伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

雨が育てるもの

2008年03月31日 | Weblog
雨の肌寒い朝です。成長の時期の植物にとってはありがたい
雨ですね。人にとって人格の成長に欠かせないもの、それは“試練・苦”
と佛教ではとらえています。人生で出くわす問題は解決すべきもの・
試練困難は乗り越えるもの。つまり決して避けてはいけないのです。
助言は受けられても最終的には自分で解決するしかありません。
一生、苦と対峙し乗り越えるの繰り返しです。苦は当たり前の存在です。
晴天ばかりの気候はありえませんし、雨も絶対必要なもの。
人は死ぬまで人格を作り上げなければいけません。苦とどのように向き合ったか
が人格にあらわれていくのですね。

花のように

2008年03月30日 | Weblog
すがすがしい朝です。でも年度末最後の週末、ちょっと落ち着かない
感じもします。
環境によって気持ちは大きく左右されますね。
しかし、時間を経てから振り返ると「なぜあんなに不安だったのかな」
と思うことがよくあります。必要以上に自分自身を追い込んだり、
ストレスをかけてしまいます。あせっても逆効果。
自分自身を傷つけるだけです。
いつも淡々とゆっくりと落ち着いて物事をこなせるように。
年度末・年度始めをむかえるこの時期、自然にゆだねて咲き誇る境内の花々を
めでながら自分自身に言い聞かせています。

なつかしのブータン

2008年03月29日 | Weblog
今日はいい天気になりそうですね。昨日は夕方から
結構寒かったでしたね。そんななか昨晩上京して
(東京滞在わずか4時間)一昨年国連世界食糧計画WFP協会で行った
ブータンの学校給食視察で同行したメンバーと久々に会食しました。
自然と話の内容はのどかなブータンの風景と目が輝いている子ども達
の話題になりました。東京在住のメンバーは来年中学受験を迎える新6年生
の娘さんとブータンの人懐っこいこども達との環境の違いを嘆いておりました。
物質的には満たされている日本の子ども達と不便なことが多いブータンの子ども達。
しかし、精神面で満たされている生活を送っているのは目が輝いているブータンの子供たちです。
家族間での事件や無差別的な殺人事件が多発している我が国の今後は
目が輝くような子ども達へと育てる環境を作っていく大人の責任なんですね。

興味をもつ

2008年03月28日 | Weblog
風が少しあって寒く感じる朝です。
毎朝境内を歩いていると発見があります。
この時期は様々な花が咲き始めます。
以前はまったくといっていいほど気になりませんでした。
興味がなかったんでしょうね。興味を持つということは
大切なことですよね。その時は興味のある対象にものすごく
集中していて他のことは忘れてしまいます。
「清らかなことに興味をもつ」ことは幸福に導いてくれます、と
佛教では言います。お釈迦様もそこから人々を悟りの道へと導い
たそうです。現代においてもそれは同じです。
「清らかなことに興味をもつ」、そんな毎日を送れるようにしたいですよね。
(日々精進ですね)

“しずく”のように

2008年03月27日 | Weblog
雨上がりの朝です。ちょっと寒さを感じます。
枝に雨のしずくがきれいです。表面張力の働きで
丸いしずくが出来上がるのでしょうが、見ていて
とても不思議です。蓮の葉の上のしずくはまるでひとつの
物体のようにころころと自由に転がりますよね。
水はしずくの状態にも、海の中に入れば周りと同化して
巨大なものにもなれます。人も同じです。社会においては
自分勝手な行いは水の中の油のようにはじかれ、まわりから
孤立します。しかしこころは蓮の葉のしずくのように
周りの影響を受けずに(煩悩から離れて)自由に動き回ることも出来ます。
私達一人一人はしずくのようなもの。社会ではお互い協力し、こころは
けがれから離れることが出来れば自由になれます。
私もしずくのようにストレスフリーの自由なこころを目指しております。

己を知れ

2008年03月26日 | Weblog
陽が少しさしてはいますがちょっと不安定な空模様
の朝ですね。近頃は移り変わりが多い気候ですね。
人の心はもっと移り変わりが激しいですよね。
チベットの高僧は「まるで猿が木から木に飛び移るようだ」
と言い表していました。まさにその通り。とどまる事を知りません。
つまりとても不安定で常に変化しているのです。
ですから昨日の自分と今日の自分も、昨日の彼と今日の彼も、あらゆる
人も、昨日今日どころか瞬間瞬間変わっているのです。
ですからある一面だけで人を判断できないんですね。
なんせ自分自身でさえもとらえきれないんですから。
まずは「己を知れ」と佛教ではいうわけです。(これがむつかしいんです)


今を生きる

2008年03月25日 | Weblog
雨上がりのきもちいい朝です。
いつも変わらないように見える松の木も緑が濃く見えます。
子ども達は今日から春休みですね。わたくしも小学生の時は
宿題の無いこの休みはとても好きでした。あの頃ははやく大人になりたい
といつも思っていましたが、今となると子供の頃に戻りたいと感じているのは
どなたも同じだと思います。
「今を生きる」という言葉はあらゆる宗教で説かれていますが、
“いま”を大切に思えない人は死ぬまで過去や未来にとらわれ、後悔
や空想のなかで生きることになります。
“いま”をよく感じる、これが本当に“生きること”なんですよね。

傘でおむかえ

2008年03月24日 | Weblog
薄暗い雨の朝です。
小学生のころ、昇降口で傘をさしてお迎えに来ていた
同級生のお母さんをとてもうらやましく思えたことを
思い出しました。今は車でお迎えでしょうが、雨の中
学校まで歩いて子供を迎えに来るのは当時としては
当たり前でしょうが、やはりたいへんです。
「昔はよかった」とか「なつかしの昭和」などと言われますが、
今は割りと楽に手間をはぶけるので、それだけ相手が受ける
感動も薄れてしまうのでしょう。
とても便利な時代になりましたが、それが当たり前になり、
よろこびを感じられない感動の薄い世の中にもなったのかもしれませんね。
(そういえば あめあめ降れ降れ母さんが~と同じですね)

私の道

2008年03月23日 | Weblog
“こぶし”がふわふわの衣を脱いで花を咲かせようとしています。
もう暖かいので上着を必要としていないようですね。
「北国の春」にも出てきますが、やはり故郷岩手を思い出させてくれるのが“こぶし”ですね。
同郷の童話作家宮沢賢治は佛教の思想を自身の作品に強く反映させた方です。
“世界全体が幸福になるまでは個人の幸福はあり得ない”という言葉は誰にでも
わかるように表現した佛教の精神でしょう。この言葉が私自身の坊主としての方向性を決めてくれたようなものです。38才という若さで生涯を終えましたが、この境地へ近づくため私も自身の道を歩んでいきたいと思っております。


三つのおごり

2008年03月22日 | Weblog
今日も暖かくなりそうですね。花粉に注意しながらも
散歩したくなる気分です。
花粉にひどく苦しむ人を見ると、自分はこんなにひどくなくてよかった、
と思わず感じてしまいます。他にも様々な病に苦しむ人を見ても同じように
感じてしまうでしょう。人間いずれは「病」にかかるものですが、
「自分はそんなことはない、そうはならない」という“おごり”という感情がはたらきます。
「老い」や「死」にたいしてもそうでしょう。この三つはかならず通り過ぎるもの
。逆の立場ならどうしてもらったほうがいいか予想がつきますよね。
「老・病・死」は忌み嫌うものでなく、当たり前のこと。
“三つのおごり”から離れることは、苦しみから離れることなんですね。