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エッカーマンの「ゲーテとの対話」、そしてゲーテを振り返る

2012年07月08日 | 歴史メモ
 ドイツの偉大な文豪ゲーテの晩年に、彼と親しく交わった若き文学者エッカーマンが、その対話記録を書き残した。ゲーテは、自分の作品の創作の過程や、他人の誌や絵、音楽の批評、仲間との会話を通して、著者に詩作のなんたるかについて語る。人生のなかで、どのように仕事をなしていくべきか。詩や文学について多くを語りながらも、芸術一般、彼自身が関心を持ち続けた自然科学研究一般について多くの示唆を与えてくれる。日記形式なのでページ数は多いが、関心のありそうなところをめくって目についたところを読んでいくだけでも素晴らしい。年老いてなお、自分で創作意欲を失わず、若者をもりたてる教育者としてのゲーテ、自分の背中を見せつつも後輩たちを引っぱっていこうとするその言葉の数々は、現代に生きる若者にも勇気を与えてくれる。

「とにかく、とりかかれば心が燃え上がるし、続けていれば仕事は完成する。」
「愛する人の欠点を美点と思わない人間は、その人を愛しているのではない。」 
「人間は内面から生きなければならない。芸術家は内面から制作に向かわなければならない。人間も芸術家も、たとえどのように振舞おうと自分の個性を打ち出してゆく他はない。そういう気持ちで元気いっぱい仕事にかかるならば、間違いなく彼は自分の生命の価値を自然から与えられ高邁(こうまい)さ、または優雅さを表出することとなる。」
「自分が自由だと称するのは、大変僭越なことです。なぜなら、それは同時に自分を制御する意志をも表明しているからです。誰にそれができるでしょう。友人たちに若い詩人たちに、私は次のように言いたい。君たちは、今は規範というものを一つも持っていない。それは君たちが自分で得なければならない。」
「常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば。曲がりくねった道なくして、山はそびえ立つことができない。」 
「我々老人の言うことを誰が聞くかな。誰でも自分が一番よく知っていると思いこんでいる。それで多くの人が失敗をし、多くの人が長いこと迷わねばならない。しかし、今はもう迷う時代ではないよ。それにしても、君たちのような若い人達がまたしても同じ道をたどろうということになると、我々が求めたり迷ったりしたことの全ては何の役に立ったことになるのだろう。それでは進歩がない!我々老人の過ちは許してもらえる。我々の歩んだ道はまだ拓かれてなかったのだから。しかし、後から生まれてくる人は、それだけ要求されるところも多いのだから、またしても迷ったり探したりすべきではない。老人の忠告を役立てて、まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。」

 ゲーテの言葉は、それから200年経とうとしている今でも傾聴に値する。

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)、文学大国ドイツのパイオニアであり、至高の評価を得る数々の詩、『若きウェルテルの悩み』等の小説、あらゆる文学の最高峰と称される戯曲『ファウスト』等を執筆した文学史上の巨人だ。

 日本でも既に明治時代にはゲーテと言えば神の如き尊敬を受けていた。近代化を推し進める日本が最高の手本としたのはドイツであり、政治・思想・芸術・科学等多岐に渉ってその影響を受けていた。日本文学史上最高の巨人の一人、森鴎外もその影響を大きく受けた一人であり、『ファウスト』の翻訳も手掛けている。ゲーテの巨人たる所以はそれだけではない。多くの芸術家に影響を与え、例えばシューベルトの歌曲の数々やベートーヴェンの劇付随音楽『エグモント』等多くの芸術作品を生み出させており、その存在はもはや文学の域を超えている。彼を文学の神様や王様扱いしても、少しも言い過ぎとは思えない。

 さて、ゲーテはフランクフルトの裕福な商家に生まれ育った。当時は教育制度が整備されてなく、彼の父親は家庭教師を雇って教養を身に付けさせた。ゲーテの広汎な教養はこの時より培われた。母国語のドイツ語だけでなく、イギリス、フランス、イタリア、ラテン、ギリシャ、ヘブライ語を少年時代から自在に操れた。8歳の時には詩も書いていた。音楽史上空前絶後の天才モーツァルトを想起させる。ゲーテはモーツァルトの音楽が大好きで、特に歌劇『魔笛』に関しては続編の台本も手掛けている。

 彼の初恋は14歳の時。近所の料理屋の娘の親戚で、その名をグレートヒェンといった。『ファウスト~第一部』のヒロインの名と同じだ。しかし、ゲーテは失恋する。16歳になったゲーテはライプツィヒ大学の法学部に入学する。父としてはゲーテを弁護士にしたかった。フランクフルトでは名士の息子としてチヤホヤされていたが、ライプツィヒでは全くの無名だった。いきつけのレストランの娘、アンナ・カタリーナ・シェーンコップ嬢(ケートヒェン)と恋に落ちる。しかし、都会的な洗練された雰囲気を持つケートヒェンに嫉妬したゲーテの言動は彼女を苦しめ、ゲーテは失恋する。しかも、病魔に蝕まれ(結核)、大学を退学。『ファウスト~第一部』に登場するライプツィヒのアウエルバッハの酒場はライプツィヒ時代のゲーテを想起させる。フランクフルトで静養中のゲーテは様々な本を読み漁る。特に異端と呼ばれる宗教書等に接し、偏見に囚われない視野の広さを身に付ける。自然科学の研究にも手を出し、地質学・植物学・気象学等で成果を残す。

 1770年、21歳のゲーテは父の希望により、シュトラスブルクに向かう。父としてはゲーテに弁護士となり町の名士として活躍して欲しかったので、シュトラスブルク大学に入学する事になった。シュトラスブルクでのゲーテは二つの重要な出会いを経験する。一つは高名な文芸評論家で、今ではシュトゥルム・ウント・ドランクの先駆者と見なされるヨハン・ゴットフリート・ヘルダーとの出会い。足しげくヘルダーの許に通ったゲーテは古典ギリシャ文学から聖書に至る様々な新しい文学上の視点を学ぶ。もう一つはゼーゼンハイムという村で出会った牧師の娘、フリーデリーケ・ブリオンとの恋愛、ゲーテは彼女に夢中になり、『野薔薇』等の有名な詩を次々と書き上げる。『ゼーゼンハイムの歌』というタイトルで出版されている。

 しかし、フリーデリーケがゲーテとの結婚を望むに至り、ゲーテは彼女と別れる事を選択する。勉学に励む為とも、結婚に束縛される事を嫌ったとも言われる。フリーデリーケを捨てたゲーテも彼女の事が忘れられず、『ファウスト~第一部』のグレートヒェンにそのキャラクターを投影させている。しばしば神への信仰を口にするグレートヒェンはそのまま牧師の娘であるフリーデリーケと重なり合う。ゲーテにとってはもう一つ忘れてはならない出来事があった。神聖ローマ帝国皇女マリー・アントワネットがフランス王国のルイ16世と結婚する為パリに向かう途中、その豪華な行列がシュトラスブルクを訪れた。後に断頭台の露と消えたマリー・アントワネットの墓を訪ねてパリを訪れるが、その時彼女の墓を知る者は誰もいなかった。

 1771年、ゲーテはシュトラスブルク大学を卒業し、フランクフルトに戻り、父の希望通り弁護士事務所を開設。文学に目覚めていたゲーテは本業そっちのけ、父はゲーテを最高裁判所で修業させようと考え、ヴェツラールに向かわせる。父親の目が届かない事もあり、文学に打ち込む。この地ではシャルロッテ・ブッフという女性と恋に落ちる。シャルロッテ(通称ロッテ)にはヨハン・クリスティアン・ケストナーという婚約者がいた。ゲーテにはケストナーからロッテを奪う勇気はなく、結局フランクフルトに戻る。ケストナーとロッテが結婚したという報せを受け、苦しむ。自殺迄考えた。そんな折ヴェツラールで知り合ったカール・イェルザレムが人妻への求愛を拒否され、ピストル自殺するという事件が起こる。これらの体験は『若きウェルテルの悩み』へと結実する。

 1773年、ゲーテは『鋼鉄の腕 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン』を自費出版で発表する。これ迄も幾つかの詩集は出していたが、未だ無名だったゲーテの名は、これで一躍全ドイツの注目を集める。翌1774年、書簡体による小説『若きウェルテルの悩み』を発表。これは全欧州で爆発的ベストセラーとなる。内容はゲーテの体験と重なる。婚約者のいる女性に惚れた主人公が最後にピストル自殺する。ヒロインの名もシャルロッテ(ロッテ)だ。この小説の影響の凄さは、主人公ヴェルターに共感し、ピストル自殺する青年が相次ぎ、社会問題となった程だ。若きナポレオンも『ウェルテル』を愛読し、後にゲーテを訪問している。菓子メーカーのロッテは『若きウェルテルの悩み』のシャルロッテの愛称であるロッテから付けられた。全欧州にその名を轟かせる様になったゲーテは文学界の人との交流も盛んになり、シラーと共にシュトゥルム・ウント・ドランクの象徴的存在と見なされる様になる。ワイマールの公子カール・アウグスト公との出会いも後に重要となる。

 1775年、ゲーテはフランクフルトの銀行家の娘、リリー・シェーネマンと婚約する。シェーネマン家の人々との折合いが悪く、直ぐに解消。落ち込む暇なく、この年の11月、ワイマールのカール・アウグスト公に招かれ、この地に向かう。そして、ワイマールこそゲーテ永住の地となる。
ワイマールに到着したゲーテに新たな女性が現れる。シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人だ。ゲーテより7歳年長で7人の子供がいる人妻は、ゲーテがこれ迄出会った事のない種類の女性だった。深い教養と包容力の大きさがゲーテを魅了した。ゲーテにとって、彼女はギリシャ的であらゆるものが調和した人物だった。恋人というよりは母親、姉、女友達、佳き理解者という側面が強かった。

 1783年、ゲーテはワイマールの宰相に任命される。1786年、突如公務を放り出し、イタリアに旅行する。2年余り気儘に旅をして帰国。当然、公務からは外される。1788年、ゲーテにとって最重要とも言える出会いが訪れる。相手はシラーである。実はシラーはゲーテがイタリア旅行中の1787年に一度ワイマールを訪れているが、ゲーテ不在という事で、この時は会えなかった。
 ゲーテの興味は自然科学研究に向かう。1794年、再会したシラーに「あなたの本領は詩にあるのです」と言われ、文学の世界に戻った。1796年には教養小説の最高峰と称される『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』を発表。また、シラーとの共作による風刺詩集『クセーニエン』を発表。1797年には『ファウスト断片(原ファウスト)』を発表。1799年にはシラーがワイマールに移住。二人の交流は深まる。断片のみで放置状態になっていた『ファウスト』の執筆を促したのもシラーであり、ゲーテは後に「シラーと出会っていなかったら、『ファウスト』は完成していなかっただろう」と語っている。1805年、ゲーテにとってかけがえのない存在となっていた盟友シラーが肺病にて急逝。周囲の者はゲーテの身を心配して伝えなかったという。シラーの死を知ったゲーテは病に臥せる。

 1806年、『ファウスト~第一部』発表。この年、色々と女性遍歴を重ねてきたゲーテが遂に結婚、相手は愛人クリスティアーネ・ヴルピウス。ナポレオン軍の侵攻の際、身を挺してゲーテを庇った彼女の姿に心打たれてのものだった。翌年にはクリスティアーネ・ヘルツリープという18歳の娘に恋をしている。1820年頃にはカスパー・マリア・フォン・シュタインベルクと交友関係を結んでいる。1816年、妻クリスティアーネ、死去。翌1817年、『イタリア紀行』発表。1819年、『西東詩集』発表。1821年、小説『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』発表。1827年、詩集『情熱の三部作』発表。そして、1831年、『ファウスト~第二部』完成(発表は巨匠の死後)。翌1832年3月22日、『ファウスト』で使命を終えたかの如く、不世出の巨人、ゲーテはこの世を去る。享年82。最後の言葉は「もっと光を!」と言われている。

 『ファウスト』は文学史上最高の作品に挙げられ、二部から成る大戯曲である。此処には詩人ゲーテ、劇作家ゲーテ、教養人ゲーテ、そして人間ゲーテの総てのエッセンスが盛り込まれている。それは古代ギリシャ・ローマの悲劇、喜劇、ダンテの『神曲』、シェイクスピアの戯曲、更にインド古典文学等あらゆる優れた文学作品のトータルでもある。この作品が後世に与えた影響は文学史上空前絶後だ。文学ではトーマス・マンの『ファウスト博士』が何と言っても名高い。音楽ではシューベルトの『糸を紡ぐグレートヒェン』、ベルリオーズ『ファウストの劫罰』、シューマン『ファウストからの情景』、リスト『ファウスト交響曲』、グノー:歌劇『ファウスト(第一部)』等々。19世紀の欧州では『ファウスト』が教養人にとって最高の書であった。

 『ファウスト』は文字通りゲーテにとって”運命の作品”である。彼が初めて『ファウスト』を着想したのはシュトラスブルク大学時代。ゲーテが観た人形芝居、それは15~6世紀頃ドイツに実在した錬金術師ファウストの伝説の芝居であった。黒魔術にも精通していたとされるファウストは悪魔と契約を交わすが、最後は悪魔に魂を抜き取られ、悲惨な最期を遂げる。キリスト教関係者は教訓としてファウストの例を用い、民衆達は何者にも束縛されない自由な精神と宇宙の根源すら極めようという旺盛な探究心に共感を示し、当時のドイツでは広く知られていた伝説であった。ゲーテ以前にもファウスト伝説を採り上げた作品は幾つか出版されていた。ゲーテは様々なファウスト伝説を許に、大文豪ならではの要素を盛り込み、やがて”決定版”を完成させる。

 シラーの死の影響もあり、それから20年近くもの間、彼は『ファウスト』を中断。1825年、完成を目指して筆を執り、1831年に完成。60年以上もの歳月が流れていた。巨匠は生前に『ファウスト~第二部』が刊行される事を望まず、厳重に封印する。しかし、若干手直しする為に封印を解いた。翌1832年、ゲーテ、永眠。かくして『ファウスト~第二部』がその巨大な姿を世に現す。この時、盟友シラーは勿論、モーツァルト、ナポレオン、ベートーヴェン、シューベルトらゲーテより後に生を受け、時代を築き上げた人々の多くが亡くなっていた。既に初稿が書かれていた『ファウスト』は、その終焉を飾ったとも言える。

 彼が追い求めたものの多くはメフィストフェレスの力によって生み出された幻想であった。それはゲーテの言う様にファウストの姿を借りた人間の、そして社会の比喩だ。絶えず自己を高めんとしたその事実が言わば名状し難いものの成就という言葉で表現されている。”個”を高めつつ、人民へと視点の拡がりを見せたファウスト、個人的欲望だけでなく、人々に貢献する喜びを知ったファウストの成長もある。

 ”永遠の女性”に関しては幾つかの意味がある。ファウスト個人にとっての永遠の女性であるグレートヒェン。一足先に高みへ到達したグレートヒェンによって、ファウストが高みへと引き上げられた。そのグレートヒェンにゲーテにとっての”永遠の女性”フリーデリーケの姿が重ね合わせられる。ファウストは芸術家・創造者の象徴であり、その遍歴は創造への欲望とそれを叶えんとする努力に尽きる。創造者即ち芸術家にとって永遠のテーマ、それは”愛”だ。彼らを”愛の力”によって成長させ、高みへと達し得るのは女性の力によるところが大きい。だから、愛の象徴として”永遠の女性”という表現を用いている。

 ただ祈るだけなら誰でも出来るが、絶えず人生に対して前向きで、悪魔と結託してでも飽くなき欲望を満たさんと努力するその行為は常人には出来ない。その努力が評価され、彼は天に迎えられた。ゲーテの宗教観が示されている。絶えず努力し続けたものに対しては、こだわりなくその世界に導き入れる。要するに、キリスト教世界の精神をより大きな視点で捉えている。それは愛という全人類的なヒューマニズムを獲得し、永遠の普遍を指し示す。

 古代ギリシャで今尚文学史上に残る歴史的記念碑を打ち建てたホメロス、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスらは皆”詩人”と称されていた。ダンテの『神曲』が欧州文学史上における最高峰の一つと目されるのも、シェイクスピアの戯曲が今尚高い評価を受けているのも、”詩”の力によるところが大きい。優れた文学、芸術文学には詩が不可欠だと思われる。文学史上最高最大の詩人とも称されるゲーテが先達の偉大な作品の影響を採り入れつつ、その創作の才の総てを注ぎ込んだ『ファウスト』が芸術文学の金字塔として聳え立っている。

 詩という形式面で考えてみても、ダンテの『神曲』の14000行超には及ばないものの、12000行超から成る韻文である(第一部が約4600行、第二部が約7500行となっている。因みにシェイクスピアの悲劇で最も長い『ハムレット』は約4000行である)。しかも、『ファウスト』は韻を踏みつつ、先人達の多くの優れた作品を模範とし、影響を取り入れながら亜流に陥らず、独創性溢れる劇として進行させ、深刻に陥らず、随所に機知と遊び心を盛り込み、それでいて軽薄に陥らず、己の叡智と感情と精神を注ぎ込むという神業的な事をやっている。

 「『ファウスト』こそ最後のルネサンス」と称する者や、「これ迄の文学史のトータル」といった評価もある。『ファウスト』は森鴎外が翻訳している事でも知られている。それは格調の高い詩の連なりであり、至高の芸術である。人によっては近寄り難いところがあるかも知れない。様々な解釈も可能である。無限の拡がりがあるところも『ファウスト』の凄さであり、芸術家達に最も愛された所以であろう。この様な作品が書かれる事は二度とあるまい。

1 コメント

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やはりゲーテは凄いね。 (E.M)
2012-07-08 17:54:25
「ファウスト」は長くて読むのが大変だ。だけど、読み返してみようという気になった。
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