伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

飛ぶ鳥に跡なし

2008年03月21日 | Weblog
肌寒く感じる朝です。ちょっと季節が戻った感じです。
いちょうの木の枝に鳥がとまっています。
風にふられながらもよくあんなに細い枝にバランスよく
とまれるもんですね。
“飛ぶ鳥に跡なし”とは空を自由に飛びまわっていても
何も空には跡を残しはしない・・ということ。人は生きていく中で
欲や怒りなどの感情を伴いながら様々な痕跡(汚れ)をふりまいて
一生を終えるけれど、鳥は何も残しはしないという解脱の境地を説いた
経典の一説です。文明の発達は地球の破壊を伴いながら今日まできました。
地球上の生き物の中でこんなに環境を破壊してきたのは人間だけです。
“飛ぶ鳥に跡なし”、あらゆる意味でそのような生き方をしなければいけないですよね。

布施

2008年03月20日 | Weblog
暖かい雨の朝です。今日は彼岸の中日です。
すべての生命あるものに対してこころを尽くすこと、力を尽くすことを
佛教では“布施”といいます。
彼岸は布施の行いをする期間でもあります。
イラク戦争開戦から丸五年たちました。あの頃のことはよく記憶に残っています。
寺でも急遽“反戦 難民救援チャリティーコンサート”と題した
イベントを準備期間10日間というわずかな時間で行いました。
あの頃はまだ経験も無いのにいきなり風呂敷を広げたようなモンで
開催まで毎晩緊張で眠れないほどでした。
それがきっかけで寺でのチャリティー活動や様々なイベントが
今日のように行われるようになりました。
しかし、いまだイラクの情勢はとても不安定で、
そこに住む子ども達は劣化ウラン弾による影響で奇形や癌で苦しんでいます。
布施の実践は急に直接は無理かもしれません。
しかし祈ることも大切な布施です。“生きとし生けるものが幸せでありますように”と。
祈る事から始まるのですから。




感情のアレルギー反応には瞑想で・・

2008年03月19日 | Weblog
晴れの朝です。本日も花粉が大量飛散するそうです。
アレルギー反応は本人の意思が働かない厄介なもの。
いくら「花粉に反応しなくていいんだよっ」と言っても
そうは身体のシステムは従ってくれません。
私達の持つ感情もほとんどアレルギー反応に近いものがあります。
反射的に即反応してしまいます。怒り・欲・差別は見たり、耳にした
瞬間起こります。怒りはすべてを破壊してしまいます。怒りで物事が
うまく進んだためしはありません。感情が起こるのは人間であれば仕方ない
ことですが、怒りを表す前に怒りをよ~く見つめること、これができれば
ストッパーが働くんです。瞬間の感情をとらえるのが“瞑想”なんですね。
くしゃみ・鼻水はとまりませんが、こころは穏やかに出来ますように。
(わたくしもふくめて)

一生懸命が個性

2008年03月18日 | Weblog
曇りの朝もいいもんです。やさしく感じます。
ブログ開設する前は気にしませんでしたが、
境内には何本もつばきがあります。今は開花ラッシュです。
写真のつばきはとてもおおきな(3㍍以上)ものですが、
あかや白やピンクなど複数の色の花がみられる変り種のつばきです。
見ていて楽しいですね。
この世界にはまったく同じものはありません。
すべてが固有の性質を持っています。当然、ひともそうです。
姿かたち・こころ、すべて唯一無二の存在です。
それぞれオリジナルばかりですから、そう考えるとすごいですよね。
個性の時代なんていいますが、存在そのものが個性なんですから
自分なりに一生懸命生きていれば自然と素晴らしい個性となるんですね。
ただ、それが出来るかどうか・・というのが個性につながる鍵なんでしょうね。

生きとし生けるものが幸せでありますように

2008年03月17日 | Weblog
節分には間に合いませんでしたが節分草がおおきな
花を咲かせています。もともと山地にある植物だそうです。
学生の頃、山を歩き回ってばかりいましたが、へとへとの状態で
やっと稜線へたどり着いた時おもわず目に飛び込んできた山の花々
に感動したことが思い出されます。
チベットは高級高山植物の宝庫として有名です。
厳しい気候に耐え、それでも懸命に咲く可憐な花は私達に感動をあたえます。
長い間とても厳しい占領支配にあいながらもダライ・ラマ法王を
中心として守り続けてきたチベット佛教・文化は人々にその精神世界の深さに
驚きを与えてきました。チベット自治区での今回の暴動は同じ仏教徒として
とてもつらいものがあります。
“生きとし生けるものが幸せでありますように”と慈悲を強く説かれる
法王のもと速やかに穏やかな状況が訪れることを願うばかりです。




軽安(きょうあん)

2008年03月16日 | Weblog
暖かい朝です。今までの服装ですとあつく感じます。
佛教ではあらゆる執着を“脱ぎ捨てる”などと表現することがあります。
怒り・欲・おろかさ・・の三つを三毒(さんどく)といいあらゆる煩悩の
根源であるといいます。煩悩は物事に執着することから起こります。
脱ぎ捨てる・手放すことでこころは軽くなります。
軽くすると穏やかに・安らかなこころの状態になります。
佛教では軽安(きょうあん)といいます。穏やかな気候のなか、
春服のようにこころも穏やかに軽やかに着飾りたいですね。










雨上がる

2008年03月15日 | Weblog
雨上がりのみずみずしく感じる朝の境内です。
つばきのつぼみも潤いを得て輝いています。
雨はあらゆる生命に欠かせない大切なものです。
先日、評議員をつとめる国連世界食糧計画WFP協会の勉強会で
アフリカ スーダンのダルフールでの虐殺は民族間での水の奪い合いが
おおきな原因であったとの現地WFP職員の報告の話がありました。
水の備蓄等の設備が乏しく、95%雨水依存型のアフリカでは水が原因で紛争が起こります。
水により奪われる生命がアフリカにはあります。アフリカ以外の人々の関心
の深さが問題解決の最大の手段となります。
雨にあらわれたつばきのつぼみを見て水のありがたみを感じてしまいました。

吾唯足知

2008年03月14日 | Weblog
境内にある“つくばい”に掘ってある字、「吾唯足知」(われただたるをしる)というように真ん中の“口”の字を共有して読みます。…『足ることを知る者は貧しいといえども富めり、足ることを知らない者は富めりといえども貧し』…という仏教の真髄かつ茶道の精神を表現した言葉と言われ、京都の竜安寺にあるものが有名で、水戸光圀公が寄進したといわれています 。似たような言葉で『少欲知足』(しょうよくちそく)・・欲が少なくてわずかのもので満足していること。どんなわずかなものにも満足すること。・・と言う佛教用語もあります。際限ない欲を満たそうとする世の中で、目が覚めるような言葉と感じることが出来ますように。ECOな時代にぴったりの言葉ですよね。

クリアに行こう!

2008年03月13日 | Weblog
晴れの朝、うれしく思う以上に花粉飛散で気が重
くて気分が悪いと感じる方も多いと思います。
私も昨晩は久々に寝苦しく感じるほど症状がでました。
気分というメガネをかけて一日を過ごせば、メガネのレンズ
の色を通して一日が終わります。しかし、気分のレンズは自分次第で
かえることは出来ます。せっかく一日を過ごすならよ~くみえるクリアな
レンズの方が気持ちいいですよね。
こころも花粉症になちゃったら一日がもったいない!!

うしろ姿

2008年03月12日 | Weblog
暖かく感じる朝、すっかり春という感じです。
このブログでは何度も登場している梅の木ですが、
見えていなかった部分に気が付きました。うしろ姿
と言ったらいいのでしょうか、花びらをささえる“がく”
というところです。“がく”を中心にみてもかわいくていいですよね。
うしろ姿がきれいな人はとても美しく見えます。親の背中を見て子は育つとか、
背中が泣いているとかいいますがうしろ姿は口で物言う以上に人に伝わるものがあります。
人格や行いの結果が知らず知らずのうちに背中に現れてしまうのでしょう。
いくら着飾ってもうしろ姿は誤魔化せないのでしょうね。
気持ちも姿としても背筋をピンと伸ばして、まっすぐ前を見て歩んでいきましょ。どんなときでも。