伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

月をながめながら

2009年10月31日 | Weblog
いいお天気が続きます。今朝も晴れてますね。
週末と一日置いて祭日の飛び石連休なんですね。こんないいお天気にはどこかへ行きたくなるますよね。
私はしっかりと法事をおこないましょう。

以前は怠る者であっても、(それに気づき)怠らない人間になるならば、
その人はあたかも雲を離れた月のように夜を照らす。
                『法句経』
今年上半期いろんなことが続きました。というよりちょうど昨年の今頃から一年間、といったほうがいいでしょう。
やっとこの時期になって落ち着いてきた感じです。ただ何かに追われて忙しかったのか、人のためになる善行為で忙しかったのかと聞かれたら何とも返事に困ります。“忙しい”の一言はとても都合よく使われます。案外とても便利な言葉かもしれません。
何に“忙し”かったのか、今一度ふりかえる必要がある時期なのかもしれませんね。
“忙しい”を理由に“怠る人”になっていたのかもしれません。いいわけに“忙しい”を使っていたのかもしれません。
ほとんどがそうだったのかもしれません。
『(それに気づき)怠らない人間になるならば…』
秋の夜の月をながめてこの一年をふり返りたいです。

高齢者学級にて

2009年10月30日 | Weblog
今朝は…まだ暗いのですが、雲は全くないようです。予報でも一日晴天になってますね。
昨日はお話しましたように水戸の公民館で高齢者学級の皆さんへ90分間お話をしてきました。
よく聞いてくれる皆さんでしたのでとても話し易くて助かりました。主催者さんは私がもっと年配の住職だと思われていたようで、最初は驚いていたようです。そりゃそうでしょね。もうじき46歳ですが、坊主頭ですと多少若く見られますから。
年配の坊さんに言われた方が説得力があるかもしれません。
いや~それにしても話し終えて家に帰ると頭真っ白状態でしたね。話すのって相当なエネルギーを使うんですね(私の場合)。午後は仕事にならない状態でしたが、そんなことを言ってられないほど来客が多く、昨夜は9時過ぎには寝てしまいました。
疲れたときは早く寝るに限りますね。

昨日の話でも言ったことですが、岩手で生まれて全く寺とは無縁の家庭で育ち、大学も理系だった自分が今ここで皆さんにお釈迦様のお話をしているのは単なる偶然ではなく全て縁が働いてのことなんですよね。
不思議なようですが佛教的に言うならば不思議ではありません。縁起の法則にのっとってのことなんでしょう。
人間って希望通りの生き方なんてありえません。希望というより予想という言い方の方が合うかもしれません。生きて行く中でいろんな縁が働いて、その中で一生懸命生きて行くだけです。それが自分の人生なんでしょうね。苦手なことだと思ったことが意外に自分にあっていることもあります。得意だと思っていたことがそうでないこともあります。
今自分に与えられたことに懸命に取り組むだけです。簡単にうまく行くこともありません。精進し、あきらめない。死ぬまでこれしかありません。
高齢者学級の皆さんの歳まではまだまだですが、いつまでもその気持ちをもち続けられるようにして行きたいです。

今日も語ります

2009年10月29日 | Weblog
今朝も冷え込みましたね。境内を歩いていると耳が冷たくなってきました。日ごとに季節が進んでいるのがわかりますね。
昨日は地元小学校の二年生16名と引率の先生・保護者が「学区探検」でお寺を訪問しました。かわいいですね、二年生は。思っていたよりみんな落ち着いて本堂でお話を聞いてくれました。質問に答えるには、わかりやすく言わないといけないのでとても苦労しました。相手は理解できたのか、できなかったのか…。
本堂では法要に使う様々な「鳴り物」の紹介をしました。
木唱・鐘・ドラ・ハチ・太鼓…。これには子どもたちも興味をもってくれます。いろんな音を楽しんでくれました。
本日は隣の水戸市にある公民館主催の高齢者学級で講話をします。昨日の二年生と対極の皆さんです。90分ですから長いですね~。たいてい公民館主催の講話は90分なんですけど、ほんとしゃべり続けて、しゃべり続けて…、家に帰ってくるとぼっーっとしてしまいます。
毎回聴く相手を見てからでないとどんな話をしていいのかわからないところがあります。いくら綿密に台本的なものを作っても、本番では役に立たないんですよね。
おおまかな話しの流れだけ一応作っておくだけで、あとはその場の雰囲気に合わせながら進めていくしかないんですよね。
いったい今日はどんな展開になるのか…。怖いような楽しみのような…。毎回どうにかなっているので、多分大丈夫でしょう。
それにしてもお釈迦様の語ったことはいつの時代にも通じるんですから、ホントすごいですよね。宗教というより道徳です。正しい生き方を示しています。
それを実行するか、しないかは私たち次第です。“絶対”ではなく、選択を与え、納得したならばその道を歩みなさい、という教え方です。
まだまだ道の途中の私ですが、いくらかでも伝えられるように頑張ってきますね。


故郷Ⅱ

2009年10月28日 | Weblog
快晴の朝です。冷え込みましたね。
昨晩帰ってきました。おとといの台風の日は雨風がすごかったそうですね。盛岡も夕方からは結構降りましたが大したことはありませんでした。
三女がびしょぬれで小学校から帰ってきたという話を聞きました。ずいぶんひどかったんですね。
あわただしい帰省でしたが久々の故郷はいいもんです。月曜日は雨でしたが私の好きな早坂高原にいってきました。いつの間にか高原の下に立派なトンネルができて、峠越えをしなくても済むようなっていました。確かにこれからの季節は雪と凍った道を超えるのはとても危ないところでした。
でもこの紅葉の季節はとても素晴らしい景色に出会えるところでもあります。
旧道を登っていくと枯葉が道の半分を覆っていました。トンネルができてからあまり車は通っていない様子です。でもかえって雰囲気があっていい感じでした。
北国の紅葉はいいです。ここは白樺の森が多いところでさらにいい感じをだしています。雨の中でしたが十分堪能させてもらいました。
今日の写真はその時のものです。三年もご無沙汰していましたが、母に顔を見せに短期間でもなるべく帰省した方がいいな、しみじみと感じました。
忙しくても時間は作れます。自分次第です。今度は家族を連れて行きたいです。

故郷

2009年10月26日 | Weblog
今朝も曇空です。といってもいつもの境内からの空模様ではありません。久々に(三年ぶり)盛岡にいます。昨日午前中の法要を終えて一休みしてからやってきました。着いたときはもうすっかり日が暮れてしまいましたが、思ったより時間はかかりませんでした。高速料金も千円でしたし(確か以前は八千円以上したと思います)。
これから天候は悪くなるようですので、午前中にお墓参りと久々に訪れたかったところを回ります。
ちなみに今朝の写真は盛岡駅前の北上川です。雲がなければ岩手山がど~んっと目の前にあるんですが、残念ながら今朝は隠れてしまってます。
明日は多分雨でしょう。気をつけて帰りましょ。
明日は残念ながらPCを使える環境ではないのでお休みします。では。

スッキリと…。

2009年10月25日 | Weblog
雨が降っているかと思っていましたが、降ってませんね。今朝も雲がかかっていて暗い朝です。
なんともすっきりしませんね。本当にすっきりする、スッキリし続けるものって本来何もないもんですよね。世界情勢も国内も地域も家庭も。ほんのひと時スッキリすることはあっても、間もなくまた問題をかかえ、ねじれて、よくわからなくなって…。この繰り返しです。スッキリしていないのが、当たり前と見た方がいいんでしょう。ほんとうは誰しもスッキリしたいんですけど、建て前やら感情的なものでこじれてしまいます。すべて人間がそうしてしまうんですよね。感情から離れて…ただ仲良くしたい…、みんなが幸せでいてもらいたい…。
心穏やかに、そう思うことができれば…。
人間ってめんどくさいですね。動物たちの方がそれぞれ自分たちのテリトリーをわきまえてきちんとやっています。そのテリトリーを壊しているのも人間です。
私たちの存在が地球自体にいい効果を与えていることは一つもないかもしれませんね。何かいいことしましょうよ。まず身の回りからですね。こころがける気持だけでも持っていないことには、自分の存在価値もなくなってしまいそうです。
スッキリしない空の下、そんなことを考えちゃいました。

明日・明後日はちょっと個人的な用がありまして、ブログはお休みになると思います。寺なんで急に事情が変わるかもしれませんが…。
よろしくお願いいたします。

今日をしっかりと

2009年10月24日 | Weblog
今朝は空一面雲がかかっていますね。朝方もなかなか明るくなってきません。
ほんと明るくなるのが遅くなってきました。

昨日・一昨日、千葉の大本山に檀家さんを大型バスで引き連れてお参りしてきました。
ありがたいことに好天にめぐまれ、怪我・病気などもなく、無事に終えられました。ホッと一息です。
私が坊さんになるのに初めて一泊二日で訪れた大本山にも久々にお参りできました。あの頃はとても緊張していたのをよ~く思いだしましたね。
車で先代住職とともに行ったのですが、寺に着く前には手に汗びっしょりかいて、ハンドルがびしゃびしゃっだったのを思い出しました。境内のとても大きな杉の木や、でっかい本堂、とても懐かしかったです。ここから第一歩が始まったような所でしたから…。
今度訪れるときには、自分の弟子を連れてくるときなんでしょうかね。先のことを考えても仕方ありませんよね。
今日のことを考えましょ。今からやるべきことをしっかりやることが、何より肝心ですもんね。今日・明日の大量の法事をしっかりやって、家族とともに食事をいただく。感謝の気持ちを忘れずに。これしかありませんね。

明日 明後日はお休みです。

2009年10月21日 | Weblog
寒くなってきました。耳が冷たくなってしまいます。夜明け前の一番寒い時間帯、これからどんどん冷え込んでくるんでしょうね。
明日あさってで千葉の大本山を巡るバスツアーを行います。団参(だんさん)と私たちは言いっております。
団体で参詣するから団参なんでしょうね、多分。前にも書きましたが、年配者がほとんどですから怪我や病気にならずに終えられることが最終目標ですね。お天気の方は大丈夫そうなんでひと安心です。足もとが悪いと大変ですもんね。
わたくしも千葉の本山に行くのは久しぶりです。坊さんになる第一歩に必ず一泊二日で入る決まりのお寺なんで、ものすごく印象に残っています。あの頃は正坐に慣れていなかったので本堂の板の間での長時間の正坐で非常~に辛い思いをしました。本当に耐えられないくらい足が痛かったですね。今思うと正坐もできずに坊さんになろうとしてたんですね。
今はすっかり慣れてしまいましたが、何事も最初は大変です。大変だし、怖いし、根性というかあきらめない心も必要です。引いてしまっては何も始まりはしないんですよね。
お堂に入るとあの頃の自分を思い出すことができるでしょうか。ちょっと楽しみです。目一杯で無我夢中だったあの頃が懐かしいです。正坐もお経も何もかも出来なかったあの頃、何を頼りにしていたんでしょうね。無謀に近かったんですけど…。
あっという間の20年でした。
明日、あの頃の自分に出会えるかちょっと楽しみです。
という訳で明日、明後日はブログはお休みいたします。明日は出発が早いので、すみません。報告は土曜日にいたします。よろしくお願いいたします。では。

流星

2009年10月20日 | Weblog
今朝は朝露で車が濡れていました。ちょっとしっとりした感じの朝です。
昨夜からの流星を見ようと思っていましたが、夜中起きることはできませんでした。
その思いが強かったせいか、夢の中で窓を開けて夜空を眺めていたんですよね。夢の中でも流星は見られませんでしたが…。
以前流星を見た時は感動しました。スッ スッていう感じで星が流れていく線が見えるんですよね。
願い事を言えるくらいに長い流星はありませんでしたけど、とても印象に残る光景でした。
しかし、とても夜は弱くなりました。ちょっと夜更かしすると翌朝がとてもつらいです。朝が早いので仕方ありません。若い頃はホント遅くまで起きていました。
今思えば何やっていたんでしょ。若さゆえ…ってやつですね。
近頃は規則正しい毎日でないとホントに身体にこたえるという実感がありますね。
イチロウ選手の規則正しさは有名ですが、坊さんの規則正しさはそれこそ歴史的なもんです。住職になってその意味がすこしづつわかってきたように感じます。
地道に規則正しく、わずかながらも一歩一歩という姿勢こそ大切なんですよね。
継続することは本当に難しいんですが、規則的でないと続かないんですよね。
何事も続けることは難しいですが、それができたときに何かが見えてくるもんです。
“あきらめず、地道に”は人を成長させる秘訣ですよね。

明るく・前向きに!

2009年10月19日 | Weblog
今朝もいい天気です。朝は寒くなってきましたね。そろそろ帽子が欲しくなってきました。

昨日は無知のところまでお話をしました。“勝手な思い込み”はつまり自分が正しいと思うときに、“自分”という基準を何においても作るところから始まります。
“自我”といいますが、佛教では確立された“自我”というものは無いとしてます。つまり自分というのもただの現象であって瞬間瞬間変化し続ける中において“自分”というものは存在しないんです。かなり難しいですよね。佛教では“無我”といいますが、本来“自分”という存在はない、としているんです。
そうとう難しいですね。無知があるからこそ、怒りや欲がうまれます。怒り・欲・無知を三毒とよんでいます。煩悩の最悪の三つです。
三毒のなかでも最悪は無知です。煩悩の根源です。
もろ佛教哲学に入っちゃいました。
自分は正しいと思っている自分はそもそも無いし、そんな自分の考える基準なんて大したもんじゃないということですかね。
うまく表現できなくてすみません。とにかく“自分がっ”と思う時点でいろんな感情を作り出してしまい、心は落ち着いた状態から離れていくんですよね。
まだまだ、修行の足りない坊主の言うことなんで皆さんにうまく伝えられません。
これからうまく伝えられるように、勉強しますんでこのへんで今日は閉じさせてもらいます。“落ち込み”も怒りに入るんで、落ち込まずに明るく勉強してゆきます。いつでも明るく・前向きに!が佛教なんですよね。