murota 雑記ブログ

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『神曲』とダンテの人生

2019年06月24日 | 通常メモ
 ダンテの著作である『神曲』は、ダンテその人が古代ローマの叙事詩人ヴェルギリウス(ヴィルジリオ)に案内されて地獄界からめぐっていく物語になっている。大きくは3部構成になっていて、よく知られるように「地獄篇」「煉獄篇」「天堂篇」と訳される。煉獄篇については、あえて「浄罪篇」とするほうが分かりやすい。そして、これは壮大な叙事詩であり、すべての詩形はボローニャ風ではあるが、ダンテ自身が工夫開発した3行詩(テルツァリマ)で進んでゆく。地獄篇・浄罪篇・天堂篇ともに33歌からできていて序章がついている。そのため全詩は100歌になっている。序章の発端は人生の矛盾を痛感して煩悶している35歳のダンテがまどろんでいるところから始まる。ダンテはある日に「暗闇の森」に迷いこむ。「ある日」は金曜日で、イエスがゴルゴダの丘に罪を引き受けた日にあたる。天界に遊星が走る暗闇を脱したダンテは、そこにあった浄罪山に登ろうとして、ヒョウに会う。ヒョウはダンテの行く手を遮って立ち去らない。けれどもダンテはそのヒョウの模様のもつ示唆に気づく。ライオンとオオカミが現れ、ダンテは最初から窮地に立つ。この三匹の野獣はダンテの行手を暗示する寓意になっている。もはや絶体絶命となり、天上から三人の女神が手をさしのべる。マリアとルチアとベアトリーチェ。ベアトリーチェはヴェルギリウスにダンテを案内させることを命じ、ダンテが天堂界に着いたときには自分が案内することを誓う。そんな風に松岡正剛氏が述べている。 . . . 本文を読む

岡倉天心の「茶の本」、その背景が興味深い。

2019年06月22日 | 通常メモ
 岡倉天心の「茶の本」、出版された原本は英語だった。1900年(明治33年)をはさむ約5年ごとに明治文化を代表する3冊の英文の書物が日本人によって書かれている。いずれも大きなセンセーションをもたらしたが、その3冊とは、内村鑑三の“Japan and The Japanese”(日本及び日本人)、新渡戸稲造の“Bushido“(武士道)、岡倉天心の”The Book of Tea”(茶の本)だった。この「茶の本」について松岡正剛氏が興味深いことを述べている。その内容をたどってみたい。 . . . 本文を読む

ヴォルテールの啓蒙的な能力

2019年06月21日 | 通常メモ
 かつて、イザヤ・ベンダサンの著作、『ユダヤ人と日本人』は大ベストセラーになった。この本は、書名も怪しいが、筆名は架空の人物名だが、実は山本七平だった。作家は筆名によって自分すら騙すものだ。ヴォルテールの『歴史哲学』も、歴史哲学とはいえないのに『歴史哲学』という書名になっている。この本は古代民俗誌とも古代風俗誌ともいうべき内容を扱った饒舌な報告だ。ヴォルテールが歴史哲学と銘打ったのも面白い。ヴォルテールが甘えたシレーのシャトレ夫人を念頭において綴ったものだ。そのシャトレ夫人に向けて「私が歴史の真実を語りかけているのだ」という芝居をしてみせた。そんな風に松岡正剛氏が述べていた。 . . . 本文を読む