伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

みんなの願い

2008年05月31日 | Weblog
ちょうど表に出たら降り出しました。だんだん雨脚が強くなっています。
雨の土曜日ですね。

明日は私どもの寺主催で「ウォーク・ザ・ワールド~地球のハラペコを救え~」
というチャリティーウォークが開催されます(後援は国連世界食糧計画WFP協会)。
先週横浜でも行われましたが、地方版(といってもやっているのはここだけですが)です。
昨日もスタッフのお母さん方が昼から夕方遅くまで手伝ってくださいました。
今日はお父さん方も準備に来ていただきます。
しかし、ありがたいことです。いろんな方が協力をしてくださいます。
一人で出来る範囲は限られていますが、多くの人の力と知恵が一つの方向へ
向かえばそれだけふくらみのある大きなものになります。

飢えに苦しんでいる人は世界で8億5千万人もいます。また飢えを原因として亡くなる人は一日に2万5千人。
そのうち1万8千人は5歳未満の子ども達です。
この事実に対しわずかでも救いの手を差し出したいという気持ちがこのチャリティーウォークを支えてくれるスタッフの共通の思いです。
「生きとし生けるものが幸せでありますように。」という慈悲の気持ちがこの企画を支えています。
不条理に満ちて見えるこの世界ですが、その中で出来ることをそのつど、そのつど行い続けていくことが日本という豊かな国にすんでいる私達の役目だと思います。
行っている私達においても多くの人が集まってあーだこーだと言いながら一つのことを作り上げていくことは楽しいものです。
こんな環境に置かれている自分はつくづく恵まれていると感じます。

みんなの願い~生きとし生けるものが幸せでありますように~
明日この思いが伝わるように!




“離す力”

2008年05月30日 | Weblog
くもりで風のある朝です。四月みたいな感じがします。
今日は一日こんな感じみたいですね。

いっとき、百花繚乱という感じの境内でしたが今はそれも過ぎ葉ばかりが多くなっています。
きれいな花びらもしおれて、ついに地に落とされます。
以前聞いた事がありますが、ブナの木は冬を迎える前に枯れた葉を落としきらないと冬の強風にさらされた時、
風の抵抗を受けてしまい枝を折ることになります。
てっきり、枯れた葉は自然と枝から離れるのかと思っていましたが、じつは枝から枯葉を落とすにも、
“離す力”がないといつまでも着いたままで強風で枝を折ることになるそうです。
木自身に力がないと強風で枝を折ってしまい無事春を迎えられないとのことです。
自身の“離す力”で冬の厳しさを越えているなんて、自然の奥深さを感じてしまいます。

修行僧たちよ、ジャスミンのツルが萎(しお)れた花びらを捨て落とすように、
貪(むさぼ)りと怒りを捨て落とそう。             『法句経』

私達は怒る時、正当な理由があって怒っているのだと自身の怒りを正当化してしまいます。
しかし、正当な怒りというものは佛教には存在しません。怒りと欲を持ってもすぐ捨て去りなさいと佛教では言います。
怒りと欲は自身を破壊してしまいます。怒りと欲を持つと、わけもなく悩んだり、困ったりします。
胃酸も多くでるでしょう。心と身体のバランスも崩れてしまいます。ついには大変な病気にもなります。
自身の“離す力”で怒りと欲を捨て落とすこと。自然界の習いに従い、私達も心と身体を護(まも)るために“離す力”を身につけなければいけませんね。




                    

和顔愛語(わげんあいご)

2008年05月29日 | Weblog
今週は暑いくらいの日もありましたが今朝は寒くて、雨と強い風がふいてます。
気温の差が激しいですね。体調管理気をつけましょう。

毎日午後3時か4時過ぎに学校から子ども達が帰ってきます。
私は坊主なので自宅(寺の場合住まいを庫裡[くり]といいます)
兼職場みたいなものなので、いつも帰ってくる子ども達を迎えることが出来ます。
ニコニコと「ただいま~」と言って間髪いれずに学校であったことをしゃべりだす
といったパターンが多いのですが、とてもそれがなんともいえずうれしいんですね。
大人にはなかなか出来ないです。まわりを喜ばせるパワーがはじけています。

和顔愛語(わげんあいご)・・・[なごやかな顔、愛情ある言葉で人に接すること]

という佛教の言葉があります。これも人に悦(よろこ)びを与える“布施”のひとつです。
物を分け与えるだけが布施ではありません。悦びや安心をあたえる笑顔や言葉も大切な布施です。
笑顔とやさしい言葉はまわりを明るく気持ちよくさせてくれます。
笑顔と優しい言葉はなによりも人に安心をあたえてくれます。
冷たい雨と風で始まった一日ですが、空模様と同じ顔じゃなく“和顔愛語”で気持ちよく一日を踏み出していきましょ。




そのつど、落ち着いて

2008年05月28日 | Weblog
いい朝ですね。さわやかです。
昨日は大型バス一台に檀家さんを乗せ大本山と総本山のお参りをしていました。
天気は最高。気温も最高。雑務に追われっぱなしの一泊二日でしたが、
たまには寺を離れるのもいいもんです。

さすが総本山となると太鼓の大きさも半端じゃなく直径1.5㍍ほどですから
太鼓の音もでかいですが、それ以上に空気を伝わる太鼓の振動というか波動のほうがすごい!
静けさの法要にいきなり大太鼓のびりびりくる振動に、始めて聞く檀家さんはおもわず声をあげてしまう方もいました。

静寂のなかでいきなり全身を襲う地響きにも似た大太鼓。瞬間驚くのは仕方ありません。
わたしたちの日常でふりかかる災難・試練も法要中の大太鼓のように突然降りかかります。
何事もない日常を私達は望み、そう思いながら暮らしていますが、
何でもあり何事がおきても不思議ではないのが日常なのです。
ですから佛教では“心の落ち着きがとても大切なのですよ”と言うのです。
それは常に覚悟の気持ちを心に留めてしっかり日常を過ごすこと。
物事が起きるたび動揺し思い悩んだりしていては試練・困難にふりまわされるだけです。
落ち着きをもつことができればふりまわされず、越えることができます。
人生には試練・困難はつきものです。仕方ありません。
しかし、そのつど、落ち着きをもちながら越えていくことで充実感を感じるでしょうし、人格も出来上がっていきます。
瞬間の驚きのあと、次にどうすればよいのか考え行動できることが大切なのです。

賢者は、順次にすこしずつ、そのつど、みずからが汚れを除く。
鍛冶職人が銀の汚れを除くように。   『法句経』



いい一日でありますように

2008年05月26日 | Weblog
朝からいい天気ですね。いい週のはじまりですね。
今日は暑くなりそうです。

申し訳ありませんが今朝はもうすぐ移動しなくてはいけませんので
私の好きな法句経の一節だけをお伝えさせていただきます。

怒りには、怒らないことによって勝てる。
悪事には、善い行為で勝てる。
物惜しみには、分かち合うことによって勝てる。
真実によって、虚言の人に勝てる。
                     『法句経』

今日も皆さんにおいていい一日でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。

明日はお休みになります。また明後日に!

わかちゃいるけど・・・

2008年05月25日 | Weblog
強い雨ですね予報では今が(午前5時)一番強いみたいです。
水戸地方は昼過ぎにはやむようですが。

今日は中型バスに29人を乗せて昨日ご報告した横浜でのチャリティーウォーク
「ウォーク ザ ワールド」に6時30分に出発します。実は私は留守番です。
休みの日は法事が一杯なんです。横浜方面は11時くらいには曇りになるそうですから大丈夫でしょう。
外で行うイベントは最終的に天候に左右されてしまいます。こればかりはしかたありません。
寺でも毎年チャリティーコンサートをおこないますが9,10月の台風の時期なので
毎年ぎりぎりで(たいてい前日まで台風で強風が残るとか、開催午前まで雨とか)開催出来ている感じです。
始まるまでは主催者としては精神的にとてもにつらい思いを毎年しています。
お天気ばかりはどうしようもありません。

“苦とは自分の思うようにならないことがである”と佛教ではいいます。

わかっているつもりですが実効が伴わないんですね。
“わかちゃいるけど、やめられない”という植木等さんの有名なフレーズがありますが、
“わかちゃいるけど”は、はっきり言えばわかっていないことです。
お釈迦様が目の前にいらしたらはっきりそう言うと思います。
天気を自分の思うようにしたいというのは欲です。わかっているつもりでも心配してしまう自分がいます。
まだわかっていないのですね。
いつの日か、どんな天候でも心穏やかに臨めることができるように。
それが私の課題です。

アフリカのために世界のために

2008年05月24日 | Weblog
あたたかい朝ですが曇りですね。週末は崩れそうです。
昨日は特に暑かったです。暑さにも“慣れ”が必要ですね。
体調管理に気をつけましょう。

昨日郵便局へ行きましたら「野口英世」の記念切手が販売されていました。
小学生の末娘が学校にあった野口英世の伝記(まんが)を読んでから
何故か野口英世のファンになり「子どもの頃は清作って名前だったんだよ」
「英世のお父さんはいじわるだったんだよ」とか、ずいぶん教えてもらいました。
おもわず娘のために切手を購入しちゃいました。

今月28日~30日に横浜でTICAD(ティカッドアフリカ開発会議:アフリカが抱える問題の解決や人々の生活改善を目指す会議)が開催されます。
野口の没後80年を記念し、アフリカにおける医学研究・医療活動を対象とする新たな国際賞である野口英世アフリカ賞が創設され、その第一回授与式が会議開催中に行われるのを記念して切手が発行されたようです。

自然災害や紛争による貧困、AIDSにより多くの若い世代の親が犠牲になりAIDS孤児といわれる子ども達が生活に苦しむなど、アフリカは様々な問題を抱えています。

明日25日に横浜みなとみらい地区で行われる国連世界食糧計画主催の「ウォーク ザ ワールドFORアフリカ~地球のハラペコを救え~」というチャリティーウォークに私どもの寺からも29人(中型バス1台)で参加します。
みんなで歩いて飢餓に苦しんでいる世界の人々への関心を持ってもらいたいというアピールです。
飢えを原因として世界では一日2万5千人もの人が亡くなり、そのうち1万8千人が5歳未満の子ども達であるという統計があります。
皆さんの関心が救いのための第一歩になります。
慈しみの心をふりわけていただきたいのです。
生きとし生ける物が幸せでありますように。


素直な目

2008年05月23日 | Weblog
風のない穏やかな朝です。鳥のなき声しか聞こえません。

昨日は地元小学校の2年生が“学区探検”という授業で午前中お寺にやってきました。
お天気がよく、気温も高いなかでしたが境内でいろんな発見をしていました。
やはり子どもの感性と目線が低いせいか大人では気が付かないことばかりに目が行くようでした。
大人は知識という視点で物を見ますが子どもは知識以前の素直な目で動くものや見たことのないもの(それがなんであろうが)聞いたことのない音(それがなんであろうが)などなどを自分に取り入れようとします。
きっと自分の引き出しにいろんな物を入れているのかもしれません。それが子ども達一人一人の表現力や個性へとつながっていくのでしょう。

知識は生きていくうえでは欠かせないものですが、人と人をつなぐのは心です。
最後一人旅立つ時に持っていくことが出来るのも心だけです。
財産、名誉、権力、親しい人などすべては置いていくものです。
唯一離れずに持って行くことができるのは“心・人格”だけです。
自分以外のものをどんな目で見て、どんな気持ちで接して、どんな気持ちを持ったのか。
知識を除いた部分、その人をあらわす根幹は生きていく上でも、旅立つ時においても最も大切なもの、
役立つものであると佛教では見ます。

心を育てる上で素直な目で物事をとらえる子どもの時期というのは貴重な時です。
しかもあっという間にその素直な目線を失っていくかもしれません。
一人の親として子どもと過ごすことが出来るこの時期を、この瞬間を、無駄にしてはいけないんだなと改めて思いました。


預かる責任

2008年05月22日 | Weblog
もう初夏の朝という感じですね。日中は暖かくなりそうな感じがわかります。

昨年の夏休みに行われた地元小学校夏祭りのために近くの田んぼで採集した
めだかが冬を越し元気でいます。昨日、小学生の下の娘がその中の二匹をふたつきのガラス瓶に入れ、
学校に持って行きました。前から友達と約束をしていたようでとてもうれしそうにしていました。
途中でひっくり返さないように丁寧に底つきの手提げ袋に入れ慎重に学校へ行く姿は普段見ることがない真剣な顔でした。
娘にとっては初めて自分に預けられた生き物なのでとてもうれしく、責任も感じていたのでしょう。

以前も書きましたが、佛教的な見方では親と子の関係も同じです。親は子を預かっています。
預かっているから責任もでてきます。そのことがわかっていれば子どもを傷つけたりするという事はありえません。
親も子も別々の人格です。縁で結ばれ家族として生活していると佛教では見ます。
その縁はお互いにとって良き人生、善い人格を築くために本来生かさねばならない縁です。
しかし、試練・困難をお互いで越えていくなかでしか良き人生・善い人格を得ることは出来ません。
何事も越えていくことで充実感を得ることが出来ます。
子育てには大変な労力がかかります。同じ労力を使っても足ばかり見つめ山を登れば辛(つら)さだけが残ります。
周りの景色を楽しみながら山を登る精神的おちつきがあれば登りも充実したものになるでしょう。
ですから心は落ち着いた状態でなければいけません。
佛教の究極の目的は心を清らかにし、落ち着きを得ることなのです。
(ちょっと長くて、締めが悪くてすみません)

つつじに感謝

2008年05月21日 | Weblog
昨日の嵐とはうって変わってさわやかな朝です。
しかし、よ~く考えてみると自然の持つ力ってすごいですね。
あんなに強い風や大量の雨を降らせたりするんですから。
人間が持っている力なんて微々たる物ですね。

そして寺の境内にも自然の持つ不思議な力を見せつけてくれるつつじが咲いています。
私も今朝初めて気が付きましたが、庭石の真ん中から突如つつじが飛び出し花を咲かせています。
故郷の盛岡には“石割桜”という巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、
樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育していて、
国の天然記念物に指定されている桜がありますが、それにちなんで“石割つつじ”
と言ったらいいのか、それとも“ど根性つつじ”と言ったらいいのでしょうか。
なんで今まで気が付かなかったのか、不思議です。

“サティ=気づき”は以前このブログでも載せましたが、自分の今の心・今の状況・相手の心や言葉など
いつも新鮮な眼で“気づき”を入れながら物事を見ることが出来れば
それがそのまま心を清らかにする修行につながります。
常に変化し続けるなかで今この瞬間に気づくこと、とても難しいことですがよく物事を見ることから身につくことだと思います。

ブログ開始から3ヶ月間、こんなに庭を歩き回っても気が付かなかった“石割つつじ”でしたが、まだまだ気づきの修行が未熟であったことを気づかせる“いましめのつつじ”となりました。つつじに感謝。