murota 雑記ブログ

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古代ローマ帝国に関係する興味深い人たち。

2016年08月07日 | 歴史メモ
 ローマ帝国という言葉は誤解のもとになっている言葉でもある。紀元前27年のアウグストゥスによる帝政開始がローマ帝国の始まりで、それ以前はローマ共和国と思っている人が少なからずいる。皇帝がいなければ帝国ではないと思うのは普通の感覚であろう。しかし、ローマ帝国というのはラテン語の "Imperium Romanum" の訳で、 Imperium という言葉は命令、権力、支配、職権、命令権などを表す言葉だから、本来は「ローマの支配」とでも訳すのが適切だ。BC227年にシチリアを属州として以来、ローマはイタリアの外に着実に支配地域を広げていった。このローマの支配権のおよぶ範囲を "Imperium Romanum" と呼ぶのであり、皇帝に支配されているのか元老院や民会に支配されているのかは関係無い。アウグストゥス以前の共和政の時代も「ローマ帝国」であり、帝政開始がローマ帝国の始まりではない。 英語ではローマ帝国は the Roman Empire だ。英語にはまだ元の意味が残っているようで、皇帝がいなくても empire である。つまり、ローマ帝国の「帝国」は決して「帝(みかど)の国」ではなく、単に支配の及ぶ領域を指している。 Imperium あるいは empire を「帝国」と訳したために誤解を招いた。皇帝の統治するローマという意味では「ローマ帝国」のかわりに「帝政ローマ」というのが良い。「帝政ローマ」なら間違いなく皇帝が統治するローマを意味する。 ただ、「帝国」が単なる支配領域を意味するのなら、ローマが小さな集落であったころから「ローマ帝国」と言って良いことになりそうだが、王政初期の小さなローマをローマ帝国と呼ぶには抵抗を感じる。imperialism(帝国主義)などの単語のことを考えると、自国外に支配領域が出来てからがローマ帝国と考えるのが良いようだ。シチリアを属州にしたあたりから「ローマ帝国」と呼んでもおかしくはない。

 さて、内乱を収拾したカエサルの死は、ローマに再び争乱の火を付けた。誰がカエサルの後継者になるか。エジプト女王クレオパトラと同盟したアントニウスとカエサルの養子オクタヴィアヌス、二人の激しい争いの末、戦いに勝利したのは戦下手で病弱なオクタヴィアヌスだった。カエサルの名はオクタヴィアヌスが受け継ぎ、元老院はオクタヴィアヌスにアウグストゥスの尊称を与えた。オクタヴィアヌスが継承したのはカエサルの名だけではなかった。ローマそのものもオクタヴィアヌスの手中にあった。慎重に慎重を重ねたオクタヴィアヌスの知謀は、カエサルさえもなしえなかった帝国建設という偉業を成し遂げ、次代の後継者に託した。インペラトル・カエサル・アウグストゥスの名を持つものがローマの支配者となる。2代目以降は、隠遁を好みカプリ島で酒色に耽った皇帝のティベリウス、精神疾患を患い帝都に暴政を布いた皇帝のカリグラ、悪妻の言いなりの皇帝クラウディウス、政治より芸術を好みローマに火を放ったと言われる皇帝ネロ。悪名高いオクタヴィアヌスの後継者達の皇位を巡る数々の陰謀劇は、ついには偉大なるアウグストゥスことオクタヴィアヌスの血統を絶やしてしまった。

 初代ローマ皇帝の神君アウグストゥスは、カエサルの姉の孫にして、カエサルの養子となった。カエサルの遺言で後継者に指名されている。BC43年にアントニウス、レピドゥスと三頭政治を行うが、次第にエジプト女王クレオパトラと接近したアントニウスと対立する。レピドゥスから実権を取り上げ、アントニウス・クレオパトラをアクティウムの海戦(BC31年)で破り、エジプトを併合し、ローマの独裁者となった。元老院に実権を全て返還するとの宣言を行うが、逆に元老院の第一人者に指名され、帝政を開始した。元老院より、アウグストゥス(尊厳者)の称号を授けられる。BC27年以後、皇帝はインペラトル・カエサル・アウグストゥスの名を受け継いだ者という形式をとる。属州の半分を元老院が、残りの半分をオクタヴィアヌス自ら統治する。元老院との協調を重んじ共和制の復活を宣言するが、実質はオクタヴィアヌスの独裁だった。

 対外的にはゲルマニアに軍を進めるが、西暦9年、トイトブルクの森の戦いで大敗を喫し、以降は軍縮、守勢に転ずる。娘婿のマルケルスの死後、腹心のアグリッパに愛娘ユリアを嫁がせ両者の子に帝国を託そうとするが、直系の男子は全て若死にし、アグリッパの死で自らの血縁者への帝位移譲は挫折する。止むを得ず、リヴィアの連れ子ティベリウスにユリアを嫁がせ後継者に指名。家庭的には幸福とは言えなかったが、帝国を建設し次代に託した手腕は感嘆の一言である。オクタヴィアヌスがいなければ、以降のローマ帝国の歴史は全く違ったものになったと思われる。

 ところで、マルクス・アントニウスは、カエサルの部将であり、カエサルの死後、カエサルの後継者候補のトップに目されていたのだが、オクタヴィアヌス、レピドゥスと共に三頭政治を行った。ブルートゥスをフィリッピの戦いで撃破し、カエサルの仇を討つ。イタリア以東の属州を支配下に置いたが、レピドゥス失脚後、オクタヴィア(オクタヴィアヌスの姉)と離縁し、エジプト女王クレオパトラと結婚。エジプトと同盟し、オクタヴィアヌスと激しく覇権を争った。しかし、パルティア遠征の失敗により人望を失い、アグリッパ軍にアクティウムの海戦に敗れ、アレクサンドリアで自殺。決して無能な人物ではないが、妄想的なナルシストで元老院とオクタヴィアヌスを軽んじすぎたのが敗因か。

 マルクス・アグリッパは、オクタヴィアヌスの親友にして腹心の部下。戦下手のオクタヴィアヌスに代わり軍を任せられる。アクティウムの海戦を筆頭とする帝国統一の軍事的功績は彼のもの。オクタヴィアヌスの事実上の後継者として、皇帝の娘ユリアと結婚し3男2女を得たが、若くしてこの世を去った。さて、ブルートゥスはカエサル暗殺の首謀者だが、カエサルの独裁体制に共和制の崩壊を危惧し、ローマを脱出して、アントニウス、オクタヴィアヌスに決戦を挑んだが、アントニウス軍にフィリッピの戦いで敗れた。

 クレオパトラは、プトレマイオス朝エジプト最後の女王。カエサルの愛人。カエサルの死により、保護者を失ったエジプトの独立の道を模索する。エジプトの命運をアントニウスに託すが、アクティウムの海戦に敗れ、アントニウスの庇護をも失う。最後にオクタヴィアヌスとの同盟を求めるが拒否され、絶望して自らの胸を毒蛇にかませて自害。彼女の死により、4000年に渡って続いた古代エジプトが滅亡した。カエサリオンは、クレオパトラとカエサルの間の子。アントニウスによってエジプト王と認められるが、エジプトを占領したオクタヴィアヌスによって殺される。

 キケロは、ローマ史上に残る弁論家。アントニウスと対立しオクタヴィアヌスを支援する。しかし、オクタヴィアヌスはアントニウスと和解し三頭政治が成立。後にアントニウスによって暗殺される。レピドゥスは、カエサルの部将。カエサル死後、アントニウス、オクタヴィアヌスと共に三頭政治を指導し、属州アフリカを勢力基盤とするが、政治的には力を発揮できなかった。オクタヴィアヌスに大神祇官に祭り上げられ、政治の実権を奪われている。しかし、内戦後も命を長らえ、天寿を全うできたのは幸運と言うべきかもしれない。

 マエケナスは、オクタヴィアヌスの重臣であり、統一戦争では情報面を担当した。アグリッパと並ぶオクタヴィアヌスの片腕であった。ところで現在、メセナ (mécénat) という言葉は、企業が主として資金を提供して文化、芸術活動を支援することだが、メセナはフランス語で「文化の擁護」を意味する。これは、ローマ帝政時代のマエケナスの名に由来するものだ。彼は経済的に恵まれないウェルギリウスやホラティウスといった若い詩人たちを後援者したことでも有名であり、文化の擁護や育成に尽力したことで有名。

 2代目皇帝ティベリウスは、オクタヴィアヌスの妻リヴィアの連れ子。オクタヴィアヌスから後継者に選ばれた。ゲルマニアで軍事的功績を挙げ、優れた軍事、行政能力を持つが、後継者に選ばれたのは単に他の後継者候補が全て死んでしまったからに過ぎない。皇帝の娘ユリアと結婚するが、完全な政略結婚である。これに嫌気がさしてロードス島に隠遁したこともあった。

1 コメント

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古代ローマの人物、興味ありますね。 (H.K)
2016-08-07 17:17:00
インペラトル・カエサル・アウグストゥスの名を持つものがローマの支配者となる。2代目以降は、隠遁を好みカプリ島で酒色に耽った皇帝のティベリウス、精神疾患を患い帝都に暴政を布いた皇帝のカリグラ、悪妻の言いなりの皇帝クラウディウス、政治より芸術を好みローマに火を放ったと言われる皇帝ネロ。悪名高いオクタヴィアヌスの後継者達の皇位を巡る数々の陰謀劇は、ついには偉大なるアウグストゥスことオクタヴィアヌスの血統を絶やしてしまった。詳しく読んでみたくなりますね。
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