伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

蝉と人間

2008年07月31日 | Weblog
今朝も湿気がない風が吹いています。日差しは強いですね。
昨日は夕方から肌寒いと感じるほど涼しかったですね。
夜布団に入るにはちょうどいい感じでした。

今年はまだ蝉しぐれと感じるほどのセミの鳴き声は聞こえません。
境内では1・2回しか鳴いていないとおもいます。
蝉は幼虫の時期に長い間地中で過ごし、成虫としての期間はとても
短いことは有名ですが、地中に7年・成虫で一週間というよく聞かれる
話はあまり根拠がないものらしいです。
それにしても地中で(蝉の種類にもよる)ながくて5年ほど過ごし、
成虫では2・3週間くらいしか生きてられないそうです。

このセミの生涯を短いと感じるか長いと感じるかは、はっきりいって
人間の感情で計ってしまっても意味のないことかなと思います。
途中でぐれたり、周りに迷惑をかけたり、いじめをすることや、
犯罪をおかすことなくまじめに生涯を終えるのですから、人より立派なかもしれません。
人の場合、他の生き物の命をいただいていかないと生きていくことはできません。
一回の食事の中だけでも肉か魚のどちらかは入っていることが普通です。
周りに迷惑をかけていなくても、食べることだけで他の生命をいただいています。
木の根から樹液をすって地中で暮らす蝉の幼虫の方が立派と思えてしまいます。
そのうえ環境まで破壊しているのですから、たちが悪い生き物です。

これからよっぽど改心しないと、そうとうな“つけ”がまわってくるのは、まちがいないでしょう。もうまわってきてますが…。

“生きとし生けるものが幸せでありますように。”
と祈りながら生活することしかできませんが、いくらかでも環境に気を配っていきたいとおもいます。





火傷に注意

2008年07月30日 | Weblog
気持ちのいい風がふいてます。いつまでも表にいたくなるような朝です。
どこか秋のような感じもします。

本日は時間がないので法句経の中の一句をご紹介して終わらせていただきます。

悪を犯すとき、無知な人はそれが悪業(あくごう)であると気づかない。
しかし自らの行為にによって、智慧のない人は火傷したように苦しみ続ける。
                             『法句経』
やってはいけないことをする瞬間というのは、快楽を感じます。
しかし、長く続く不幸の始まりでもあります。
善い行いというのは、おこなっているときは大変な労力や苦労がともないますが、
後に長く続く幸福を味わうことができます。
己に打ち克つことは幸福を呼び、快楽に流されると火傷をしたような苦しみが続くんですね。
お釈迦様のお言葉はわかりやすくて素晴らしい!
火傷をしないように今日も気をつけていきましょう!

娘とともに

2008年07月29日 | Weblog
晴れてます。朝から強い日差が強いです。ほんと熱中症にきをつけましょう。

昨日は午後から三女(小学校低学年)をつれて、近隣のお寺さんにご挨拶にまわりました。
娘も自分のところ以外の寺を見ることは今までなかったので、興味津々で、各寺のスケッチをとって、帰ってから家族に報告をしてました。
最初に回ったお寺はほんとに山の中にあるお寺で、日本昔話に出てきそうなところでしたので、娘もかなり集中してスケッチをとっていました。
黒いトンボを目撃したことや、そこにいたカラスが怖く見えたことが絵にかかれていました。二つ目のお寺も急な坂を登りきった真正面に建っている、本堂の屋根が高い山寺といった感じのところで、目の前にそびえる屋根を書くのに苦労をしていたようです。
急坂の途中に咲いていた百合の花が印象に残っていたようでスケッチに“きれいな花”とコメント入りで書いてありました。

3軒目は城下町にあるお寺で瓦の屋根の細かなところを一生懸命スケッチをとっていました。
短時間でよく特徴をつかんで書かれていたのには、親もびっくりするくらいで、子どもの新鮮な目で見るとこんなところに興味をもつのか、と関心してしまいました。

日頃子どもと外出することが出来ない私としても、仕事がてらでも一緒に楽しくお寺をまわれて良かったです。一人でまわったら、はっきりいって面倒なものでしたが、楽しくスケッチをとりながら道中をともにする娘がいると同じ作業もがらりとかわります。

以前も書きましたが、どんな時も楽しもうとする子供のエネルギーは見習わなければいけませんね。
大人になるとあきらめが入り、楽しもうとする意欲が低下していきます。
同じ時間・作業であっても心の持ち方次第でずいぶん変わります。
今日も卒塔婆書きと法事がありますが、あきらめではなく、挑んでいく気持ちで充実感を求めていきます!(自己暗示か)
熱い1日が始まりますが、皆さん一緒に楽しくいきましょう!

現代お墓参り事情

2008年07月28日 | Weblog
昨夜はよく降りましたね。雷もすごかったです。
やっと境内の植木に潤いが戻ったようです。

昨日の夕方に地域の寺の役員を緊急招集して、
墓地管理委員会を行いました。お盆の時期は大量お供物やお花
を処分するのがとても大変な作業になります。
以前は焼却炉で燃やしたりもしました。しかし、これからは焼却炉は使用せず、
直接 市の処分場へ運ぶようにすることも含め1時間20分ほど熱い討論がかわされました。
盆時期に二日も供物が置きっぱなしになれば、すぐ腐敗し、処分も手間取ります。
お参りの時にあげた供物は帰るときに持ち帰ってもらうようにお知らせも出しました。
こうゆう時代ですから、なるべく二酸化炭素を出さないようにしなくてはならないのは墓地管理においても同じです。
お墓参りも変わっていくでしょう。しかし、きちんと手を合せ、ご先祖様に日々の生活のことを報告し、
感謝の気持ちを伝え、跡を汚さないように帰ることはとてもすがすがしくも感じます。
時代とともに様々なことが変わってはいきますが、感謝の気持ちと生きとし生けるものへの思いやりの気持ちは、変わることなくみんなでもち続けていかなければなりませんね。

小学生の訴え

2008年07月27日 | Weblog
朝はまだ涼しいですね。日中は30度あたりまでいくみたいです。

昨日地元小学校の夏祭りで6学年児童が食糧支援のために人形劇を
行うコーナーを見に行きました。
児童の作った飢餓や温暖化防止のポスターやWFP(国連世界食糧計画)のポスター・ビデオも流されていました。
子ども達の人形劇もとてもわかりやすく、世界の食糧事情をコンパクトにまとめていました。

一日に2万5千人も飢えが原因で亡くなる人がいる、という子供の声による説明には心に響くものがありました。
小学校の夏祭りに児童が一生懸命に飢餓克服・飢餓のおおきな原因でもある地球温暖化
を訴える姿に「素晴らしい意識の子供たちだ」「ただのお祭りではないな」
と感心する一方、「大変な時代になっているんだ」という、この現実をあらためて感じてしまいました。
昼間のきびしい日差しの中、汗をかきながら、おもてで一生懸命に人形劇にとりくむ児童の姿は、
飢餓・地球温暖化への意識ある振る舞いを生活の中で行わなくては本当にいけないのだ、という強いインパクトを与えてくれました。
ほんとうに、ご苦労様でした。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

いつでもこの教えを

2008年07月26日 | Weblog
雨上がりとあって、湿気が強いですね。今日もむし暑くなりそうです。

本日は朝からたてこんでますので、
『法句経』の一句をご紹介して閉じさせていただきます。
こう暑くて、忙しいと陥りやすいのが“怒り”ですよね。
自分自身もこの教えを胸に刻んでおきたいと思います。
以前もご紹介いたしました。

じつにこの世においては、
怨(うら)みにたいして怨みを返すならば、
ついに怨みの鎮まることがない。
怨みを捨ててこそ鎮まる。
これは普遍的な真理である。 『法句経』

いつもこの教えを生活の中に!

ゆがみ・ひずみ

2008年07月25日 | Weblog
朝から暑さがきてますね。風が通らないところはきついですね。
こうも雨が降らないとパサパサでうちの中にも砂ほこりが入ってきちゃいます。
ひと雨ほしいところです。
昨晩夜中の地震はこちらも長くゆれましたが、盛岡の実家の母に聞いたところ、
今までで一番おおきなゆれに感じたそうで、縦ゆれ・横ゆれが長く続きとても怖かったそうです。
ほんとにいつ何が起こるかわかりません。

地震はぶつかり合うプレートが長い年月かかってできたひずみが一気にはじけてしまうことから起きます。
ですから研究が進めば進むほど、ある程度の予測は可能ですが、人の感情はそうはいきません。
突然の怒りや悲しみ・嘆き・苦しみが起きてしまうことがあります。生きることはその感情の繰り返しかもしれません。
それをどう越えていくのかが問題なんでしょう。

「だれでもよかった…。」と感情の矛先(ほこさき)を自分以外の無関係な人間に向ける人があちこちで現れ、事件を起こしています。とても幼稚な思考の持ち主だと思います。
心を育てることの大切さがわからないまま生きてきたのでしょう。
社会の問題もあると思います。
家族という最も小さな社会が心を育てることから離れてしまえば、今後の状況は誰にでも予想がつきます。
親の意識いかんで社会は変わっていくのかもしれません。
しかし、いままで長い時間をかけてゆがんできた日本人の道徳観が今の現象を生んでいるのかもしれません。地震と同じなんでしょうか。
となると、相当根は深いです。複雑な思いがします。


心をおさめる

2008年07月24日 | Weblog
曇り空です。今日も暑い一日になりそうですね。

夜中の地震、長かったですよね。あれで震度3なんですか。
もっと大きかったようなきがしましたが。寝ぼけてたんでなんともいえませんが。
またしても実家岩手が大揺れでした。盛岡で震度5らしいですね。
まだ連絡をとっていませんが、多分大丈夫でしょう。

近頃は地震が多いですね。たまたまなんでしょうが、こればかりは止められません。
被害拡大を抑えることだけしかできません。

心は見難く、きわめて微妙であり、
欲するがままに飛びまわる。
智慧ある人は心を守る。
守られた心は、安らぎをもたらす。 『法句経』

あわてて反射的に飛び出したり、動揺して適格な話ができなかったり、
突然の出来事に対応するには心は不慣れです。
とっさのときこそ心は試されます。落ち着いてとっさの物事に対処できるか
どうかが、生きていく上で大きなポイントにもなります。
常日頃、心を観ること。とても難しいですが、心をおさめることが
生きる上で最も大切なことなんですよね。
私においても最大の課題です。




整える

2008年07月23日 | Weblog
くもり空のじっとりとする空気の朝ですね。今日も体にこたえそうな暑さになりそうです。

昨日より庭師さんが境内の植木の手入れに来ました。
毎年この時期に来てもらいます。うっそうとしていたカエデなども
さっぱりと剪定(せんてい)してもらい、見た目もさわやか・涼しげになっていきます。
植木が多いので、終わるのに5日ほどかかってしまいます。

親方が使っている職人にいろいろ支持をしていますが、「ここから先は切ってはダメ! ここは残しておけ!」など、
それぞれの植木と境内のバランスを考慮しながら最終的に一つの作品を仕上げていっているのでしょう。
暑い中、長そで長ズボンで手首・足首はきっちり締め込んでの作業は大変きつい仕事です。
境内の、ひとつ・ひとつの植木が価値あるものであっても、きちんと手入れをせず自然のままに伸び放題であれば
境内全体がうっそうとして、居心地いい空間にはなりません。

心もそうです。きちんと自己管理ができなければ感情のままに振舞い、周りを傷つけ、結局自分自身も傷つけてしまいます。
管理できない心と心には、いい人間関係はなりたちません。
心を整えること、清らかにすること、は佛教の目標とするところです。
自分にも、周りにも、よい結果が訪れます。そのためには努力・精進はかかせません。

昼間の暑さの中、剪定作業をしてくれるおかげで、気持ちいい境内を作ってくれる庭師さんに感謝しつつ、
努力なくして自分の心も整えることはできないのだなと、あらためて深く感じてしまいました。



覚悟2

2008年07月22日 | Weblog
朝の日差しが昼間の暑さを予感させます。今日は暑いでしょうね。
こういう日は子ども達はプールや海に行きたくなるでしょうね。
プールサイドでのんびりなんていいんでしょうね。
私はたまっている卒塔婆と格闘です。

先日地元の会社で若い社員さん50名ほどのまえで講演を行いましたが、
その時の感想が寺に届きました。いまいち“のり”が悪かったかな~と思いましたが、
皆さん真剣に聞いていたというのがよく伝わる内容で、こちらとしてもとても
ありがたく感じてしまいました。
見た目は本当にいまどきの若者という感じですが、それぞれ日常に不満を感じていたり、
流されていたりしているなかで“死”をきちんと考えることが意識を変えるということが皆さんの心に印象が深く残ったようです。
いつ、どこでなにが起きるかわからないのが人生。どんな時も“覚悟”の気持ちをもてるようにという話もずいぶん印象に残ったみたいです。

人々は、われわれは死すべきものだと気づいていない。
このことわりに、他の人は気づいていない。
このことわりを知る人があれば、争いは鎮まる。 『法句経』

必ず死は訪れますし、いつ、どんな場所で訪れるかは誰にもわかりません。
いくら若くてもどうなるかはわからないのです。
いつどうなろうと、後悔の念で死を迎えないように“覚悟”はいつも心のどこかに置いておかなくてはいけません。
仕事、子育て、生活の途中、家族を残すこととなっても、「やることはやった」という気持ちのなかで別れを告げることができるようでないと、うかばれない生涯で終わってしまいます。
とても難しいことですが、とても必要なことです。
ですから一日一日を充実感で終えるようにすることが、とても大切なわけです。
今日も暑い一日ですが、それでも大切な一日です。
皆さん頑張っていきましょう!