隠れ住み。医業、神官を務めていたといわれる。後に江戸時代は西岡の村で代々名主を務め姓を西岡と改めた。現在の当主は西岡家20代。

中央部に式台があります。



屋敷内の椿、木犀、オオモミジは樹齢800年だそうです。この屋敷の建築年は不明です。
※撮影は3月20日、カメラはCanon PowerShot G12。

中・四国の旅・・・祖谷川の秘境・・・西祖谷山村善徳のかずら橋

2015-04-13 | 道をゆく 四国の風景
わたしが旅したのではありません。彩風人の中・四国紀行です。
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徳島県三好市西祖谷山村善徳の「かずら橋」・・・国指定有形文化財日本の三代奇橋(錦帯橋、猿橋、かずら橋)、アメリカの旅行ウエブサイトトリップアドバイザーの「世界の吊り橋10選」の選ばれている。
なぜ、こんな橋を?①弘法大師がこの地を訪れたとき村民が対岸に渡れるように作ったとか、②源平合戦で敗れ、この地に逃れた平家の落人が追手が来たとき簡単に橋を切り落とせるようにとか・・・諸説ありますが定かではありません。狭い山あいに住む人たちが自然素材を使って交通の手段を作ったことは間違いありません。1657年の古文書には13の橋が記されているそうです。

長さ45m、幅2m、川面からの高さ14m。

大正時代にワイヤーに、1928年葛に復活、ただし芯にはワイヤーが使われているそうだ。

3年に1回の架け替え、葛はサルナシ(シラクチカズラ)。架け替え期間は2週間から一か月。

床面は丸太や割木を葛で編んだ「さな木」という構造。

1970年代の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンで有名に。年間35万人が訪れるという。

下を流れる川は祖谷川、県道32号線が沿っていて祖谷渓を通って三好市山城町下川「祖谷口駅」あたりで吉野川に注ぐ。
※撮影は3月20日、カメラはCanon PowerShot G12。

中・四国の旅・・・「四国三郎」吉野川が削った大峡谷・・・大歩危・小歩危

2015-04-11 | 道をゆく 四国の風景
わたしが旅したのではありません。彩風人の中・四国紀行です。
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四国・・・徳島県三好市山城町西宇、ここは讃岐山脈、中央構造線の南、四国山地を南北に貫く吉野川の大峡谷、「大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)」といわれます。「歩危(ぼけ)」の地名由来は諸説あります。歩くのも危ない崖地・・・と思うのでしょうが・・・「ボケ、ボキ、バケ、ハケ」は古日本語で崩落地のこと。東京都荒川区には峡田(ハケダ)小学校が第九まであります。埼玉県小鹿野町には天然記念物指定の「ヨウバケ」という崩落地があります。それをあんまりいうとロマンがありませんね。

上流からの眺め。小歩危駅方面からの土讃線が第二吉野川橋梁を右岸に渡ります。国道32号線は吉野川左岸に沿っています。


100年余の歴史を持つ大歩危峡・・・遊覧船「まんなか」・・・
1892年このあたりで宿屋を営んでいたかたが宿の客を乗せて景色を見てもらったのが起源。



※撮影は3月20日、カメラはCanon PowerShot G12。