比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

秩父・矢那瀬で・・・長崎平和祈念像の・・・北村西望の影を見た

2012-06-27 | 道をゆく 秩父路
6月17日、秩父鉄道波久礼駅の素朴な駅舎の前にある北村西望の句碑を見て、長瀞町矢那瀬にある西望のかつての仮寓高徳寺に寄って見ることにしました。

国道140号線、高徳寺の案内板から山側に上がる小さな道が参道。左角に石仏が。
十二頭身地蔵・・・百姓念仏の銘があるそうです。建立の年代はわかりません。

参道の右側、竹林の前に句碑が。波久礼駅にあった句碑のうちの一句です。のちに長崎平和祈念像を作ることになる彫刻家北村西望がここ矢那瀬に家族を連れて戦時疎開したのは1945年61歳の時、3年間をこの地で過ごしました。所用で外出のときは秩父鉄道波久礼駅を利用したそうです。波久礼駅から矢那瀬の高徳寺まで、断崖絶壁と荒川の急流に挟まれた狭い道をブラリブラリと歩いている老彫刻家の姿が眼に浮かびます。

国道140号線秩父往還から参道を数10mで石垣に。
山門、本堂のない無住の寺のようです。

石段を上がるとこんな石碑があります。
風化していて読みづらいのですが西望疎開居住地と読めるような気がします。

石段を上がり右に進むと鐘楼?と土蔵?があって、その先は墓地。

石垣のところまで戻りました。庫裏?集会所なのか不明ですが建屋があります。
西望が疎開したころの建屋かは不明です。玄関、雨戸が閉まっていますから無住のようです。

入り口の案内板と鐘楼らしきものがなければお寺かどうかわかりません。

吉祥山医王院高徳寺・・・真言宗智山派、1362年創建、1895年矢那瀬の大火で焼失。北村西望は疎開中の3年間、地域の人と交流、多くの彫塑、書画をこの地に残しています。芝桜で有名な羊山公園には秩父鉄道の創始者柿原萬蔵の彫像が、JR熊谷駅には熊谷次郎直実の彫像があります。

北村西望(1884~1987年)・・・長崎県島原地方の生まれ、彫刻家。長崎市の平和公園の平和祈念像の作者。作品を見ますと軍人の彫像が多いようです。のちに戦時のブロンズ彫像を軍事徴収することに反対します。疎開の3年間、何を思い日々の生活を過ごしたのか。
長崎平和祈念像の製作依頼を正式に受けたのはこの地を離れてから2年後です。
長崎平和祈念像の原型は東京吉祥寺の井の頭公園北村西望彫刻館に、縮小ブロンズが秩父芸術文化会館にあります。。

疎開・・・疎(まば)らに開く・・・戦争を知らない世代の人には意味がわかりません。軍事用語では散開作戦のことをいったようですが戦時下では民間人が敵の攻撃地点から退避することをいいました。退避では・・・逃げる・・・と同義語ですから言い換えたのです。いまは福島原発の高放射能地帯から避難することにも疎開・・・さすがに使っていないようです。

原爆被爆県の長崎出身、東京大空襲も、8月15日未明の熊谷の大空襲も目の当たりに見たであろう西望が平和への祈りを込めて製作した平和祈念像・・・西望をよく知る秩父の人はその顔は西望のお嬢さんの顔であろうと言っていました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿